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オペラ《オルフェオ》序曲


オペラ黎明期の題材:ギリシャ神話

1598年 《ダフネ》ペーリ作曲


イタリア語台本にペーリが作曲。楽譜の一部しか現存していません。

1600年 《エウリディーチェ》ペーリ&カッチーニ作曲

フランス王アンリ4世とメディチ家マリアの結婚祝宴で上演されました。
ギリシャ神話のオルフェオとエウリディーチェの物語をベースにしたイタリア語台本による第1幕の作品。カメラータ(=フィレンツェの芸術家や知識人のサークル)のメンバーであるペーリとカッチーニが作曲しました。

1607年 《オルフェオ》モンテヴェルディ作曲


イタリア北部マントヴァで上演。第5幕からなり、豊かな感情表現にあふれた独唱やアリア、二重唱、マドリガーレ風アンサンブル舞曲から構成されています。弦楽器や管楽器15種類の楽器を含む38人の奏者で伴奏されました。

モンテヴェルディ(1567-1643)


このイタリア人作曲家は、マントヴァ公の宮廷で詩人、画家、音楽家たちが集まる場所に住んでいました。
このオペラのリブレットは、オルフェウスとエウリディーチェの結婚とその後の別れについて語っています。

1567(0歳) イタリアのクレモナで誕生。クレモナ大聖堂の学長から音楽を学び、マドリガーレ集(第1巻、第2巻)を出版する。
1590(23歳)マントヴァ公爵ヴィンツェンツォ・ゴンザーガにヴィオラ・ダ・ガンバ奏者として雇われる。
1601(34歳)宮廷楽長に昇進。
1605(38歳)マドリガーレ(第3巻)を既に出版。斬新な「第2の作法」を巡り、論争が起こる。
1607(40歳)公爵の命により作曲した最初のオペラ作品《オルフェオ》初演
1609(42歳)《オルフェオ》の楽譜をヴェネツィアで出版
1610(43歳)《聖母マリアの夕べの祈り》を作曲、出版。教皇パウロ5世に捧げる。
1612(45歳)公爵が代替わり、マントヴァ宮廷を解雇される。
1613(46歳)ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の学長に就任する。

1641(74歳)《ウリッセの帰還》初演
1643(76歳)《ポッペーアの戴冠》初演、ヴェネツィアで死去。

その想像力の源は、人間の大きな情念をなんとしてでも音楽で表したいという強い情念にありました。その思いは規則破りの「第2の作法」をとりいれた初期のマドリガーレから見られますし、《オルフェ―オ》はモノディ様式にこだわらず、多声のマドリガーレや雄弁なオーケストラなどあらゆる手段を使って悲しみや喜びを表現しようとしたオペラでした。彼の情熱は宗教曲、世俗曲の区別なく、晩年の作品でも衰えませんでした。マントヴァ時代の苦しさにも負けず、ヴェネツィア時代の地位にも奢らず、人間の心の表現を求め続けたモンテヴェルディの情熱は、現代の私たちでもその作品から感じ取ることができます。

西洋音楽の歴史(ARTES出版)


ザルツブルクの「モーツァルト週間」

2025年のモーツァルト週間音楽祭のテーマは「Destination Mozart(目的地モーツァルト)」。このテーマは、モーツァルトと彼以前の作曲家たち、特にモンテヴェルディ、バッハ、ヘンデル、ハイドンなどの天才たちとのつながりを表している。音楽祭の監督ロランド・ヴィラゾンは、「天才たちは過去の優れた要素を吸収し、新しい形式や構造を生み出し、時代精神を体現する力を持つ」と語っている。モンテヴェルディのオペラ『オルフェオ』やバッハの音楽がモーツァルトに与えた影響は計り知れない。また、ニコラウス・アーノンクールの著書『音楽的対話』に触発され、モンテヴェルディの作品が今回の音楽祭で取り上げられることになった。

ザルツブルクの「モーツァルト週間」| Risvel




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