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日本のお土産文化について

私の仕事場には、時々、日本から取引先がやってくる。
親切な人は、来るたびに手土産を持ってくる。
大概は空港で売っている、日本人の目にはありふれたものだが、それでもお土産を買って持ってきてくれる、つまり「わざわざ、エクストラの費用と時間をかけて」くる、というその心遣いに頭が下がる。

社内のイタリア人たちは、「あっ、これチョコレート?せんべい?小麦が入ってる?」など、自分が好きなものやアレルギーについて尋ね、「色々持ってきてくれてありがたいよねぇ」と言ってもりもり食べている。

イタリアではそういった文化は一切ない。
強いて言えば、クリスマスの頃に、日本でいうお歳暮のような贈答パックを持ってくる取引先があるくらいで、普段、例えば出張に行ったから、とか、遠くの会社を訪問するから、と言って、お土産を持ってきたり、買って行ったり、という習慣は一切ない。
そしてそれは恐らく、他のヨーロッパ諸国も一緒だろうと思う。
 
数年前、ヨーロッパの他国に住む日本人の友達の出産祝いで荷物を送ったことがある。
その後暫くたって彼女のところを訪れたら、「お返ししてなかったから、今日は私の奢りね」と、某有名紅茶店のカフェで優雅なティータイムをふるまってくれ、素敵なコスメのプレゼントをくれた。

ところが、イタリアに住む友達に同じことをしたら、「あなたがプレゼントをくれても、ここではお返しをする習慣はないから、しないよ」と先に断れてびっくりしてしまった。
説明もされず、お返しもないと余計にびっくりしたかもしれないが、要職に就く旦那を持つ、自分より年上の某役所で働く友達、つまり裕福な家庭でも、この国はもらったらもらいっぱなしなんだな、とわかり、今後はあまり人には気を遣わず、プレゼントもしないことにしよう、と割り切ることができてかえって良かったのかもしれない反面、真心や思いやりの心を少し失った気がした。

今では、会社へのお土産を買う義務感から解放されてある意味せいせいしているし、それについては、私の数少ない日本人の友達も同意見だった。
あの習慣は本当に嫌だった、と。
だって何を買って行ったって、心の中では「あれはまずい」だの「アレルギーだ」だのと思われている可能性は十分に考えられるし、買っていかなければという義務感のために、旅も途中から楽しみが半減していた、と。

しかし、大切な友達には、何か意味を持つ機会に、喜んでくれそうなプレゼントをしたいなぁ、そしてそのお返しも楽しみにしたいなぁ(ズルいか、それは…笑)と思う気持ちは、お土産文化におさらばして随分たった今も、ある特定の取引先の方が「シマ子さんへ」とくださる漬物やお吸い物の素を口にする度に、ぽ~っと心に浮かんでくるささやかな願望である。
 
 
 
 

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シマ子
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