Bruno di Belloの光が描く線の展示を鑑賞する
とある会社帰り、Bruno di Belloという故人のアーティストの書庫に見学に行った。
実際に展示されていた作品は、氏のものと、説明をしてくださった女性のお姉さん、つまり氏の娘のものの両方あり、この書庫が家族経営のために色々と混ざってはいるようだが、それでも、視点が面白いものがあったので、紹介しておこうと思う。
①シリーズSegni di Luce(訳: 光りの線)
まずは、懐中電灯の光で感度の高いキャンバスに直接描いて作成された作品群からいこう。
②シリーズLucciole(訳: 蛍)
こちらは娘のPaolaさんのシリーズで、懐中電灯の代わりに蛍を放ち、自然の光をキャンバスに写し取ったものだそうだ。
近景をご覧いただくと、線の両脇に丸い輪がたくさん写っているのが見えると思うが、それらは、蛍が足を休めていた際にできた跡なのだそうだ。
蛍には、「Hey、君、ちょっと蛍って漢字に飛んでくれよ」とは言えないから、出来栄えは蓋を開けてのお楽しみだったと思うが、それにしても、1作目などは、何となく虫という漢字に見えなくもない気がする。
③シリーズParole Scomposte(訳: バラバラな言葉)
写真キャンバスに言葉やコンセプトを登場させ、それらを分解し、再び組み立てることで、意味の喪失と再発見のゲームを生んでいる1970年代初頭の作品。展示されていたのは2点のみだったので、両方載せておこう。
ついでに、シリーズ名がわからないが、オフィスに飾ってあった作品も撮影したので、載せておこう。
恐らくは1980年代の「光源とキャンバスの間に人物や物体を並置し、その影をキャンバスに投影する」というグループに属する作品だと思う。
初夏になるとたまに、友達と蛍を見に郊外の公園へ行く。
鬱蒼と生い茂る木々の薄暗い合間から見える細々とした明かりが、夜の闇が深くなるにつれて色濃く輝きだすさまを、Paolaさんの作品を見ていて自然と思い浮かべることになった。
「今年もまた蛍を見に行こうかな、しかしまずは桜だよな」と、雨がしとしと降る夕暮れ時、水たまりに反射する家並みの灯りをぼんやりと眺めながら、一人家路を急いだ。