【暗いショートショート三部作】(1)- 満月の夜、願い叶うか
健太は今年で29。
30歳まであと1年だが、生きているのが辛くて仕方がなかった。
子供の頃は人生に対する夢も抱いていたが、大学受験に失敗してからというもの、すっかり自信を失くし、鬱々とした毎日を過ごしてきた。
友人も恋人もおらず、今の仕事にも楽しさを見いだせず、かと言ってこれといった趣味もない。
生活のためとは言えど、オフィスと1人暮らしの自宅の往復で過ぎてゆく毎日。
いっそ楽に死ねたらと思うが、そんな勇気もなく、ただ漫然と惰性で生きている自分にも嫌気が差している。
酒に溺れるなどという言葉もあるが、酒に弱い健太はそのような逃げ道もない。
アルコール依存性にもなれないで、日々もがき続ける自分が余計に中途半端な存在に思え、健太は自己嫌悪を募らせるばかりであった。
ある日のこと、残業を終えた健太は気晴らしのため、いつもと違うルートを辿って自宅へと向かった。
季節は11月。
風がとても強く、寒い夜だった。
健太は、閑古鳥が鳴く寂れたアーケード街の一画にふと目を止めた。
目線の先にあったのは、数台のガチャガチャ。
昔ながらのコインを入れてレバーを捻ると、中からゴトッとカプセルが出て来るタイプのやつだ。
子供の頃、ああいったガチャガチャを見ると、なぜだか心がワクワクしたものだったな。
あの頃は、こんな自分でも努力さえすれば、何にでもなれると思っていたのだっけ……。
健太が足を止めた理由は、単に昔を懐かしく回顧したせいだけではなく、ガチャガチャに書かれた4文字に興味を惹かれたからでもあった。
――おみくじ……。
強風に煽られ、健太は一瞬背筋がブルッとした。
健太は大学生の頃、怪しい占い師に奇妙な印鑑を買わされそうになって以来、占いの類は敬遠していたが、元来スピリチュアルなものには興味がある。
いつもとは違う道を通った日に偶然「おみくじ」のガチャガチャに目が止まる。
これも何かのご縁か……。
自分の人生が今からどう花開くとも思えないが、どうせ数百円である。
遊びのつもりで1枚引いてみようか……。
健太はコインを入れ、レバーを回した。
ゴトッ!
健太は受取口に落ちてきたカプセルを手に取り、それを開けると中から1枚の紙が出て来た。
紙を広げた瞬間、健太の目に飛び込んできた2文字。
――大吉……。
おみくじには、ほかにも小さな字でアドバイスらしきものが書かれていたが、総じて良い内容であり、太字で「アナタの願いごとが叶う夜」とあった。
その言葉を真に受けたわけではないが、ここまできっぱりと書かれると悪い気はしない。
健太は久しぶりに少しだけウキウキした気分で、大吉のおみくじを握り締め、いよいよ家路を急いだ。
最後にこんな浮かれた気分になったのは、いったいいつのことだっただろうか?
健太は、ますます強くなる風に体を硬くし、コートの前を片手で首元に密着させ、歩みを速めた。
風の強い夜だった。
将棋崩しのように倒れる数台の自転車。
団地のベランダでブラブラと揺れる洗濯物。
舞い上がる枯葉。
人通りの少ない夜道。
首輪の無い猫。
舞い上がる枯葉。
人通りの少ない夜道で舞い上がる枯葉。
首輪の無い猫。
月が照らす夜道。
舞い上がる枯葉。
月が照らす人通りの少ない夜道で舞い上がる枯葉にじゃれつく首輪の無い猫。
赤からパッと青に変化するネオン。
舞い上がる枯葉。
夜の色と同化した鳥。
首輪の無い猫。
赤からパッと青に変化するネオン。
舞い上がる枯葉。
月が照らす人通りの少ない夜道で舞い上がる枯葉にじゃれつく首輪の無い猫と赤からパッと青に変化するネオンの脇を飛ぶ夜の色と同化した鳥。
――強風に飛ばされてきたどこかの店の袖看板。
舞い上がる枯葉。
後方上空から風に乗って飛んで来た袖看板が、風力だけでなく重力の助けも受け、もの凄い速さで健太の後頭部を直撃する。
健太はその場に崩れ落ちた。
ほぼ即死だった。
ほぼ痛みを感じず、楽な死と言えた。
「大吉」と書かれたおみくじは、軽く握ったままの健太の手の平の隙間から入り込んだ強風に攫われ、夜の闇の中へと溶けて行った。
絶望と共に生きた若者と言えど、人ひとり死んだ夜であったが、それは同時に健太の願い叶った夜であった。
満月の綺麗な夜であった。
(完)