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心折れやすい私が、格闘技をやって得ているもの

私は格闘技をやっている。

と言っても、仕事の合間に、趣味で週2~3回稽古している程度である。
そして、それすらチョイチョイ心が折れてサボったりもする。

さて、誰かと趣味やスポーツの話になり、「格闘技をやっている」と言うと「ほぉ、すごいっすねえ」とか言われたりする。

まあ確かに、大人であれば、それぐらいのリアクションは普通にしてくれるのかもしれないが、根が単純な私は「すごい」と褒められて嬉しかったりする。

また格闘技の場合、その他のスポーツとは違い「上手」か「下手」かに加え、「強い」か「弱い」かという概念が出てくることもある。

「はぁ、強いんすねぇ」とか言われることもある。

私の場合、子供の頃からずっと続けてきたわけでもなく、上に述べたようにチョイチョイ心が折れるという体たらくでもある。

あくまで「現時点」で格闘技の稽古をチンタラ続けているだけに過ぎないので、これはなかなか小恥ずかしいものがある。

ただストイックに思われたいという見栄っ張りな性格もあり、また相手もそこまで深く考えて言っていないとも思うので、「いや~、全然そんなことないっすよ」などと、敢えて強く否定もせず、ヘラヘラしている。

むしろヘタに「いえいえ、ダラダラ続けてるだけですから」などと言うと、相手も「いえいえ、続けてるだけでも立派なものです」などと1ターン余計に気を遣わなければならなくなったりするものである。

返答に困るのが「はあ、強いんすか?」とか言うものである。
これは一応、疑問のかたちで来ているため、ただヘラヘラしていて良いものなのか、判断に悩むところである。

これは生き物として肉体的に「強い」かどうかと聞かれているのだと思うが、自分としては、上に述べた体たらくであるので、全然強くも何ともないと言いたいところである。

むしろ、ジムではいつも化け物のような人たちにボコボコにされているぐらいであるから、ちょっと強めに否定したい気持ちもある。

ただ格闘技というルールの中での「強さ=上手さ」という意味と捉えると、入門したばかりの未経験者の人には「ルール」の中で、自分の技が優勢であったりもするのである。

すると「まあ、ルールの中では勝ったりすることもありますが、、、」という枕詞を付けた上で、「でも、まだまだっすよ」と、一度軽く押したと見せかけ、その後で引いた方がカッコいいのではないか、と実に「浅ましい」邪心が出たりする。

心が折れてサボっている割に「弱過ぎる」と思われたくもないという浅ましい心がある時点で、実に格闘家っぽい「潔さ」みたいのに欠けていると我ながら思うのである。

また「強い」というのも相対的な話であり、「昔の自分」を比較対象にするのであれば、「稽古を続ける限り、過去の自分より強くなり続けているとも言える」という屁理屈めいた考えも出てくる。

「流した汗は裏切らない」などとも言えるが、実際に格闘技の稽古を続けることにより、過去の自分よりは確実に強くなることができる。

格闘技を続けているものの「格闘技をやり始める前の自分」より全然強くならない人というには、これまでお目にかかったことがない。

そうすると「まあ、昔の私よりは格段に強いと言えますでしょうなぁ」というのも、これはこれで何ともカッコいいのではないかと思ったりもする。

、、、と言ったことを長々と語りだすと、きっと面倒なやつと思われかねないので、結局「強いんすか?」と聞かれた場合も、私は「いや~、そんなことないっすよ」とヘラヘラしている。

少し癪に障るのが「強いの?」の後に「何か意外だなぁ」ぐらいならまだしも、ご丁寧に「あまり強そうには見えないですね」というようなことを言う人が一定数いたりする。

全くもって余計なお世話である。

しかしながら、我ながら「強そう」には見えないと自覚もしている。

私は子供の頃に実質「6年」ほど空手を続けていた。
開始時期と終了時期を考えると「8年」とも言えるので、まあここでは少しカッコ付けて「8年」続けたことにする。

大人になってからは、コロナの前に「1年弱」、コロナが少し落ち着いてから「1年弱」ぐらい、総合格闘技の稽古を「週2~3回」程度で(サボりながら)続けている。

トータルの期間だけで言うと、格闘技歴は「10年弱」と言うこともできる。

さて、皆さんは「格闘技歴10年弱」と聞いて、どのような人をイメージするだろうか?

論理的な人は「その人がどれぐらいの熱意を持って、どれだけの強度で毎回稽古をしてきたかが分からないし、身長、体重、骨格の太さなどの基本的なデータがないので、答えようがない」などと言うかもしれない。

まあ、それもそうかもしれない。

しかし、私は単純に結構「猛者」のような人をイメージしてしまう。
そして、そのイメージが今の自分とあまりにもかけ離れていることを再認識するのである。

「別に人にどう見られたいかで格闘技を続けているわけじゃないだろう」と言われるとそうかもしれない。

ただ一方で「少しはそれなりに見られたい」という「浅まし神」が、またまた出てくるのである。

ここまで言っても「いや、それでもそこそこ逞しいんでしょ?謙遜してるんでしょ?」と思う優しい方が居られるかもしれない。

ただし、少なくとも、誰かから「逞しいですね」とか「ガタイがいいですね」などと言われることはない

「でも、シュッと絞れて見栄えがいいのでは?」と思われる方も居られるかもしれない。

仮にそうだとして、少なくとも、他人からそんなことを言われることもない

よく筋トレなどでは「6カ月も続けると、周りの人たちから体型の変化について何か言われたりする」と聞いたりもする。

ただし、そのように誰かから体型の変化を褒められることも特にない

「でも、何かあったら自分の身を守れるという自信はあるんでしょ?」と思われる方も居られるかもしれない。

いやいや、何かあったら「守る」より、真っ先に「逃げる」ことばかり考える自信がある。

「でも、街で誰かがいきなり殴りかかってきたら、何とか対応する自身はあるんでしょ?」と思われる方も居られるかもしれない。

それはさすがに治安が悪すぎる。
いきなり誰かに殴りかかられるとか、そんな怖すぎる状況は勘弁してほしい。

さて、ときには辛く格闘技の稽古をしているにもかかわらず、こう考えると「ない」もの尽くしである。

結局、格闘技を通じて、何か得ていると実感しているものはないのか?

実は、格闘技を通じて得ているものもあるのだ。

それは、、、、

稽古の後、「気分がとてもいい!」ということである。

ふ~ん。。。

、、、いやいや、ふ~んじゃなくて、これは結構重要なことである。

格闘技などの激しい闘争行為により、「テストステロン」と呼ばれるホルモンが大量に分泌されると言われている。

そして、この「テストステロン」が「幸福感」や「やる気」に繋がるらしい。

たまに「人が幸せを感じるかどうかは、結局、その人の心が決めている」などと聞いたりすることがあるかもしれない。

私も人の幸せなんて、半分くらいは「その人が目の前の出来事や環境をどう捉えるか」という問題だと思っている。

従って、「自分が抱えている問題は、依然として何1つ解決されていない。ただし、今日は気分がいい!」というのは、良い人生を送る上で重要なのだと思う。

そう、私は格闘技を通じて「より良い人生」を得ているのである!

因みに、上に述べた「テストステロン」は、男性(オス)の魅力を高めてくれる効果もあると言われている。

そして、女性によりモテるようになることから「モテホルモン」などと呼ばれることもある。

しかしながら、そのような効果が出ているという実感も今のところはない

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