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aki先生インドネシアへ行く


ジャカルタの歩行者天国

そんなこんなで赤道を超えて初めて来たジャカルタは、ピカピカの高層ビルが立ち並び、携帯の決済アプリや電子マネーなどのITツールを日本同様に使いこなし、ラグジュアリーブランドがズラリと入ったグランドインドネシア、スナヤンプラザなど、顔が映りそうなくらいにツルツルのタイルの床の大型ショッピングモールで食事をする会社員や、中堅層の通勤客が地下鉄やバス、自家用車で会社へ向かう大都会だった。

ホテルに泊まり、オフィスコンプレックスに通って終日をエアコンの中で過ごし、お昼はローソンでおにぎりとサラダを買うかフードコートでランチ、週末はモナスを観たり、プラザインドネシアでバティックを買って、スリブ・ラサなどで食事をして半月の出張を終えて帰国する…と日本とそう変わらない生活しか経験しないかもしれない。日本からアレコレ持ってきたものの多くをショッピングモールのスーパーで見かけると少しがっかりした気持ちとホッとする気持ちの両方がわく。常夏の熱帯メガシティの暑さは、暑いことは暑いが、意外に乾いた風が通るおかげで、東京のど真ん中に住む身にはいくらか凌ぎやすく感じ、早朝4:00に聞こえるモスクからの祈りの声と、陽光が霞むほどの光化学スモッグ、歩行者無視の烈しいラッシュや夥しいバイク通勤者(中には小学校高学年くらいの子どもライダーも)、それに過半数以上の女性はヒジャブにマスクが加わってますます覆う部分が多い、そういうことだけが異体験として思い出に残るのかと思う。

いっぽう、ラグジュアリーな五つ星ホテルの1ブロック下がった裏手の通りには、戦後直後の日本はこうであったかと思わせるバラックが、真っ直ぐのようで真っ直ぐでない、何年も壊れて補修されないボコボコで穴だらけの、漸く車1台分の幅の狭い路地に並ぶ。路地の終わりの表通り近くには、ワルンと呼ばれる屋台が集まって、通行人が何人買うのか知らないが、揚げ餅や点心や数足幾らの安いソックス、中身はまともなミネラルウォーターか怪しいボトル入りの水を積んで売っている。汚れきったそれらの屋台の裏では、店のおやじさんのこどもたちが裸足で地べたに座って遊んでいる。いずれ彼らが何らかの教育施設に通うことを願うが、未就学のうちはそうやって日々を過ごすのだろうか。あちこちにうろうろしているガリガリの野良猫たちは強烈な眼光でムダに金持ち日本人の私を睨めつけている。新品ピカピカの真っ白なシャツで物見遊山に来た無防備な自分が浮いていることが分かる。大真面目に国際協力しに来ただろうが、彼らには同じことだ。夜は1人だろうが複数だろうが、外に出てはならないと注意してくれてありがたい。

表通りで携帯を出してgoogle mapと風景を比べてキョロキョロ観光していると、スマホを引ったくられたり、貴重品をカツアゲされたりした事件の例を思い出さざるを得ない。今これを書いているiPadproもiPhoneも往来ではやたらに出せないので、シャッターを押して持ち帰りたいシーンは沢山あるのだが、見たものはこの目に焼き付けて言葉でスケッチするのみだ。

この大都市で通りすがりの私は、まだインドネシア社会の仕組みを捉えきれないが、若い人が、例えばビル周囲の植え込みや花壇の水撒きなど、炎天下に逞しく現場労働者として働いている姿や、ブラウス1枚¥70で見事なアイロン仕上げをして戻してくれたランドリーボーイに、右肩上がりの成長力の土台を見るような気がした。盗む勿れと教わるはずの宗教人でありながら、それほど金持ちでもない私の部屋の金庫に何が入っているかなどに興味を持つ、そういうことがなくなる日がそう遠くないことを願う。

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