生産性って、なんだろう?
テレワークになって4週目に突入。前代未聞の状態である。何度も書いてきたが、テレワークは本当にもう嫌だ。早く外に行きたい。でも、当分かなわなさそうだ。
もし自分が営業でなかったら、ここまでの状態にはならなかったのかも知れない。世の中の営業マンたちは一体どう過ごしているのだろうか。お仲間さんたち、私はもう無理です(笑)。
何かしら書くことや創ることはキライではない。音楽も然り。大型連休でもないのに、時間だけはあるにもかかわらず、このnoteの投稿も含めて、生産性が落ちているのは何なんだろうか。
最近よく巷で、「半強制的にテレワークになったことで働かないおじさんが本当に働いていないことが分かった」とか、「テレワークで生産性が上がった」とか、「テレワークで家族といる時間が増え、幸福度が増した」とか、テレワークでポジティブな結果を引き出したことを強調する風潮がある。大いに結構。たしかに、そういう一面はあるだろうし、ポジティブなことにイチャモンつけたいわけではない。
しかしながら、果たして生産性とは何だろうか。まず上記の例3つ目でいう幸福度は除外しよう。生産性が高い=幸せだ、とはいかないだろうから。では、生産性とテレワークの関係を問うたときに、Beforeコロナでの日常であった「最近どうよ?」的な不必要な邪魔がなくなることは、たしかに可処分時間が上がるかも知れない。しかし、代わりに子供たちの「あそぼー」コールがあるかも知れないし、奥さんの「家にいるなら家事やれよ(怒)」圧力に屈しないといけないかも知れない。
私はBeforeコロナでも、あまり会社に行かなかった。直行直帰が多く、たまに会社に帰っても、普段いないので会社での会話もそれ程多くはないので、「最近どうよ?」攻撃を受けることは少なかった。反面、社内外の飲み会は積極的に足を運んでいた。19時になると電池がよく切れて、飲みにいったものだ。
二日酔いの朝、ボーッとした頭と体を押して出張にもよく行った。移動時間が長かったので、体の疲れは溜まっていたと思う。営業は客行ってナンボだ。ヒラメ筋で有名な「足で稼ぐ営業」。たしかに古いかも知れないが、それが長年、染み付いている。
そういった意味では、テレワークは体は楽だ。営業も電話とメール、WEB会議ですべて済むなら、どれほど楽か。そんな楽をするなんて、昔の先輩方に大説教されそうだ。
でも時計の針は逆転した。「コロナで来るナ」「コロナで出るナ」。さて、足で稼いで、出張して、接待して二日酔いで過ごした営業活動が全否定された。効率、生産性。時代の潮目が変わるその瞬間に、私は営業マンとしてサラリーマンをしている。さて、どうなるのか。どっちに行くのか。そもそも行くべき方向はあるのか。
長年やってきた営業という仕事への想い入れは、相当強い。それを捨てる必要性に駆られるぐらいの危機感。離婚のときとはまた違う、大いなる試練。いつかはコロナは収束するかも知れない。しかし、Afterコロナの世界で、以前のように営業マンは受け入れられるのか。「ヒラメ筋は古い」と、切り捨てられるのではないのか。
ヒラメ筋が生み出してきた生産性を、テレワークで生み出せるのか。もちろん勝負はしてみる。しかしもはやそれは、違う職業なのではないか。
今日大事な会議があった。みんながみんな、このコロナの現実を一面では受け入れ、一面では受け入れていないように感じた。私がビンカン過ぎるのだろうか、はて。
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