「『女らしさ』とは何か」与謝野晶子
1921年2月に発行された『婦人倶楽部』に掲載された、彼女の主張。
今でこそ「中性的であること」「同性どうしの関係性」に対して寛容になってきたものの、未だに「女らしさ」についての概念は消えることはなく、これから先も、女性と男性を”区別”するカテゴリーがあれば残り続けるものだろう。
それでいてこれは20世紀前半に述べられているのだから、彼女は相当強く勇気のある女性であることがわかる。
母親の世代でさえ、「化粧をすることは社会人としての最低限のマナー」などと言い、ファンデーションを塗らずに就活したり、フォーマルな場面に出向こうとする私に「ちゃんとしなさい」などと言ってくる。別に塗っても塗らなくても変わらないしよくない?と言い返すと、「女性はそうするって決まりなんだって聞いたよ」と曖昧な答え。
母親は職場に就いてから、美容部員が来て「メイク講座」のようなものを開かれたことがあるらしい。その時代を生きて、それがスタンダードになっているため、なんとなく考え方が古いようにも感じるのだが…
仮にそれが「社会人のマナー」として周知されているのであれば、男性も同様に化粧をしなければならないはずだ。しかしながら、「化粧は女性がするもの」男性はどんなに肌が荒れていても(対外的にはイメージが下がるが)化粧をしなくてもいいような雰囲気があり、それが当たり前になってしまっている。
どうして100年たった今でも、同じような風潮で、同じように女性が頑張らなくてはならないのだろうか?
彼女は、性別の差が人間性の差までも生み出し、自分が女性であるというだけで劣等感を感じさせるような世の中に物申したかったのだと思う。
女性を代表して、というよりは、一人の人間として自分を見て欲しかったのだと。
彼女が現代の価値観を見たら、多少なりとも改善されてはいるものの、黙っていることはないだろう。