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目次を見ながら振り返った自分のnoteタイトルこれまでとこれから。

先日、このnoteのタイトル一覧なる記事を書いてみた。

これを作ろうと思ったのにはそもそも理由があって「今どんな感じ?」と俯瞰してみたかったのだ。なんでもそうなんだが、ちゃんと振り返りたくなったらやっぱり一覧にしてみるのが一番いい。

note記事の一覧はクリエイター画面でも管理画面でも見ることができるが、クリエイター画面ではサムネや冒頭文のプレビューがあり、一記事で画面半分ぐらいはいくから、パッと俯瞰できるわけではないし、管理画面なら全記事一覧やマガジンごとの表示はできるが、マガジンのなかの小カテゴリまで分けたいとなると、それはもう自分しかわからない境地である。

ここのところ、noteを更新したい気持ちが強いのと裏腹に、記事を仕上げることのハードルが少しずつ高くなってきている気がしていたのもあり、整理しながら一覧にまとめていくことで「わたしのnoteって今どんな感じ?」を俯瞰することで、客観視したかった。(もちろんこの目次の一番の目的は、なんらかのわたしの記事に遭遇した方が「他にどんなことを書いている人なのか?同じジャンルの他記事はどんなか?」わかるようにするためのものだが)

で、いざ一覧にしてざーーーーーっと見てみたら、ほんっっとうに多くの発見があった。この記事では、わたしが自分のnoteの目次をみながら感じたことをまとめつつ、これからの方向性を探ってみる。


総評:もっと人間が透けて見えたい。

目次一覧をみて思ったことを端的にいうならば、とにもかくにも

「つまらん!」

自分をむやみにディスりたいわけではない。ここまでそれなりによく頑張ってきた。なにかをコツコツ積み上げていきたいとアート系の記事中心に書きたいことを書いてきて、それだけでもまずはよくやったと思う。

会社をやめて最初にWEBライティングやろうと思ってからもう8年ぐらい経っているわけで。実際には会社員に戻ったり音楽に注力したりとずっとやっていたわけではないが、断続的に挑戦してきたにもかかわらずサッパリだめで、今となってはもはや自分がどうしたいのか分からなくなって書き続けるのは諦めるしかないとガッカリしていたところから「もう一度やってみよう」と這い上がってnote継続してる自分のことを心から褒めてあげたい。(趣味なのに大げさ)

しかし、タイトル一覧を見ていっても、この人がどんな人で、どんな記事を書いていて、どんな思考・嗜好があるのか?その「人となり」みたいなものはまるで見えてこなかった。どうりで、ハッシュタグからポツポツ「すき」をいただくものの、そこで停滞している雰囲気ただようわけよ。この時点で俯瞰してみて本当によかった。

もちろん、どこかで自分自身が迷っているせいもある。自分のことペラペラと話すのが本来好きではないし、それでも話したい気持ちが行ったりきたりするから結局どんな人なのか分からないように曖昧に書いてしまっている。もっと踏み込んだことを書きたいようで、それが恥ずかしかったり「こんなことまで公にしていいのか」とためらったり。そういう意味でも、なんだかハッキリしないのだ。

何を話して、何を話さないか、という決まりは作っておいたほうがいいかもしれないが、実際には内容より表現や切り口の問題も大きい気がしている。いずれにしてももうちょっと「人間が透けて見えてくる」タイトル一覧のあるnoteを作っていけたらいいのに。というのが自分のタイトル一覧をみて思った切なる感想だった。

さてじゃぁわたしのタイトル一覧、どういうところが詰まらなくて、どうなると良くなるのか?っていうのを以下3つの点を中心に改善点を含めてまとめてみた。

・アート系は、好きな作家さん、好きな作品、展覧会レポをもっと書く
・増やしたいのは「音楽」「エッセイ」
・タイトルに「感情」を乗せる

1. アート系は好きな作家さん、好きな作品、展覧会レポをもっと書く

自分が特に力を入れてきたつもりのアート系の記事は、もっともフワフワとして詰まらないタイトルが多かった。それもそのはず、ただリンクを貼ってまとめているだけだったり、多少なりとも自分の意見を本文に書いているとしても、それをタイトルに反映できるような書き方ができていない。(タイトルにも展開にも難ありということ)

そうなる大きな理由として、わたしはアートの専門家でも評論家でもないということがあるのだが、それでも情報は情報だから、参考にしてくれる人もいるだろうし、基本は自分が知りたいことをリマインダーとしてメモっているわけだから、それ自体が書いちゃダメ!というわけではないのだが。やっぱりただの二次情報の羅列にすぎないし、タイトルも広いインターネットの海原に秒で埋もれてしまいそうなぐらい個性がないし、出しようがない類の記事なわけである。

こういう記事がたまにあるのはいいと思うし、サイト全体から個性がただよっていれば「こういう人が興味のある展覧会ってなんだろう?」と気になって読んでくれる人も増えていくかもしれない。だが、こういう記事ばかりをたくさん書いても実際に「個性」として積み上がるものは少ないということは、しっかり自覚しておかないといけない。

そのうえ「行きたい◯◯リスト」って基本はフロウ記事。レビューとちがってストックにはならない。自分のためにまとめるのはいいが、同時に「自分にしか書けない記事」をもっと充実させていく必要がある。

アート系でいえば、好きな作家さん、好きな作品についてこれでもかというほど語ってみること(めんどくさくてやってないの境地)。

そして展覧会レビューについては、ただ「楽しかった」「よかった」ではなく、具体的でわかりやすくまとまっていたり、なぜ行ったのか?なぜ好きなのか?なぜよかったのか?というところまで踏み込んで自分なりの視点で分析されていたりするべきだろう。

個人的なタイプとして、レビューによくある星の数でおすすめ度や満足度を示すような理路整然とした「具体的でわかりやすくまとまった」記事は書けない。だとしたら自分なりの視点で掘っていくしかないので、今後はそこらへんを意識して書いていこうと思う。

レビューをなんでこれまであんまりやってきてないか。レビューは苦手という言葉で終わらせてるんだけど、やっぱり大変なんだよね。まとめるのが。でもそれができなかったら、アート系の記事はこれ以上あまり伸びないのだなというのが、今回目次をみながら突きつけられた現実。

まぁそれはそれで、アートの専門家でも、鑑賞するプロでもないから仕方ないんだが。創作する人間として少しは踏み込んだことが分かっているつもりでやってきたわけだから、少しはチャレンジしてみようということ。

2. 増やしたいのは「音楽」と「エッセイ」

アート系はとにかく今の自分の大きな興味分野として、楽しみながらも広げていきたい。けど、わたしのnoteがアート作品や展覧会のレビュー一色に染まったとしたら、わたしはそのタイトル一覧をみてどう思うのだろう。それはそれで「わたしっぽくない」なのだ。

ここでまたHSS型HSPっぽさも出てきているわけだが、本来わたしは音楽をやる人間だというのが根底にある。音楽をやっていて、音楽をこよなく愛するからこそ、アートという高尚な創造の世界、そして抽象的でクリエイティビティを掻き立ててくれる現代アートの世界に魅了されているのだから。

そういうことから、わたしが自分のnoteのタイトル一覧を見ながら、今後増やしてきたいと客観的に感じた分野は2カテゴリ。「音楽」と「エッセイ」。

音楽については、言うまでもない。音楽のことを言葉で伝えることには抵抗があるが、今は書くことが環境的にもメインの表現方法になっているわけで、それを否定する必要もないから、書ける範囲で書いてて楽しいことだけでも書いていくのがいいと思う。(ただ今のところ、書こうとして途中でやめちゃっているのだが・・・)

音楽といってもいろいろあって、一つはレビューで、これは過去にいくつか心が動いたときにだけ書いているので、今後も書けるときには書きたい。(が、あの沸き立つ気持ちを人に伝わるようにまとめるのはほんっとうに大変なのであんまり書きたいとは思ってない、しんどすぎる。。)

そしてあとは、音楽活動や自分の作品に関すること。これも、じつは長々と文字でつづるようなものではないと思ってきたんだが、少し考えを柔軟にしてやってみようと思う。(時代は移り変わったのだよジェイくん←誰)

具体的な活動が見えてないまま、文字ばっかり書くことに抵抗があるというのが一番の理由ではあるが、そこらへんのバランスも書きながら整えられると信じて、いったんはやってみる。

具体的には
・過去につくった曲、カバー曲の紹介
・つくったときのエピソード
・自分の音楽歴
・どうやってボイトレ&リズムトレーニングしたか
・好きな音楽ジャンル
・現在の活動にかかわる記録(日誌、DTM機材レビューetc)
などなど。

書いてみると、いろいろ書けそうと思うんだけど、いざ書き始めるとやめちゃうのなに。ま、ポイントとして「今後の音楽活動を加速するため」という目的と基準で、書けそうなことを絞りながら書いていこうと思う。


そしてあとは「エッセイ」。日々の気づきを、起承転結など人に読んでもらうことを前提にそれなりにちゃんとまとめたものなんだが、こういう記事は、書いている自分も楽しいし、溜まっていったら自分のパーソナリティが透けて見えるタイトル一覧になるのではと楽しみになる。

じゃなぜそんなに書いてないのか?それは「わたしなんかがエッセイ書いて誰が読むん」というブログライティングでの「芸能人でもないのに日記書いて誰が読むん」的な「キーワード優先」の世界でコテンパンにいじめられたことで卑屈になってて(本とか記事とかで読んで自らを追い込むようになったという意味)、なかなかフォーカスできずにいる。

が、noteでは他の記事とあわせてちゃんと書いて育てていけば成立していくのではと思ってきている。別に本にしたいわけじゃないし、大人気にならなくてもいいわけだから。ときどき誰かがすごく共感してくれた、って感じられたら、それで十分なのだから。

3. タイトルに「感情」を乗せる

ここまで「何を書いてタイトル一覧をいい感じにしていくか」を書いたけど、最後は「タイトルそのもの」の話。

書いている内容がランダムだから、タイトルのつけかたにもムラがあって、そのときどきで内容に引っ張られていろんなタイプのタイトルをつけてきていることに、今回タイトル一覧をみて気づいた。これまでは何も考えずいろいろやってみた時期だからそれでいいのだが、今後は内容にかかわらずできるだけ方向性やテイストを統一できるといいのではと思っている。

(逆にどうしてもテイストが揃わないとしたら、その記事のテイストや切り口が自分に合ってないと疑ってみたほうがいいのかも)

ある程度、内容がわかるタイトルという意味ではそんなに基準は変わらないが(ていうか全員それ)「言葉の選び方」という観点で、すこし切り口をそろえようとしてみる。

基本的な方針として

・固有名詞に頼りすぎない
・固有名詞は1つに絞る
・説明的でなく情緒的な表現を選ぶ

固有名詞に頼りすぎない。

WEBマーケティングとは逆にいくようだが、固有名詞をタイトルに絶対つかわないということでなく、なんらかのまとめ記事を書いたときにあれもこれも捨てられずタイトルのなかやカッコ書きで羅列するみたいなタイトルがあったので、これはもうやめようと思った。

これね、羅列するのには意味があって、アクセスが欲しいというクレクレ記事なわけです。キーワードで引っかかれ!つって。もうそのクレクレ感がめっちゃ漂っているし、そういう記事をうまく書くにはスキルがぜんぜんない。わたしがそのまとめ記事を書く価値が低いということだ。まとめ記事だけどまとまってない。

だからそういうタイトルにしたくなる記事は原則書かないか、記事の内容を変えて、ちがう形で出すようにしたほうがいいんだと思う。今の自分がイメージしてるかぎりでは、まとめた内容を一つずつバラの記事にするのがいい。あるいは切り口を変えて、自分の考えにもとづいたタイトルにして、中身はまとめ記事という感じ。

バラの記事にする場合にそのタイトルにも固有名詞を入れるかどうか、それはそのときによって違うと思うので、都度考える。

固有名詞は1つに絞る。

前項とつながってる話で、タイトルにつかう固有名詞は1つにする。まとめ記事でも、タイトルに固有名詞を羅列したくなる記事は、内容が薄いんだと思うから。

複数の固有名詞が出てくる内容でも、タイトルにつかうのは最大1つに絞る。まとめ記事をバラすか、記事の内容を変えてタイトルの固有名詞1つに比重を置いたものにする。

そして大事なことは、タイトルに絶対固有名詞を入れないといけないわけではない。(というやり方にしてみる)たとえば展覧会や本や映画のレビューだとしても、コラムを主軸にしたいときは、タイトルをその固有名詞そのものにしないでキーワードや雰囲気だけ漂えばいい場合もある。もちろん使いたければそのまま使ってもいいんだが、読まれないことを恐れたり固有名詞を出さないことを機会損失みたいに考えてる頭があるので、そういう計算を取り払ってみる。よろしく。(何)

プロのライターさんがどうタイトルをつけるかちゃんと分かっていないけれど、どのみちわたしにはWEBメディア記事みたいな明瞭闊達にパパーンと結論があって、各項目も簡潔かつ詳細に説明された、ザ・プロ!な記事は書けないわけで。

イメージでなぞるように書いた記事もあるが、それが良い記事かというぜんぜんちがって、なんだか偽物感がただよう。なぜなら偽物だから。たぶん、その観点でまとめるために必要なリサーチが足りてないのだろうね。

せっかく検索キーワードに縛られるブログライティングの世界から逃げ出してきたんだから、noteでそれやろうとしないこと。

説明的でなく情緒的な表現を選ぶ。

どんな内容かを説明したものではなく、その内容について自分が「感じたこと・感じていること」という感情の乗った表現をそのままタイトルに盛り込む。こういうのは書く人のタイプや内容によってどっちが合うか変わってくるだろうけど、上述のとおり、わたしには理路整然とした説明や解説がうまくできることが少ないので、こっちが合うと思う。

もちろん自分なりには整理して書いているが、わたしの書く文章というのは「なんらかの情報を知りたい」という人には不向きで、「なんらかの情報について知ったうえで何かを感じたい」人に向いていると思うので、その感情が結論になると思うので。

ここらへんは感覚的なので、自分もやりながらわかっていくことだと思う。

まとめ

ということで、我ながらなかなかのご指摘だとは思うんだが、ここに書いたとおり進められるかどうかは謎。(ええ!ここまで書いておいて!)

noteに関しては、とにかく更新が負担になることだけは避ける必要があるので、これらのことをやってみて、更新の負担が減るようなら続けるし、負担が増えるようならそれは無視する可能性もある。

それと、ここに書いてあることはあくまでわたしの独自の視点からわたし自身に指摘したことであり、一般的なライティングスキルでもなんでもないことを最後に添えておきたい。文中で自分に指摘しているダメ出しは、他の人にはあてはまらないかもしれないし、改善案も、誰もがこうやったらうまくいく、というものではないので、ただの読み物として軽く読んでいただけたら・・・。

ということで、今日は更新が夜ギリギリにならなかったことが最高だなと歓喜に湧きながら終わりとします。

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