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ある日、突然に。
張りつめている糸は、ある日突然プツリと切れるという話。
例えば最初から「ピンと張っている糸」がここにあるとする。そこにほんの少し力を加えて、さらに引っ張ったとしても、見かけは相変わらずただ「ピンと張っている糸」だ。だがそういうことを繰り返して、少しずつテンションが増えていっても、あとどれぐらいで糸が切れるのかなんて分からない。
その糸が切れてしまうまで、ギリギリだったことなんて知る由もない。
昨日までのわたしもそうだった。ずっとずっと、どれぐらい張りつめているかは分からずに、それがもうギリギリまできていたとは知らずに「大丈夫」「大変だけど、前向きに進もう」そんな感じで、あちこち少しずつ無理をしながら、前を向いて耐えていたようだった。
自分なりに前向きに処理するための行動も起こしていたから、本当に悪いことばかりじゃなくて、ぜんぜん気づかなかった。たしかに糸は張っていたのかもしれないが、切れる直前まで、わたしは幸せだったし元気だったし、大変なときこそ「あとは上がるしかない」とピンチをチャンスに変えることが好きだし、人生がいい方向に行く気しかしていなかった。
不幸自慢をしたいわけじゃないから具体的には書かないが、とにかくそれなりに大変なトラブルにも前向きに対処していたところに、ダメ押し的な一撃を食らったのが昨日だった。
糸が切れたわたしは、本当に急に頭が真っ白になり、何事にも集中できなくなった。あんなに意欲的だったのに、なにこれ?そう思うと余計に焦って、ただパソコンに向かって何もできないままだった。
なんとか持ち直そうと、そこからさらに頑張ったところ、さらに裏目に出てトラブルになり、わたしはついに爆発した。不幸のどん底に落ちて、深い深い闇の中でただ頭を重くして泣きじゃくった。
感情を爆発させるのは、疲れる。歳を重ねるごとに、疲れるからという理由で思わず避けてしまうことが増えているのだが、あまりに溜めこみすぎるとこうやって予期しないタイミングで爆発してまう。
だからこそ、普段からうまくコントロールしてあげるのが理想だけど、今回は大失敗。こんな大失敗は久しぶりで、若かりしころ、社会の矛盾や自分の不甲斐なさに、やりどころのない気持ちをただ爆発させるしかなかった日々を思い出して懐かしい気持ちにすらなった。
けどまぁ、起きてしまったことは仕方ない。爆発してしまえば、あとはスッキリして収束していくだけだから、それはそれでいい。あれこれ対応すべきことも、一つ一つ丁寧に対応していけば、ちゃんと落ち着いていくだろう。
人生こういうこともある。肝心なのは次に活かすこと。同じ失敗しないよう、ちゃんと修正していきたい。
今のわたしの場合、noteだけはサボっちゃいけないと痛感した。
年が明けてあれこれ新しいことを始めたくて、ただでさえバタバタしているところにTODOリストを追加しまくってしまって気持ちが分散していたけれど、今の自分にとって、noteは感情整理や自分と対話ができる唯一の場所なのだから、あれこれ優先順位に迷ってないでnoteだけは守るべきだったなと反省。
誰しも生きていれば、色んなトラブルもあるし予期しない出来事が続くこともある。
そんなとき、張り詰めた糸には用心したい。
自分で大丈夫だと思っても、その張り詰め具合までは分からないときがあるからだ。「大丈夫だ」「前向きにやろう」そういうときこそ、いつも以上に努めて自分の心に耳を傾けてあげるのがいい。自分で思っているより、もっともっと繊細な心の声が聞こえてくるかもしれないから。