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蛍は光り、人は声を出すけれど

夏風邪をこじらせてしまい、5日ほど寝込んでいる。クーラーの影響か、喉がやられてしまった。

夫は出張に出ていたし、最低限の食料は宅配で賄っていたので、三日三晩ほど「あ」とも言わない日々を過ごした。

声というのは、「私はここにいる」とその場で伝える最善の手段なのだよな……とそれが出なくなるときいつも思う。触れる、叩く、もしくは殴るといった動作で気持ちを伝えるのはあまりにも直接的だけれど、音は空気を震わせて周囲に届く。その色によって、心の内までも伝えられる。残念ながら我々は蛍のように光を放つことは出来ないけれど、その代わり豊かな色を持った声を出すことが出来るのだ。

それに加えて私は元来よく喋る人間なので、こうしたときは経験上かなり気持ちが滅入る……のだけれど、今回はそうでもなかった。

──

というのも、薬が効いて熱が下がっている間にずるずると寝床から這い出て、古琴を爪弾いていたのが良かったんだろう。声は出ないが、音は出せる。誰かに聴かせる訳でもないが、自分が音を出して自分でそれを聴く……というだけで、ずいぶんと欲を満たせるものだ。ヴィオラは最も人の声に近いと言われているけれど、東洋におけるそれは古琴なのだろう。とりわけ指を滑らせながら奏でる按音というのは「人の声」とされているのだから、自分が歌っているような気持ちにもなり、誰かと語らっているようでもある。

夕方少し涼しくなった折には、網戸にして虫の音と重ねてみたりすると、これがとてつもなく心地が良い。声が出ず、人に会わずとも、会話のようなものは出来るのだな……と束の間悦に浸っていると、やかましい大型バイクの群れが走りすぎていき情緒をブチ壊す。「私はここにいる」という主張の仕方は人それぞれね、と思い知りながら窓を締め、また寝床に戻るのだった。


(今練習しているのは、李白の詩『秋风词』を琴曲にしたもの。秋の悲しい恋の歌)

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寝床の中ですべきことは安静第一……ではあるけれど、ずっと安静にし続けるのも退屈で、とはいえ読書をしたりスマホをスクロールするほどの活力はない。そんな状況を豊かにしてくれているのが、オーディオブックの集まったAudibleなるもの。

Audibleというのは以前、1ヶ月だけの無料体験をやってみたものの、アプリのランキングには軽佻な自己啓発書や過度に右寄りの本が並んでいるので、好みではないな……と離脱していた。かつ、現代文を味わい深いナレーションで再生されるのは、個人的にはあまり耳馴染みせず、オーディオブックというもの全般が性に合わないものだと思いこんでいた。

が、とある仕事でAudibleを使うことになり、「ちょっと真面目に探してみよう」と今度は、古い小説などを中心に探してみたところ、かなりの数のオーディオブックが出るわ、出るわ。たとえば夏目漱石だけでも『こころ』『三四郎』『坊っちゃん』『それから』『吾輩は猫である』……ほかなんと96タイトルも揃っているのである。男声によって色めきだった女の台詞が読み上げられるのは少し気味が悪いけれど、まぁ歌舞伎のようなもの……と割り切りながら、夏風邪をこじらせる以前から家事のお供に色々と楽しんでいた。

そして今回、布団で横になるばかりの数日間を充実したものにしてくれたのは『源氏物語』瀬戸内寂聴 現代語訳。これがまぁなかなか面白くて、全54帖あるうちの13帖、「明石」まで辿り着いてしまった。まだ先はながいが、これでもかなりの長旅である。

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