2歳男の子 はじめての外科手術
初夏某日、お風呂上がりの息子をタオルで拭いていると、何だか玉袋の大きさが違う?と異変を感じた。
翌日になっても大きさの差は治まらず、夫に訊いても分からないと不安げな顔をされてしまった。
同性の夫でも分からないとなると、異性のわたしはもっと分からない。
念のためお医者さんに診てもらおうと小児外科で診察を受けた。
玉袋にライトを照らされ「陰のう水腫ですね」と診断された。
100人に1人が発症する病気で、陰のうの中にお水のたまった袋があり、陰のうが大きく膨れている状態だそう。
大抵は1歳になる前に自然と治るらしいが、息子の陰のう水腫が分かったのは2歳過ぎ。
痛みや緊急性は無いけれど自然に治らないので、手術が必要になります。とあっさり言われてしまった。
その言葉の意味を自分事に落とすまで半日はかかったと思う。あまりにも随分あっさりと言うんだもの。
義母と医師から言われた「どうしてもっと早く気が付かなかったの?」という言葉がとても悔しかった。そんなの自分が1番思っている。
夕方、息子への申し訳なさでいっぱいになり声を押し殺して泣いた。
大きな病院へ紹介状を書いてもらい、夫にも同席してもらったが、やはり「陰のう水腫ですね」と診断された。
命に関わる病気では無いため、手術しなくても問題ないらしいが、手術しないとずっと水が溜まったままとなる。
手術するにしても少なからず合併症や後遺症のリスクがある。
夫と話し合い、息子の将来を考えて、記憶に残ることが少ない2歳の今、手術することにした。
翌月に手術が決まり、レントゲン、血液検査、心電図が必要になった。
息子はどれも初めて。当然の如くギャンギャン泣く。
レントゲンと血液検査は、親は検査室の外で待たされた。
沢山泣いて目元が赤く腫れてしまっていた。
心電図はパパの上に寝そべって挑戦したけど、沢山体に付けられてジッとしてるのは難しい。大人でも冷んやりしてくすぐったいよね。
何度もやり直しになってしまい、技師さんに大変な手間をかけさせてしまった。
その節はありがとうございました。
息子もたくさん頑張って偉かった。
2泊3日わたしも付き添い入院することになり、入院中のアレコレ大丈夫かな。と1人ブツブツ呟いていると、息子に「まま、えいえいおー!」と言われた。
1番頑張る息子に応援されてしまった。情けない母。
もうそこからは取り越し苦労をやめて、何とかなるさ!大丈夫きっと全ては上手くいく!と考えることにした。
あっという間に月日は流れ、前日から入院していよいよ手術当日。
手術着に着替えた息子に「絶対大丈夫だからね、頑張ろうね」と何度も何度も声を掛けた。自分にも言い聞かせるように。
成功だけを考えて緊張しながら待っていると、手術室から担当医が先に出てきた。
「無事に終わりました。麻酔が切れて、本人はママを探しながら怒ってます」
その言葉の後、ベッドの真ん中でムスッと天井を睨みつけて不貞腐れた表情の息子が出てきて、何だか愛おしさと面白さが溢れて涙が引っ込んだ。
手術後3時間は意識が朦朧としていて、抱き締めていないと泣いてしまう状況だった。1人でたくさん頑張ったもんね。
手に点滴をされ、傷口の痛みで思うように動けない息子にとって、自宅から持参していた「はじめてずかん 」と「くもんの絵さがしブック」が非常に気分転換になったようだ。
絵さがしブックは初見だったことが功を奏した。自分グッジョブ。
夕飯が運ばれて来る前に空腹になったようで、母のおやつにと持ってきていた干し芋とbaseパンをバクバク食べられてしまった(看護師の了承済み)。
翌朝になると自分の足で立って、キッズルームのおもちゃを求めて歩けるようにまで回復した。
子どもの回復力、凄まじいスピードで羨ましい。
わたしは帝王切開の痛みが1週間近く続いてヒイヒイ言ってたのにな。
帰りの車内で「頑張ったね、格好良かった。いつもどんな時も好きだよ」と伝えていると、少しずつ言葉が増えてきた息子に初めて「まま、だいすき」と言われた。嬉しくて泣いた。
今では傷口の跡が綺麗に目立たなくなってきたが、息子は傷跡を見付けると思い出したように「いてて…」と弱々しく口にする。
その度に「頑張った証だね、本当によく頑張ったね。えらい!」と伝えている。
この文章を打ちながら、やっと安心してきた。
本当によく頑張った。
今日も元気でありがとう。心からそう思う。
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