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ルーツミュージック、ルーツムービー①

今回から何回かに渡ってルーツについて考えていきたいと思います。

技術習得、鍛練を棚に上げてセンスが一番なんだと思い込む若気の至り…実際かつての私もそんなところはあったと認めざるを得ません。
例えば、知識があって変化を好む考えと、知識なくセオリー無視の表現方法には雲泥の差があるという事が若い時分の直情性には理解できないのです。
‘基礎があって応用が試せる’という基礎を学ぶ事を怠っているだけなのですが、これは義務教育時の学業の取り組み方と似ていると思います。
これだけを今みたく教えてくれる大人に出会っていたら自分の人生も変わっていたかもしれません(笑)。

基礎を私的解釈はルーツと表現します。
ルーツは源流、言い換えると‘リスペクトの心’と言えます。
近年、そのルーツは時代の流れの中で何かと蔑ろにされているように思えてなりません。様々な媒体に有り得ているとおぼしき事です。

タワーレコードの名文句を和訳‘音楽無しには生きていけない’実際その通りだなぁと最近ふと感じる音楽、加えて映画を私なりの観点で少しばかり入り込んで‘リスペクトの心’というフィルターを通して、今論じる時期に来たと思った次第です。

このテーマを取り上げるきっかけは或るインターネットの記事を目にした事でした。
2015年に是枝裕和監督が作った『海街diary』についてです。
高い評価を得てカンヌ国際映画祭に出品され、海外記者からの質問を受ける会見上、作品の類似性として小津安二郎監督作品からの影響の有無が問われました。特にヨーロッパでの『東京物語』『晩秋』はヨーロッパの名匠たちに多大な影響を与えました。私も尊敬して止まないドイツの巨匠、ヴィム・ヴェンダースの代表作品『ベルリン・天使の詩』では「全てのかつての天使、特に(小津)安二郎、フランソワ(トリュフォー)、 アンドレイ(タルコフスキー)に捧ぐ」というクレジットで作品は締め括られています。小津監督がヴェンダースのリスペクトの系譜にあることがよく伝わります。
『海街diary』のカンヌでの記者会見には、作品の四姉妹を演じた綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずも同席していました。彼女たちにも勿論質問が飛び交ったのですが、一つの質問の回答が私には興味深く考えさせられました。
「皆さんは小津作品をご覧になった事がありますか」
当時は今から6年前、現在はまた違う答えなのかもしれませんが「あります」と答えたのは綾瀬はるかのみだったという事です。

私はこの件を知り、この時の記者会見のレポートを検索、調べてみました。明確なやり取りは発見できませんでしたが、確かに綾瀬はるかが何作品か小津作品を観ましたと答えているコメント部分を見つけることはできました。

監督にとっては俳優はある意味、駒ですからイメージに沿って動いてもらえればOKですので、それ以上問うものではないのですが、自ら内面を深掘りしていくことができるか否か、表現の奥行きや所作とは何か、もし表現を仕事にしている人であれば何気に突き当たる疑問だと思うのです。その疑問を解明しようとするかしないかで私は表現者としての運命が分かれると思っています。

大学や専門学校で映画をアカデミックに学ぶ機会が増えている功罪を指摘します。
そこに小津作品は必ず登場します。習わされて素材に落とし込まれた小津作品を受け入れる生徒と一方難しい、つまらないと捉える生徒を現状生み出しています。
これは知らないより知っている方が良いというレベルで小津監督の狙いや映像観が身に付くはずなどありません。
結局、姿勢なんだと思うのです。
つまり教育とは自発的に興味をもたせる動機付けのポジションにあるべきで、何でも手取り足取りが正しいという事ではないという観点に立つ必要があります。

このテーマは深く、いろいろ広がっていきそうですので若尾文子風に今宵は此処までといたします。

こちらは下関で営む『夜バーク』、ある日の季節の旬野菜で織り成された定食。
『夜バーク』については是非検索してみてください。
旬料理を食せる幸せ…一寸したことに感動を覚える昨今です🍀


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