百合と葱坊主 くどうれいん「うたうおばけ」を読んで
書肆侃侃房から、くどうれいんさんの『うたうおばけ』が刊行された。
下記書肆侃侃房のnoteに掲載されていた連載が元となる一冊である。
2020年5月12日現在も、noteの連載分は無料記事として読むことが出来る。
とっても太っ腹な事である。
『うたうおばけ』という題名の由来となるエピソードが書かれた
『第1回 うたうおばけ』も、初回から読後の満腹感が気持ちいいのだけれど、私が(noteで公開されている中で)一番におすすめしたいのは、
『第7回 死んだおばあちゃんと死んでないおばあちゃん』だ。
おすすめしたい、というより単に私が好きだ。
好きだ、と思う文章の一つの基準に「自分の身の回りのことを想起させられる」がある。
この第7回を読んで、私は私の二人の祖母を想った。
くどうさんのおばあちゃんたちとは微塵も似ていない私の祖母たちだけれども、読むうちに、くどうさんのおばあちゃんたちが私のよく知る人々のように思えて、私の祖母たちによく似ているように思えたのだ。
私が、私の祖母たちを想うとき、必ず花のイメージが紐づく。
それは両者ともが園芸を愛していることに由来するのだろうと思うし、それぞれに紐づく花のイメージは、それぞれが育てていた花木に影響されている。母方の祖母は百合や蘭といった華やかな花。父方の祖母はネギ坊主やどくだみの花といった身近な野花だ。
豪華な花は人生に彩を与えてくれる。
一方で身近な野花は生活の役に立つ。
ネギ坊主は、玉ねぎが野菜で一番好きな私にとって、桜に並ぶ春の喜びの花だ。
遠方に暮らす母方の祖母宅に飾られた百合は、長期休みの時にだけ見られる非日常の象徴だった。
祖父の話もしたいところだけれど、脱線が過ぎるのでまたの機会にとっておこう。
くどうれいんさんを知ったのは、昨年元同僚によって勧められた
『わたしを空腹にしないほうがいい』だった。
「これ、こばちゃん好きやとおもう!」とパッと渡されたので、パッと買ってしまった。毎回「やってくれるぜ」と思うんだけど毎回間違ってないから悔しいけど後悔しない。
短編やエッセイは、先頭から読まない癖がついていて、ちょっと前に流行った「目を閉じてたまたま開いたページが今日のあなたの道しるべ」みたいな本みたいに、その時たまたま開いたページをランダムに気が済むまで読む、という読み方をする。この読み方には利点も難点もあるけれど、それもまた別の機会に話したい。
『わたしを空腹にしないほうがいい』もそのように読んでいる。
70頁に満たない小さな本を、そこまで時間かけて読める? と驚かれそうなくらいゆっくり読んでいるけれど、驚いちゃう人にはそういうふうに読む方が楽しい本もあるんだよって、オススメしてあげたい。
『うたうおばけ』の冊子はまだ手に入れてないけれど、手に入れたら同じように時間をかけて読むだろう。
近所の書店の臨時休業があけるまで、お楽しみに取っておくことにする。