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勇気づけられたいすべての「書けない」人へ 『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』

ウェブ上に何かを書くようになってから15年以上経っている。身辺雑記のブログから、本について、映画についてなど、テーマとプラットフォームを変えながら書いてきた。

身辺雑記ならいくらでも書ける。それは「書けない」にハマっている今でもそう。書けるけれども、何者でもない者の身辺雑記など読みたい人などほとんどいないだろうし、書いていても意味があるのだろうか… というところから、2016年にはてなでなんとなく始めたブログに、テーマを絞って映画についてだけ投稿するようにし始めたのが、確か2019年だったと思う。

もっと気軽に書きたい(そう、映画について書くことは決して気軽ではないのだ。なので全然更新できない)と思って、noteにドラマについて書き始めたのが去年、2020年のことだ。Netflixでドラマを見始めたのがきっかけだった。

そして近頃は、ドラマも映画もそこそこ観ているのに、「書けない」にハマって二週間近く記事をアップできていない。「気軽に」書こうと思って始めたnoteなのに、だ。

ドラマについては、いきなりゼロからnoteに書いている。つまり「気軽に」書いている。参照するようなメモも特にない。公式サイトがあれば見る。記憶と記憶から引き出されてきたことを書くので、書けないときは全然書けない。

映画についても似たようなものなのだが、映画館で作品を観た後に、書けるようならちょっとしたメモをiPhoneのメモアプリに書いておき、それらと公式サイトを見ながら、パンフレットを購入した場合はそれを眺めたりもしつつ映画を思い出しながら書く。基本一度しか観ていない状態で書くので、思い出せないことも多いし、メモもろくでもなかったりするので、やっぱり全然書けない。

そんな中たまたま『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』が目に留まった。


これがなんともおもしろかった。

ここでは、まず著者四氏(千葉雅也、山内朋樹、読書猿、瀬下翔太、敬称略)が、それぞれの「書けなさ」に向き合い、真摯にかつカジュアルに語り合っている。語り合った後に、その後の変化について三年後にそれぞれ執筆し、さらにその原稿を読みあった後にまた語り合う、というのが全体の構成だ。これまでこういった本ははなかったように思うし、今までに読んだいわゆる「文章指南本」よりはるかにおもしろく、また身に沁みた。身に沁みる、というのは大事なことだ。

多くの文章指南本が私の役に立たないのは、それら指南本が悪いのではなく、私には自分に書きたいことがあるのかないのかさえわかっていないからだ。ただ「書きたい」ということだけがあって、その中身についてはなにもわかっていない。書きたい中身がないのに、書きたいと思うのはなぜなのか。その答えが直接本書の中に書かれているわけではない。しかし答えを導き出すヒントは少なからずあった。そして自分の「書けなさ」の正体についても、かなりの気づきを得ることができた。

なるほど、ライティングの「哲学」と銘打っているのはそういうことか。

本書には、「書けない」ところから立ち上がり、抜け出すための技術的なヒントもたくさんあるが、何より「書けない」ことや「書く」ことについて、自ら考えるためのヒントがたくさん詰まっているのだ。

いやいや、俺には書きたいことがあって、それをどう書くかわからなくて書きあぐねているんだよ、という方には、もしかしたら他の文章指南本の方がぴったりくるかもしれない。しかし、「書きたい内容」ではなく、「書くこと」や「書けないこと」そのものを抱えてモヤモヤしている人には、本書は最適と思う。何ページの何行目にそのモヤモヤを解く答えがある、とは言えない。実は「本書の中にある」とさえ言えないのだが、必ず持ち帰れる「何か」がある。宿題は自分でやるものだ。

「書けなさ」にも色々あるように、そこから立ち上がる方法も一様ではない。あの人に合うその方法が自分に合うとは限らないし、今日はフィットしたこの方法も、一年後にまだ使えるかどうかはわからない。ある一つの完璧な書き方など存在しないのだ。自分自身が書けるようになる仕組みを自分自身でアップデートしていく必要がある。そのためには自分の「書けなさ」の正体にできるだけ迫ることが望ましい。本書がその助けになる人は多いだろうと思う。

本書を読んで、早速Workflowyを使い始めた。これまでiPhoneのメモアプリにメモしていたようなことを書いている。やっていることはメモアプリの時とほぼ同じで、まだWorkflowyの良さを十分に活かしきれてはいないと思う。この文章も、そのメモを元に書こうと、トピックをコピペして書き始めた。のだが… 

結局コピペしたものはほとんど使わず、頭からフリーハンドで書き始めてしまった。図らずも本書で千葉氏言うところの「書かないで書く」の実践のようなことになっている。フリーライティング。こういう書き方だったらいくらでも書けるのだ。そもそも身辺雑記ブログはこんな風にして書いていたのだった。ただね。それでおもしろい文章になるかどうかはまた別の話ですけどね。

それについては、本書にある読書猿氏の以下の言葉を引きたい。

書き手として立つことは「自分はいつかすばらしい何かを書く(書ける)はず」という妄執から覚め、「これはまったく満足のいくものではないが、私は今ここでこの文章を最後まで書くのだ」と引き受けることから始まる

本書には、この言葉の他にも四者四様のキラーワードがあるし、ここが良かった、そこがおもしろい、と、つらつら挙げることはできるけれども、もう読んでもらった方が早い。ピンときた人は書店へ走ろう。

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