#87【自己紹介】16-5 簡単に教えてもらえると思うなよ 5
さて、Tちゃんの話は昨日で終わりましたが、「簡単に教えてもらえると思うなよ」の怨嗟はまだまだ終わりません。お目汚し申し訳ありません!
イラストレーターさんやデザイナーさんにも似たような話が多いと思うのですが、どうでしょう?
「ちゃちゃっと簡単なイラストでいいから描いてよ、すぐ描けるんでしょ、おまけしてよ」と言われて、自分で勉強してタダでちゃちゃっと描けばどうですか、と返したら、「おれが君くらいになれるまでに勉強するのにどれだけ時間がかかると思ってんの」という返事が返ってきたというエピソードをどこかで読んだ覚えがあります。その方は「うん、だからお金もらってるんだよ」と、書いておられました。うん、それでしかない。
かぐや姫系上司の「創造性を傷つける批評」
また登場してもらっちゃいます、かぐや姫課長。
くらたのこの人に対する恨みつらみはとどまるところを知りませんね!
もともと、くらたが厚顔無恥にも高IQを名乗ってnote.を始めたのは、かぐや姫から「いらん説明をさせられてきたこと」への怨嗟から始まったと言ってもいい。
以前書いた、かぐや姫がコンペの審査員をやったときに「オレには違いがわからない」といった件について、『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』(ジュリア・キャメロン/サンマーク出版)内に、ぴったりの言葉を見つけました。
「要点を突いていないのにもっともらしく、論理的に反論できない総括的な判断を下そうとするもの」
……かぐや姫の言うことってぜんぶこれです。
コンペで言った「オレには違いがわからない」や、去年休職前のくらたに言った「なんでも否定から入るのはやめてよ」などです。
違いが判らないのはお前の能力不足だし、現場を預かる係長のくらたが否定意見を出すからには理由があるんだよ。
また同書では、学生の創造性を妨害する、ある教授のふるまいについて、下記のように表現しています。
コンペの場でかぐやは責任ある審査員としての発言を避け、他の審査員を絶句させるよう自分の発言で「操ったり」、各社の提案企画を「けなしたりしながら、傍観者としての自分の立場を擁護し、正当化」していました。
つくづく、百害あって一利なし、「こんな奴は沢庵石をつけて海の底へ沈めちまう方が日本の為だ」(夏目漱石『坊ちゃん』)とくらたは思う。
この人、どうしてこんなにひねくれちゃったんでしょうね。
常に不機嫌でひねくれてて定年後給料が減ったと言って嘆いて。それでストレスで耳の聞こえなくなった部下を量産して、生きてて楽しいのかな??
自意識・エゴ VS 勇気と謙虚さ
また、同書では個々人の創造性を妨げるものとして、「自意識」「エゴ」を強く挙げています。
「自意識」「エゴ」の妨害に負けずに、「好奇心」と「プロセス」に焦点を当てることで創造性が回復されると。「エゴのためらいを押し切って、新しいことをはじめる勇気と謙虚さ」が重要であると語っています。
フラでも説かれる「謙虚さ」の重要性
謙虚さの重要性は、くらたのフラの大師匠様も常に語っていらっしゃいます。「わたしのほうがうまいのよ」というエゴは、直ちに踊りに現れ、大師匠様に見抜かれてこっぴどく叱られます。
くらたがフラを習い始めたのは「あまりにも自分に向いていなかったから」でした。もともとはスポーツジムで顔なじみになった方に誘われて体験会に行ったのが始まりで、自分で習うつもりはなかった……というのはすでに書いたとおりです。
そのころは転職後最初の職場で、何をしても周囲のおじさんおばさんから褒められました。新卒枠だったけれどWeb制作業界ブラック企業の第一線で2年半働いた経験があったのですから期待以上なのは当たり前です。しかし周囲のおじさんおばさんは、こぼれていた水を拭いたと言っては褒め、ごみを拾って捨てたと言っては褒める……褒めるレベルが低すぎる!仕事らしい仕事をしていないのに褒められる、こんなところにいたら自分がダメになる……!!
「自分がそんなに素晴らしいものではない」と思い出せる場が必要だと、たまたまご縁のあったフラを習うことを決めました。最初のころは特に、鏡に映った自分のあまりにも無様な姿に、毎週新鮮に「自分がそんなに素晴らしいものではない」と思い出すことができました。
自意識・エゴのためらいを押し切って、新しいことをはじめる勇気と謙虚さの重要性から翻ってみれば、かぐや姫課長に代表されるくらたの会社のある種の人々は、「自意識」「エゴ」が強く、保守的で尊大。謙虚さにも欠けるようにみえます。
謙虚な人は「オレには違いがわからない」とか堂々と言わないよ。
自分が何かをわからないことは、自慢できることではないと思う。
続きます。
今日もお読みくださってありがとうございました!