#280【劇評・賛】劇団四季『バケモノの子』
今日もお読みくださってありがとうございます!
さー、年末に観に行った劇評もりもり書くぞ~。
まずはバケミュ(劇団四季『バケモノの子』)から。
どの記事も同じですが、ネタバレ有りで完全に好き放題に書いた個人の感想です。あらかじめご了承ください。
バケミュを観たことなかった理由
いきなりだけど細田守監督作品好きじゃない民
実はわたし、細田守監督作品はあんまり好きじゃないのです。
まともに見たことがあるのは『おおかみこどもの雨と雪』だけなのですが、主人公の女性・花(CV:宮崎あおい)のキャラクター造形がまず好きじゃなかった。
何考えてるかわからない、というか、この人に何か自我があるの?
序盤にやけにあっさり夫の狼姿の死体がドブから上がったところでなんじゃそりゃって決定的に心が離れて、訳ありの若い娘が田舎で農業すればうまくいくだろみたいな展開も好きじゃなかったし、それだけ心が離れたところにいかにもな名曲とともに「すごいでしょ?」的な疾走シーンを見せられても……もうじっと耐えて見ていた覚えしかありません。
ただ、そんな状況でも、終盤、花の娘・雪がクラスメイトに狼人間であることをカミングアウトするときのカーテン演出だけは、すばらしいと思いました。
あ、あとキャラクターデザインの貞本義行さんは漫画『孤島の鬼』(原作:たかはまこ/1994年)から好きです。
というわけで、『バケモノの子』が東京でやっていたころにはすでに四季好きだったけれども、観に行ったことがありませんでした。
でも先に言っておく。バケミュは好きでした!
りーちゃんと名古屋参戦!
細田監督嫌いなのになぜバケミュを観に行ったかと言うと、りーちゃんが誘ってくれたからでした。
原作は細田監督であっても劇団四季なら……という思いもあったし、多忙を極めるりーちゃんと新幹線に乗って名古屋に行くなんてこの機会を逃したらこの先10年はない気がする。
行くしかないだろそんな楽しいの。
四季の「男性客を取り込み戦略」
りーちゃんから聞いたのですが、『バケモノの子』『ゴーストアンドレディ』『バックトゥザフューチャー』など、近年の四季の新作は、男性客を取り込むねらいがあるとのことでした。ほえー!
ゴスレの仕上がりは女性客向けだったと思うけど、確かにバケミュは熱心な男性客が多かった。隣に座ったおじさんが後半泣いていました。
11月に行った『アラジン』で隣のおじさんが寝てたのと対照的でした。
『バケモノの子』という物語について
やっぱり細田守監督は好きじゃない
物語はシンプルな、少年のビルドゥングスロマン。
少年の成長譚は嫌いじゃないし、これを好きな人がいるのも理解できるんだけど、わたしは細田守やっぱ苦手、という感じでした。
(1)ヒロインが「主人公に都合のいい装置」でしかない
何が苦手って、まず、ヒロインのはずの楓(かえで)ちゃんのキャラクターがイマイチでした。
いや、楓が嫌いというわけではなく(おおかみこどもの主人公・花は嫌いだった)、楓をこういうふうに描いてしまう細田監督ってやっぱちょっとねー、って感じ。
この楓ちゃん、後半に出てきて、主人公の蓮(九太)と運命的に意気投合するんだけど、正直なんでそこまで意気投合するのか納得できるほどには描かれてないのです。
彼女自身の人間像や葛藤については描かれ方が表面的で、過保護な母親との葛藤は描かれるけど、とってつけた感が否めない。
ひとりの人間というより「主人公に都合のいい装置」だった。
アニメでは宮崎あおいがここにキャスティングされてんのか……うおえー……なんか悪い意味で超納得。
そういう自◌行為っぽいところが気持ち悪いの、細田監督作品って……。
おおかみこどもの花も、主人公なのに「表面的な装置」だったもんな……。
あと、星明子的に出てくる蓮(九太)の母親のしけっぽいベターっとした感じも好きじゃなかった。まさに星明子も星飛雄馬の付属装置ですよね。
(2)熊徹まで「主人公に都合のいい装置」化するラスト
また、自己犠牲礼賛も好きじゃないので、熊徹(くまてつ)が死ぬラストは好きじゃなかったです。
そもそもこの内容を描くのに、熊徹死ぬ必要なくね?
ストーリーテラーの力不足を補うために、または、作品の刺激をやみくもに強めるために、過剰な死(キャラクターに必要のない死)を持ってくるのはわたしは好きじゃありません(だからその最たるものの『ルックバック』の後半が大嫌いです)。
いや、一郎彦が自身のゆがんだ葛藤から熊徹を刺しちゃう筋に違和感はない。
でも、それで瀕死になった熊徹が「どうせ死ぬから付喪神に転生して九太の刀に宿る」ってそんな安易な……。付喪神に転生して刀に宿ることが可能、という設定もここでいきなり出てくるもんだから安易感倍増。
次代の宗師には人格者の猪王山(いのうぜん)のほうが熊徹より圧倒的に向いていて、その都合よさも、ちょっとね。
悪意を持って解釈すると、「用済みの厄介な老害が役に立つ刀になって死んでくれたので、ちょっと悲しいけど万事大団円でした☆」というラストとも読めちゃう。
”父”とされる熊徹までも「主人公にとって都合のいい装置」なのか。
(3)主人公さえもなんか「都合がいい装置」
というか、九太自身がすでに都合のいい装置化している気もする。
すんごい複雑な育ちのうえに粗暴口下手な熊徹に育てられるのに、なんか育った九太は真っ直ぐキャラすぎん?
※ヤング九太の家庭環境はこちら↓
両親離婚して父親と連絡取れない→
母死亡→
嫌な親戚に引き取られそうになって逃げる→
渋天街(バケモノ世界)に紛れ込む→
粗暴ゆえにはみだしものの熊徹に拾われて育てられる
ヤング九太は栄養状態悪そうなほどに痩せこけており、前髪は伸び放題、人の目を見ない、姿勢めちゃわるいって感じで、子役の演技がとっても良かったのだけど。
九太が嫌われ者の熊徹の孤独さに惹きつけられて弟子入りする流れは自然だと思うんだけど、成長した九太はなんでこんなに素直なよい青年なのか……
星明子…否、亡くなった母親の教えだけで、こんなに良い子に育つものなのか?
(でも考えてみれば『アラジン』も死んだ母さんの誇れる息子になる、というのがアラジンの行動規範で、アラジンめちゃくちゃいい奴だったから、それはそんなものなのかも……)
(4)生きて悲哀を乗り越えてこそ
まあ、楓が都合よすぎる&九太のいい子っぷりは置いておくとしても、熊徹が死んじゃうのはやっぱり悪手だよなあ……。
そもそも、この物語の後半のテーマは「巣立ち・親離れ」。
修行の甲斐あって成長した蓮(九太)にとって、熊徹が師としてもの足りなくなり、より広い世界を学びたいと望み始める。
その関係性の変化を、この師弟がどう乗り越えるか。
そこで熊徹死ぬって筋違いだと思うんですよね……。
「成長した子・弟子が、父・師から卒業して巣立ってゆく」話としては、「あれ、そっちいっちゃったの?」感が強くある。
現実には人はそう死なないから、「弟子の成長」を寿ぐと共に、「師からの卒業」の悲哀を、師弟双方生きて乗り越えていく必要があります。
その物語をこそ提供してほしいのに。
新しい世界へ羽ばたく若者と、誇りを持って退いていく先行世代の融和をこそ描いてほしいのに。
細田守ってなんか宮崎駿とも関係ありましたよね……(検索)……あ、ジブリ受からなかったけどハウル参加して途中離脱して、宮崎駿が「長編アニメーションからの引退」を表明した直後に『バケモノの子』を発表した(一部でははなむけと考えらえている)……とな?
おおお、はなむけならますます熊徹を、こんな、「用済みの厄介な老害が、役に立つ刀になって死んでくれたので、ちょっと悲しいけど万事大団円でした☆」的な形で殺さない方が良かったのでは……。
でも一郎彦と二郎丸のキャラクターは良かった!
ただ、一郎彦と二郎丸はよかったです。
人格者・猪王山の長男・一郎彦は実は人間で、赤ん坊の時に捨てられていたのを猪王山が拾って育てていました。
すなおで、幼いころは優等生的だった一郎彦が、人間ゆえにキバも生えず毛も生えずバケモノらしく成長しない自分の身体に葛藤・屈託を膨らませて、どんどんヤバイ感じになっていくのが良かった。
バケモノらしい強さへの傾倒の一方で、コンプレックスからふくらんでいく、人間や九太へのゆがんだ憎しみ、侮蔑。
勝手な推測ですが、一郎彦って細田監督自身なんじゃないですかね。
一郎彦だけが突出して内面の解像度が高い気がします。
九太も監督の投影だけど、そっちは理想化された「イマジナリー俺」。
勝手な推測ですが。
他方、やんちゃないじめっ子だった二郎丸が長じて、九太の実力と人柄を認め、一郎彦と九太の仲裁に入るまでに成長する描写も良かったです。
この二郎丸のすなおな育ち方を見れば、猪王山とその妻が、ふたりをどれだけきちんと育てたかがわかる。
だから、一郎彦がああなってしまったことについても、誰も悪くない、と思える。
(まあ、猪王山がもとから一郎彦の出自を本人に隠さず伝えていれば良かったのだけど、それも愛ゆえにやったことだと想像できる)
バケミュのいいところ言いたい
さて、ここまで書いてきて何が「劇評・賛」だよ、という感じもしますが、ストーリーから滲み出る細田監督臭は嫌いだけどバケミュは良かった、と言わしめるもの……とりもなおさず、劇団四季の歌曲とパフォーマンスですね!
バケミュのいいところ言いたい!
歌唱力がすごい!
くらたが観た回のキャスト表はこちら
こんなに子役が活躍する演目は『アナと雪の女王』以来だったかもしれませんが、とにかく子役が上手だった。
ヤング蓮(九太)のぴーんと張った伸びやかな高音がとっても良かったです。
もちろんヤング一郎彦も。品のいいお坊ちゃんぶりもよかった。
また、成長した蓮(九太)の貞松響さんの声の圧、密度がすごかった。
ウィーン少年合唱団出身だそうです。すげえ。
前から7列目という好条件も相まって、まさに「浴びる」と言う感じでした。
蛇足だけど、貞松さん、Tシャツにパーカーというラフな衣装でもすごくかっこよく見える。
貞松さんがすごいのか衣装がすごいのか……とにかくすごい。『未来少年コナン』も見習ってほしかった……(←しつこい)
アクションがすごい!
ダンス、殺陣もこの演目の見どころ。
上記記事のサムネイルのように、ビーストモードのがっぷり四つで組んだバトルシーンももちろん良かった。
でも、終盤の生身の殺陣がこのビーストモードを超える迫力だったのがすごかった。
また、白鯨化した一郎彦と九太の戦いも、舞台ならではの表現で良かったです。
これはさすがにあんまり写真が出てないですね。
ぜひ劇場でごらんください。
なにより歌がいい!
とにかくねえ、歌がいいですね。
舞台のクライマックスで九太が一郎彦に向かって歌う曲『バケモノの子』は、全編にわたって超名曲です。
歌いだしはこちら ↓
自分のことを憎む気持ち、受け入れられない気持ち、あるよね……!
それに対して「自分のことを憎んじゃだめだ」とまっすぐ伝えてくる神曲に、思わず涙。
また貞松響さんの歌声が、真摯でサイコーだっだ……
自分を憎むな、と一郎彦に語り掛けるところから始まり、この歌での九太と一郎彦の心情のやりとりがとてもいい。
だんだんバケモノの仲間が加わってふたりを見守り、曲が盛り上がっていきます。
もうねー、この「バケモノの子!」というフレーズのカタルシスよ!
歌詞にびっくりマークついてるんですね、納得。
このフレーズだけでもう5億点です。
このワンフレーズのために、これまでの3時間は存在するのだと思える。
そのくらいの威力。
ちょっと違う場面の違う歌詞だけど上記動画の終盤で聞けるので、ぜひ。
この破壊力はたとえるなら、『ちびまる子ちゃん』で、まる子の減らず口をも黙らせる姉の一喝のようなもの。
まさに。
細田原作の「腑に落ちにくいことがら」も、四季の歌声で「すべてちょう消し」です。
気がついたことには、この大サビ「バケモノの子!」のフレーズは、似た印象の曲がいくつかあって、どれも名曲だし好きだなぁと。
THE BOOM『風になりたい』、藤井フミヤ『Go the distance』、劇団四季ノートルダムの鐘『ひざしのなかへ』です。
さて、なんでも、バケミュの作曲家さんは『ゴーストアンドレディ』でも作曲を担当されたそうです。
ゴスレも名曲目白押しだし、なんでこんなにエモーショナルな名曲をたくさん書けるんだ……すげえ。
それから、劇の中盤の『新しい旅』なんかも、「もっとたくさん学びたい」という焦燥感に似た好奇心がよく表れていて好きです。
(上記動画の 0:30ごろ。動画内でこの場面を歌っているのが貞松響さん)
『新しい旅』『バケモノの子』は、バケミュ観てすぐにダウンロードして延々リピートして聞いています。
まとめ:観てよかった!
これをもし先にアニメで見てたら、バケミュ観に来てなかったと思うので、アニメを見なかった過去のわたしにあっぱれと言いたい。
そして誘ってくれたりーちゃんに大感謝!
名曲『新しい旅』と『バケモノの子』だけでも、食わず嫌いで知らずにおくにはバケミュはあまりにもったいない。
ミュージカルならではの良いところをたっぷり味わい、細田守とも折り合える(折り合ってるのか……?)道はある、ということを学んだ観劇体験でした!