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まずは向き合うこと、そして「作風」探しの旅へ

こんにちは。あっという間に年明けから10日経とうとしています。いかがお過ごしでしょうか。私は、昨年11月に5年間務めた会社を退職し、今は趣味や学びをエンジョイしています。前回、RAW現像における違和感について書きました。だいぶん前に、どこかで読んだ本を鵜呑みにした結果、彩度を上げまくった写真を量産していました。写真を作品として仕上げるという感覚が欠けており、いわば「作業」になっていたということに、かなり時間が経って気がつきました。多くの失敗作を目にすると、今やクラクラしてしまいます。


余裕のなさ極まれり

今は、無職になった結果、毎日余裕のある時間を過ごしていますが、昨年11月まで(仕事をしている間)はそういうわけにもいかず…。まさに仕事中心の日々を過ごしていました。休日であっても「上司や同僚などから業務連絡がくるかもしれない」と考えると、常に不安で気持ちに余裕がありませんでした。

自分が撮って編集した写真にまともに向き合えていなかったというのも、当然の結果です。仕事に追われる日々の中で、写真は単なる記録行為と化していました。休日も仕事のことが頭から離れず、写真の出来栄えをじっくりと吟味する余裕などありませんでした。

まずは「向き合う」ことから

「向き合う」ということは、撮影をする時点でも、その後、編集をする時点でも、必要な過程であると、今ならわかります。自分が思い描いたものを瞬時に撮影し、編集することは至難の業です。少しでも思い描いたものへ近づくためには試行錯誤しなくてはいけません。つまり、結果を出すために「量をこなす」ということです。「一発勝負」できていれば、おそらくは、とっくにプロになっているでしょう。それができない以上、練習が必要なのです。当たり前のことですが、これは何事も同じですね。

「向き合う」ことができていないがゆえに、新たな課題が見つかりました。それは「作風がないこと」です。漠然と撮影・編集することでは、作品としてどのような意図があるのかも伝わりません。撮影者の個性やこだわりがなければ、当然「作風」なるものも存在し得ません。

これまでの反省から、今は、できるだけ違和感のない、目に見えたものに近しい作品を完成させたいと考えています。その第一歩として、前回の記事を書きました。

彩度を持ち上げる「誘惑」

前回の記事に書いたとおり、当分はLightroomの自動補正機能を活用し、彩度を極端に持ち上げないようにしています。また、彩度に限らず、何事も極端に調整することは控え、微調整を積み重ねるよう努めます。

具体的には、Nikonのフレキシブルカラーピクチャーコントロールのレシピの一つである“Setouchi Blue”のような「どこか懐かしく静謐な雰囲気」が一つの理想です。

前回の記事に載せそびれた、こちらの写真(写真①)をご覧ください。SONY RX100M3で撮影し、Lightroomで現像しました。前回の記事に載せた写真と同じく、自動補正機能を活用し、落ち着いたトーンとなっています。彩度を持ち上げる「誘惑」に打ち勝ち、違和感のない写真を創り続けるための手がかりとなる一枚です。

写真①

それから、次の写真(写真②)をご覧ください。機材はNikon D7000に変わりましたが、前の設定を引き継ぎつつ、青系の彩度と輝度を詳細に調整しました。全体の彩度は写真①同様、小幅に引き上げています。

写真②

次の写真(写真③)をご覧ください。写真②と異なるのは、青系の彩度や輝度を調整していない点です。写真①の設定をまるごと引き継ぐと、こうなります。やや物足りなさを感じます。空が白っぽくなっているからです。

写真③

最後に、次の写真(写真④)をご覧ください。写真②よりも青系の調整を大幅に行いました。単体では直視できないほどではありませんが、違和感のない「作風」というところから少し離れてしまいました。ここで全体の彩度を持ち上げると目も当てられなくなります。そうはなっていないことが進歩です。

写真④

「作風」探し、続くよ

違和感のない「作風」を確立するための道は始まったばかりです。時間はかかるかもしれませんが、写真に誠実に「向き合う」作り手でありたいと思います。そして、試行錯誤を繰り返すことで、必ず自分らしい表現にたどり着けると信じています。

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