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世間知らずの転職活動・フリー編 その17

伊豆旅行から戻ってきた町田遊軍メンバー。
翌日の月曜日に出社すると井川さんの町田さんへの愛ある不満の声が部屋中に響き渡っていた。
そして、プロジェクトというとは林田チームの立て直しが着々と進んでいた。

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長引くヒアリング

林田チームによるプロジェクトのヒアリングが続いていた。先週は赤井さんや角川さんたちSEの方々を中心に進められてきていたが、今週からは我々PGのメンバーにもヒアリングの時間があるようだ。

入場してまだ数週間ではあるが、サブシステムを横断してJCLを担当していたおかげで、システム全体の状況をある程度把握できていると感じていた。緊張の結合試験の課題もある程度、林田さんたちに伝えることができるだろう。

赤井:「今週は、君たちもヒアリングだってよ?」

赤井さんがニヤニヤしながら大川さんと私の席にやってきた。
こんな機嫌が良い赤井さんは、きっと話が長くなる。

赤井:「先週、結局、土曜日まで出る羽目になってさ。課金のところというか、この中じゃ僕が古株になるから、林田さんに色々聞かれたよ。」

大川:「やっぱり、僕たちも今週ヒアリングなんですね。」

赤井:「そうそう。先週、大体、SEのメンバーは終わったからね。もう少し細かいところまで把握したいらしいよ。あと、各サブシステムに社員が責任者でつくから、その情報共有も兼ねて、ということになるんだと思うよ。」

私:『なるほど。そうなんですね。でも、社員の方がちゃんと入ってくれると、管理はしやすいかもしれないですね。』

今までのプロジェクトは仕様自体は、山崎さん、石山さんたちFシステムの社員と、Tシステムの立花社長たちで取り纏めてきていたが、実際に作られたシステムの検証となると、外部のSE・PGに任せっきりだった。

そのため、プロジェクトが進むにつれて問題箇所の把握が難しくなり、悪いことにFシステム社としてみると他社メーカーのH社の汎用機ということもあり、仕様の問題なのか、技術的な問題なのか、判断が難しい部分も混ざりあい、問題究明までに時間がかかっていた部分があった。

伊豆の思い出

赤井:「ねぇねぇ、そういえば、2人とも、土日で、町田さんと旅行に行ってたんだって?井川さんが土曜日大変だったよ?」

そういえば、赤井さんは土曜日も出社していたと言っていた。
きっと、町田さんと井川さんの電話でのやりとりを聞いていたに違いない。

赤井:「どこ行っての?町田さん?ご招待?」

きっと、もう知ってるのだろうと思いながら、伊豆旅行の話をした。

赤井:「いいなぁ。僕なんて全然温泉なんて行ってないよ。」

大川:「町田遊軍メンバーで頑張って行こう!みたない会でしたよ。」

赤井:「僕も町田遊軍に入ってればよかったなぁ」

赤井さん、よっっぽど行きたかったらしい。

他のメンバーに話して良いことかわからなかったので、お土産を買って来なかったのだが、薩田さんが、お土産を買ってきて、みんなに配ったため、旅行が発覚したらしい。

赤井:「でもあれだよねぇ。町田さんもTシステムがいなくなるだろうから、この後どうなるか分からないよね?」

私:「え?どういうことですか?」

町田遊軍の行方

人員管理システムはTシステムが請けたものを、町田さんが対応しているという話は耳にしていた。

赤井:「だって、ほら。町田さんFシステムのOBとはいえ、今はTシステムの契約で入ってるから。Tシステムがね、いなくなったら、さすがFシステムで契約ってわけにはいかないでしょ?」

伊豆で町田さんフリーランス だって言ってたけど、プロジェクト上の体制の話だけでなくて、Tシステムの契約でプロジェクトに入っていたんだ。。。たしかに、そうであれば薩田さんがあんなに町田さんにベッタリとフォローしているのも納得できる。

大川:「たしかに。Tシステムいなくなったら町田さんはどうするんだろう?」

我町田さんの紹介で参画しているメンバーがどうなるのか?ということも大川さんは心配していた。

赤井:「正直さ、山崎さんとかやりにくかっただろうから。だって、部長とかと同期くらいのはずだから。むしろ、町田さんがいると進みが悪いと思ってたりもするかもよ?」

私:「そうなんですね。なかなか関係性が難しいですね。」

赤井さんは、自分も町田さんの紹介でプロジェクトに参画したのに!と、今後の自分の身の心配よりも、町田遊軍にも、伊豆旅行にもいけず、落ち込みながら席に戻って行った。

現状、Fシステム社、Tシステム社以外のエンジニアで、最初に参画していた人で残っているのは赤井さんだけ。それ以外の人は、プロジェクトの途中で退場したり、ヘルプで一時期だけ手伝っていた人など、人の出入りの多いプロジェクトだった。

だから、積み上げてきた仕様やルールが途中で、方向性が変わったり、おかしくなっている部分も多く見受けられていた。プロジェクトを立て直すならば、ここで、体制も一新しないと同じ繰り返しになるだろう、とうのは正しい判断のように思えた。

JCLチーム?

席で過去のプログラムや設計書の整理をしていると、林田さんがやってきて、明日の午後一で、ヒアリングをしたいということを言われた。

私:『あ、ヒアリングですね。大川さんたちも一緒にですか?』

林田:「いや、JCLのところを聞きたいんだよね。ちょっとまだ社員を誰に担当してもらうかは決まってないので、私が直接状況を聞こうと思ってね。」

私:『あ、じゃ、小森さん・・・、JCLリーダーの小森さんも声かけた方がいいですか?』

林田:「いや、小森さんは経費サブシステムの話のときに聞けば良いので、佐藤さんだけで大丈夫ですよ。」

少し笑みを含みながら、林田さんが答えた。

我々、外部のSEやPGは、依然と比較すると稼働が抑えられていた。
残業が全くない、ということはないのだが、徹夜してまでは対応ができない状況になっていたのだった。

その代わり、と言ってはなんなんだが、Fシステムの社員は近くにホテルを借りて、泊まり込みで現場の把握をしているとのことだった。朝方まで作業をして、タクシーで5分のホテルへ帰って、寝て、また戻ってくるということをしているのだった。

12月末にリリースとなると・・・その後、体制を見直して、再スタートした後はまた忙しくなることは間違いないと確信していた。

とりあえず、明日、JCLのヒアリングがある。

そして、夜、Z社の川原社長と会って、契約の話をしなければならない。
そう、あの多重請負の件を、解決するために川原社長と会うことになっていた。

つづく

※この物語は経験をベースにしたセミフィクションです。

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