気がついたら最高の水族館で飼育員になっていた。
長い人生、学生と社会人生活を比較した時社会人生活の方長いのが一般的だろう。
私は高校生くらいからその長い人生を楽しく過ごす方法を考えていた。大学院修士課程まで進学していた私は自分より先に就職し社会人生活に絶望や苛立ちを吐露する友人をSNSでたくさん見てどことなく自分もこうなるのかと絶望した。しかし不安よりも自分はこうならないように頑張ろうという気持ちの方が強かった。とはいえ私が目指していたのは「水族館飼育員」、この狭き門をくぐり明るい未来など待っているとは思いにくいはずだが、結果として想像していなかった自分になったのだ。
社会にはたくさんの業界や仕事がありその仕事をしてくれている人々で成り立っている。多くの人が直接的に関わる接客業や直接みることはあまりなさそうだが自分たちの生活を支えてくれているインフラ業まで様々だ。そして給料がいい会社、業界から給料が良くない会社、人気のない業種まで様々であろう。私が現在従事している「飼育員」という仕事はおそらく人気の業種だが給料の低い仕事だろう。そして業務のジャンルとしては接客業だ。「え?生き物の世話をして人と関わる機会があるんですか?」と思うかもしれないが間違いなく接客業だろう。人と関わるのに自信がなかった齢15歳の私はそんなことも知らず生き物が好きという理由と自分が楽しく仕事ができそうだという理由で飼育員を志した。
特に人気と知ったのは大学に入ってからだ。着々と近づく社会人への道を意識し水族館への就職活動について調べたが、調べるほど絶望していった。高い倍率、就職したい園館の募集が出るかどうか、低すぎる給料などだ。それを見ても飼育員になりたい気持ちは変わらなかったが、この狭き門を潜れるのだろうか?という心配の方が強くなっていった。
そうこうしているうちに4月になり、自分の就活のタイミングが来た。一年後に自分はどこで何をしているのだろう、そもそも飼育員になることの方が難しいから飼育員ですらないかもしれないと、想像もできない一年後への不安を抱えながらマイナビや各園館の指定管理をする会社で飼育員の募集が始まった。私の在籍していた大学はそもそも動物園水族館の飼育員を目指す人は多くない。多くが研究者や博物館への就職を志す人たちであった。そのため先輩に就活で有利になりそうな話を聞けるような人はいなかったのだ。昔父に「O水族館(弊社)でで働けよ、あそこはいいぞ〜」と言われた。言うのは簡単だ、まあそりゃあそこで働けたらどんなに素晴らしいか、それは自分が一番わかっているがそれと同時にそこで働いている自分が想像つかないのもわかっていた。しかし大学院の研究室を通して知り合ったA動物園の飼育員の方からちょうど募集の出ていたO水族館(弊社)の先輩飼育員(以下Yさんとする)を繋いでもらったことが人生の転機となった。O水族館(弊社)はおそらく水族館マニアでない人も知るほどに有名であると思う。自分からすればあまりに大きな舞台で現役で働く社員の方と繋がれたのだ。
私の水族館飼育員として目指したい姿ややりたいことを話していくうちにYさんは自分の考えに共感してくださったし、同じ志を持って同じ会社で一緒に働けることを本当に楽しみにしてくださった。実際大きな水族館だし一緒の部署、ましては同じチーム(私は専門分野とやりたいことがYさんのチームにあり同じチームで働きたかった。)。とはいえ就活の試験を順番に突破していかなければならなかった。試験突破のコツをかなり細かく教えてくださったが、最後は自分の実力と運次第であるのは言うのはいうまでもない。一次試験の会場では大学の講義室で多くの受験者がいた。結局入社した時に知ったが一次試験で9割の受験者が落とされたようだ。しかし私はYさんの教えもあり一次試験を突破した。正直自分はこの筆記試験がいちばんの壁だと思っていた。面接では自分のこれまでの経験を含めかなり自信があったからだ。とはいえ大学受験や大学院の試験も含め胸を張れるような成功体験をしてこなかった私はどこか二次試験に対しても不安があった。
ひとまず一次試験の突破をすぐにYさんに報告した。自分のことのように喜んでくださったのを今でも覚えている。ここまでお世話になったのに二次試験で落ちるわけにはいかないという気持ちが自分の憧れの飼育員になるのと同じくらい強かった。しかし二次試験の直前はYさんも参加する学会がありそこで私は修士論文に関する発表をする予定だった。正直実験とデータ整理、就活の対策をするのは大変だった。けれど憧れの水族館でYさんと働くことを目標に死に物狂いだった。学会の最中も正直二次試験の対策のことばかり考えていて学会は上の空という感じだった。学会の隙間時間でYさんにご挨拶に行き直接面接についてのご指導もいただいた。実はこの学会がYさんと対面で会う初の機会だった。「ぶっくん、こんにちは(会社名)のYです。」そういって会社の名刺をいただいた。「君なら大丈夫!君ほどの熱意のある学生がもし落とされたらもううちの会社はもうダメだよ!」などと緊張をほぐす言葉もかけてくださった。そうして学会を終えそのままの足で飛行機に乗り二次試験の地へ向かった。移動中の飛行機ではYさんの名刺を見ていた。来年は自分の名前が刻まれたこの名刺を絶対に手にすると。
二次試験は履歴書と面接だった。それに向けても細かい志望動機のニュアンスやこの質問が来たらこう答える、といった細かいが重要な部分をYさんから直前までメールでのやり取りをして教えてもらい、二次試験を受けにいった。面接は予定より早く行われ、早く終わった。
面接の後Yさんの仕事の様子の見学やバックヤードの案内をしてもらった。この時すでに面接も全てが終わった後だったが絶対にここで働きたいと改めて強く思った。
やり切ったし後悔はないがもし落ちたら…と成功体験のない私は不安でいっぱいだった。試験から合否の発表まで2週間、研究に身が入らなかったのを今でも覚えている。しかしそうこうしているうちにその日が来た。会社のホームページに出た合格者発表。一次試験の会場にいたたくさんの人間の中からわずか4人の受験番号が出ており、一番上にあったのは私の受験番号だった。Yさんにすぐさま報告した。Yさんも自分のことのように喜んでくださった。あまりに自分の中で大きな目標であり高校生の頃からの憧れだった仕事への切符を掴んだ。しかし現実とは思えず合格発表日は放心していた。その後会社から採用に関する書類などが送られてきてちょっとずつ実感とワクワクが湧いてきた。しかしそうもいってられず卒業をしないと話にならないので修論に集中して学生生活を送った。その間私は公にしていなかったが私の属していた研究施設内で私の指導教官が「ぶっくんがどうやら◯水族館に受かった」という話を誰かにしたらしく噂というのはすぐに広まるもので施設内で私は伝説の人となっていたようだ。
なんとか大学院も卒業して家もYさんの助けがありなんとか決まり、四月一日に入社式を行なった。そこで初めて配属先が聞かされた。水族館は自分が入りたいチームに入れることはそんなにないようだが、なんと私はYさんと同じ入りたいチームに入ることができた。入社式の後Yさおんと同じ名刺に刻まれた自分の名前を見て半泣きしていた。
初めて社員としてYさんと同じ事務所に行き、同じ志を持った仲間として隣の席に座ることができた感動は未来永劫忘れることはないだろう。今でもYさんとは仲良く同じ大好きな生き物の話やプライベートでも遊びに行く。一年前の自分は飼育員になることも、Yさんと同じチームで働けるとも想像できなかった。私の人生史上初めてで最高の成功体験を噛み締めて、今日も最高の環境で大好きな生き物と共にに仕事をしている。
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