半年以上前、映画「コンフィデンスマンJPプリンセス編」の主題歌になったこの曲。
確か前回の緊急事態宣言明け、ロードショー初日にこの映画を観て、この曲に感動を受け、さらにこのPVで更に感動した。
その時もなんでこんな歌詞が書けるのだろうと感嘆したが、今改めて聴くと、この直近の自分の心情が本当によく顕せてると。
あの時は自分ごととして捉えられなかった歌詞が自分ごとのように。
「鉄格子みたいな街を抜け出す事に決めたよ 今 それを引き留める言葉も 気持ちだけ受け取るよ」
「失うものや 諦めるものは 確かにどれも輝いて見えるけど 秤にかけた 自分で選んだ 悔やむ権利も捨て去ってた」
「膝を抱えた昨日までの自分を 乗り越えたラフター 今日も歌い続けた自分自身に勝利を告げるための歌」
「本当の正しさってものを 風の強さに問い詰められて 行くべき道を逸れて 他の鳥の航路に迷い込むこともある 乱気流の中でさざめく 光の粒を探して ほら たとえ紛い物だったとしても 自分のとっての正しさを想像してみるよ 大事にするよ」
「人格者ではなく 成功者でもなく いつでも今を誇れる人に在りたい そんな希望抱き 未来図を描き 手放さず生きていたいだけ」
「ゴールや距離ではなくて 絶えず響いてた声こそが 孤独な夜にサーチライトにしてた あの光だった」
(Official髭男dism「Laughter」歌詞より/藤原聡 作詞)
さて昨日は1年振りに妹と姪と会うことに。
今、彼女たちが住む近辺の奈良と生駒の市境のレストランで。
その後、今の実家へ。
先週日曜日、実家の生前整理という事でモノを捨てまくったららしい。
直前に妹に来て欲しいと頼まれるものの予定が入っているので無理と伝え断っていた。
それが本当に大変だったらしい。
どれだけモノがあったのか。
2トントラック2台で間に合わずゴミ収集車まで出動する事態になったらしい。
そこでは両親と妹でこれは捨てる捨てないで相当すったもんだがあったらしい。
それでも妹が強引に捨てまくってハウスクリーニングまでしてもらい、家はかつてより綺麗になったようだ。
それを見に行った。
私は東京に住んでいたので年に1回か2回しか来ないし、昨年はコロナ禍のため来ていなかったので、よくわからないが、モノがなくなった家を見て、それなりに広かったのかと言うことと、やはり家の作りが古いということを改めて認識。
私も引越しで断捨離し実家も引越し以上の特大断捨離を断行。
この日記でも何度も「捨てる」ことを書いてきたが「捨てる」ことで見えることは多い。
今年は梅を見に行けていないと思っていたが、実家のモノが散乱?して荒れていた庭も綺麗になり、そこに小さい梅の木があった。
知らなかった。
自宅で整理できつつある自宅の自分区画の1階で庭から射し込む陽光を浴びながらこの日記を下書きしている。
あの引き篭もり期間と同じような態勢をとりながら、外形上していることは同じだが、心の穏やかさや、ささくれ度は全く違う。
本当に苦しかった時、色んなモノを「捨てて」きて、ようやく見えたこともある。
『風の時代』だとエンカレッジしてくれていた親しき友人は本当に抜粋歌詞の最後にある『サーチライト』だったんだなと改めて思う。
「捨てて」身軽になった私も誰かの『サーチライト』になるべく生きていきたい。
まだまだ未熟で、発信内容はブレブレのところもありますが、応援を無駄にしないように頑張ります‼️