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人間の性格なんて…意外と簡単に変えられるのかも

長い人生、ステージ毎で日々の生活スタイルは変わってきたのは紛れもない事実。
幼稚園、小学校、中学校、高校、浪人、大学、社会人…
各々の舞台で各々のルーティンがあったし、その都度その都度、その環境に合わせた自分の「性格」「思考様式」「行動様式」が、さも固定しているかのような錯覚に陥っていた。
そして舞台が変わる度にそれらがいかに脆いものだったかと知らされる。
社会人になってからも数年毎に転勤を繰り返し「行動様式」が変わりそれが「慣れ」になり「思考様式」がそれに後からついていき、最後に「性格」も変わった。いや変わったように思っていた。
悪いことばかりではなく「性格」を変えたいと思っている時に転勤で自分のことを知らない人ばかりのところへ行くと、それまで固定的に見られていて、自分もそれを演じてた節のある「性格」を一気にスクラップアンドビルドできる。
そして家庭環境の変化、加齢、社会環境の変化、会社のポジションの変化にもジワジワと「性格」は変容していく。

今の環境下に置かれ、早13年、時代や環境の変化等によって、特にオフの「行動様式」はそれ相応に変化してきた。ウォーキング、ジョギング、山登り、ジム、サイクリング、神社仏閣巡り、美術館巡り、映画鑑賞、読書、写真撮影、食べ歩き、SNS投稿等々、読書以外は時期によって凝り出したものだ。今でも続けているのは読書、神社仏閣巡り、写真撮影、たまのウォーキングと映画鑑賞、食べ歩きくらいか。それに伴って「思考様式」も変化していった。ただ根っこの部分の「性格」特に仕事におけるそれはこの期間、私自身、首尾一貫して変わっていなかった。
と思い込んでいた。
しかし今回の事件を機に、コロナ禍とは全く関係なく「超早朝からの勤務」「外出好き」「人と話すことが大好き」「家にいるのが嫌い」等々のものがたった1ヶ月でそれらの「思考様式」が破壊され「行動様式」的にはコロナ禍もあって「引きこもり」となり、またそれが苦痛どころか、ある種、快適とも思える「性格」に変わってしまった。
人間の「性格」なんて所詮、それは自分の思い込み以外の何物でもなく、いくら歳がいっても変えようと思えればいつでも変えれるのかなと思い始めた。
健康面からすれば陽も浴びず、運動量が極端に減り、問題多しだが、経済的にはネットショッピングさえしなければ、かつてよりは余裕が生まれたりする。
この生活スタイルが快適と少しは思うが、ずっと続けていたいかと問われれば、そんなことはないし、また来月あたりの異動によって「行動様式」「思考様式」が変わるので少なからずまた「性格」も変わるだろう。あまり自分自身が快適と思えない「性格」に仮に変わったとしても、今回のことで、いつでも変えようと思えれば「変えられる」ことを知ったことは大きい。
かつても書いたが

心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

これは順番が違うかもしれない。
行動が変わって習慣が変わって、心と人格が変わるのでは?
私的に言い換えれば

行動を変えれば習慣が変わる
習慣が変われば心が変わる
心が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わっていく

とにかくまず行動を変えてみることだ

人間はよく言えば本当に「順応性が高い」のである。自分はこうである!と決めつけないことが生き延びていく本能なのかもしれない。
そうそう、昨日の昼は久しぶりに短い間だが外に出てお日さまを浴びたらほんのこの前までの感覚が一気に戻ってきたような気がした。

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人間とはある意味単純で自分がしたいようにするには自分自身にそのように思いこますだけでいいのかも?それが一番難しいのだけれど。

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室町義教 /『風の時代』の到来とともに流されたサラリーマンが再挑戦する葛藤を綴る
まだまだ未熟で、発信内容はブレブレのところもありますが、応援を無駄にしないように頑張ります‼️