GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』33
内裏『藤壺』
まひろ 初出仕のご挨拶、先輩 女房たちとのご対面-顔合わせ。
前回のラスト、予告編の 不穏さ…は(やはり)「煽り」だったかな、恰幅で
威圧感あり…の『 宮の 宣旨 』さん、まあまあ普通の取締役。
まひろの呼び名を「 藤式部 といたす。」と。
その前に、自己紹介…の名乗り「宮の宣旨と申す」は…、自分の名でなく「役職」名なので「(私は)皇后宮の主任と申す」って言ってることに。「宮の宣旨である。」の方が良いかと思われる。「〇〇式部」とか「XX衛門」とか、男縁者の「役職名」を付けて「呼び名」とされてる世界で、当人の「役職名」が紛れ込んでいてのーうっかりミスなのかな。
は、余談で、「宮宣旨・(本名 源 陟子 さん)」いい人かと思う。
「いじめ」期待の皆さんには少し肩透かしだったのかな。
ま、まだたくさん皆さん居るし、これからだし。
(土御門 ( 結婚前の ) 倫子さま サロンの時よりは「空気」読めるようになってるでしょうし、まひろサマも。)
キーキー鳴いてる鳥(の理由)は?
「タイトル」 演出家 佐々木善春 氏
藤式部、『局』頂く。「左大臣さまのおはからい心得よ。」 と。
「そもそも女房の仕事は、」の説明に「お手伝いしとうございます。」とは…言ってしまうんだなー。 に、ちょっとイラっとしてる先輩方、「一日でも先に所属してたら(歳も才も関係なく)「ねえさん」やからね。」ってやつですかね。 先輩女房たちには「物語を書く仕事で来て居る」は伝達されている。から。(「何言ってんの」となる。)
始まった『藤壺』寝殿造り殿舎での生活、知らない人たちが 御簾の外-廊下を行き来する。 知らない-他人と、御簾や 几帳だけ挟んでの 共同生活…。
さっそく「藤式部だそうだな。」と、為時の娘を見に 公任 中納言 さまと、斉信 権中納言 さまやって来る。(従二位どうし…上下逆転している?) そりゃそうで、公任卿の『四条宮』での「歌の指南」会での評判からの 左大臣様の抜擢だし。(なんなら「推挙」いたしたぞ…になっていても…な成り行き。)「おのれの才ぞんぶんに活かせ。」と 公任。
ここでの『中宮』の管理長の 斉信の 愚痴は、まひろの 中宮さま理解に働く (→視聴者にも)「(女房を務めているのは)高貴な家の姫ばかりゆえ、中宮さまの御為に。と(身を挺して)働く気がない。」「(立場、役割に)にぶいのは困る。」と。 なるほど、そこか。 (となると、道長 (いや、倫子さんか ) の、女房選び、人を見る目が ダメって事だけど。)
第7話 の 打毬 の時の 偶然の 盗み聞きの「伏線回収」とネット騒ぐ。
「地味でつまらぬ女は、おのれの才を頼みにするしかございません。」と藤式部、
そんなこと忘れてる二人「おまえ前に言ってなかったか。」で沸く観衆も。
さて、「物語」を書こうとするが。自宅でとの 環境の 大違い。
斉信、藤壺女房たちに「指図」。大量の生地が、それぞれの女房の前に積まれてる。年明け早々の『中宮大饗』の準備。
(「禄」用の衣を縫う仕事。 そうなんです、女房の仕事の一つが、衣類をつくる事。『源氏物語』では、後宮の主・紫上が「生地染め」までやっている。『枕』でも、急いで縫い上げたら生地の裏表逆さまだった!という話しも。)
「藤式部さま、お父上(為時)は従五位の下なのに、なぜ中納言さまと…」とか、新参者に興味アリの女房、「中宮さまのお母上がお若い頃「学びの会」に」と 赤染衛門。 衛門さんいてくれていて良かったね、まひろさん。
夜、さて寝ようとすると、周りの音や気配、いびき、寝言で寝られない。
で、朝、「おめざめあれ」にもまひろ寝坊。
赤染衛門さん「仕事役割りちがえども、朝はちゃんとおきなければ。」と。
新年。 公卿の中宮への御挨拶への宴席『大饗』。
「禄」のお運び-お渡し係 務めるまひろ、いえ、藤式部。
御簾内の中宮さまの 横顔を見る。 家政婦…が見た-スタッフの一員目線での姫。
まひろ、「物語」、書けない。
朝、中宮さま朝の御洗顔。介添えで立会う。中宮彰子が使う 浅葱色の布巾。「中宮さまは 薄紅がお好きなのに、だれが」と怒って取り替えさせる女房。
また後の時間、敦康親王 の遊ぶ「お手玉」、番が来た中宮、お手玉をわざと外に投げて=侍女たちが皆それに気を取られている間に「内緒」で親王さまに菓子を渡す。(のを、まひろ目撃。)「うつけなどではない!」と気づく。
参議の 行成 と 道長、「藤壺(→親王のところ)」に(伯父である)伊周の接近気を付けよ。と。行成「何があっても親王さまを伊周には渡さない。」と。
(『枕草子』読み…で、行成は、定子派との印象をもっていた。母后亡きあとの 敦康親王のケアとか。このドラマの 道長との関係も間違いではないのだろうが、描かれ方の「誰につく…」とかではない人格かと思っている。)
『藤壺』廊下のさんざめき。 藤式部 こと まひろ「無理!」と。
道長に「里さがり」願い。「皆様忙しく働いておられる。私だけのんびり筆を弄んでいては。(?というかな、皆様からそう見られているって訴えか)(よりは、)「気が散る。」「降りて来た…タイミング=自由な時間に書く」「夜眠れない。」という問題なんでしょう。 「どうか里に」に道長「ならぬ!」と、えらく厳しく。(左大臣の顔。 宮中だしね。)。
「「つづき」が出来たらおまえに会いたいと。」仰っている帝のお渡りが! 一大指命なのである。 まひろは、手直しし完成させた『桐壺』帖を渡すが、道長「わが最後の一手なのだ。」と伏して懇願。「藤壺で書いてくれ。」と。
「これが誠に帝のお心を…」と尋ねるまひろに、「判らぬ」「が俺にはコレしかない、」「賭けなのだ。」と。晴明の言葉で裏打ちされてるから…本当に引けないんでしょうね。
「負けたら?」「お役御免?」「無用の身?」は、まひろ自身の事か、道長さまを心配か、「そんなことは、ない。」って、まひろ 自分の心配でした。
「宿下がり」のご挨拶に中宮彰子さまに会いに来る。一人で「立って」外を眺めている中宮。
(『源氏物語』『野分』帖で、嵐が来そうな庭を眺めている「紫上」を、ふと思った。)
「藤式部にございます。」のへりくだり、「お寒くはございませぬか?」の、ご当人のご気分への問いかけ、「炭を持ってこさせましょうか。」の現状維持しつつの対処の気遣い。 という事ごとがほぼ、今(まで)の「にぶい」女房達に欠けている事なんでしょう。
「わたしは冬が好き。空の色も好き。」唐突な中宮の言葉は、「この人なら、わかってくれるかも」だったのでしょう。
「薄紅色では、」と尋ねる藤式部に「私がすきなのは青、空のような。」と。 「大石本」本当に上手ですね。
「里」戻ったまひろ。 家は、賑やか。 帰宅に驚くみんな。
「追い出されたのでございますね!」さすがイトさん。「涙でわかれてまだ八日だよ。」と惟規。に「八日も頑張られて」と涙の乙丸。 為時とカタコはお出かけ中。
(ネットで「配役クレジット」の流れる順番を話題にしているのがあって 「今回はトメ無し!」「斬新!」「史上初…」とか。 慣習として「クレジット」の最期に来る「大御所」-役者としの重鎮、年長、が出ない回もあるだろうに。ここには「道長」が来るべき。とか。(為時さん、死んでないです。)、そんな楽しみ方…もあるんですね…。 なににつけ、通例では、とか ベキ で 理解したくて、の 仕分け・整理 好きな人達。)
寛弘三年年初『帝前』「国司」選定会議。 に、右大臣が(元家臣を)推挙。 推挙の 平維衡は、領地争いで 一族同士の 平致頼と合戦を起こしている人間。
「このような者を任ずれば、やがて戦乱の世となる。」と道長 ( は、一族内での争いに嫌な思いをしてきたし…。) 猛反対。
大臣たちは、「されど帝のおせのままに。」と。道長が、先送りにした『伊勢守』の空欄に、誰かが書き込み決定の既成事実に。
「帝の裁可あり」となり、手出し出来ない道長。
まひろ、家で皆に「書き下ろし・新作」「読み聞かせ」。『帚木』の(後に通称)「雨夜の品定め」あたり。
「よくかけるね、そんなの。経験もないのに。」と惟規。「あのぉ、下品な男たちの話し 帝がお喜びになりますでしょうか?」と心配な イトさん。
この日も?この場に 為時、カタコ、居ない。あ、まだ同じ日か。?
『帝前』独り 道長「おおそれながら、政に傷がつかぬ内に、取り消さねばなりません。」と。 帝は「さほどゆゆしきとはおもえぬ。」と言うが、「武力で土地を取り合う世の中となり。やがては、朝廷をないがしろにするやからも。血で血を洗う世の中にならぬよう、御上のため、あえて申し上げております。」と奏上。帝、やっと理解。平 維衡 は任官間もなく解任に。
『藤壺』に戻った 藤式部、 中宮の前に「出来た物語、左大臣さまにお渡しに」と。 中宮さま「私も読みたい。知りたい」と。
藤式部「これまでのお話」を 口述。 背景-『飛香舎』の「藤」、植え込みが「藤」だから『藤壺』なのだが、その花房が凄すぎ。 造りもの感 満開。
(というのは、一条帝の宮中で「造花」の記録あって、=『枕』に、定子の父が「桜」の造花-一枝でなく樹1本、造らせて、宮中に持ち込んだ話し。等で、当時「造花で庭を飾る」こともあった。ので、ここの「藤」は、「季節」を表しなら、本物の藤…感がより大切かと思われます。) (「造花で盛った装飾」と見られてもOKって、ツーウェイなのかな。)
敦康親王のような境遇の、笛が上手は「帝みたい」な王子が「物語の主」と。 中宮さまの「皇子の名は?」に「光る君」と答える 藤式部。
またネット上で、『タイトル回収!』と騒いでたり。なぜ騒ぐのか…? 「回収」って、答え合わせ出来た自分が好きな人たち…なのかな。
「タイトル」に関して。「オープニングタイトル」で嫌だなーと当初から思ってた事の一つに、終盤、まひろのアップの横にに出てくる「光る君へ」の文字。 勝手な想像ながら、放映前、事前の関係者「内覧会」で流された時には、会場が「わーっ」となっただろう…と思われる=見事なタイミングでの「音楽」と「映像」での盛り上げ、盛り上がり。前例のない「途中での「タイトル」挿入」本当に良く出来ている「お仕事」。なのだが、「縦書き」と「横書き」の2つ在る「ロゴ」に「ズルいな」これ、と何かイヤなんです。 ここに「タイトル(ロゴ)」差し込む編集以上に、この「ロゴ」のツーウエイ。ご都合…で弛むシキタリ…なのか、革新的に…何を革新したのだろう。
話戻って、「その皇子は何をするの」と中宮。藤式部の「なにをさせてあげましょう。」は、いいですね。
「物語」を、道長に。「まだまだつつきが。」「藤壺で書きたい。」と。
「よく気が変わるおなごだな。」「なぜだ?」に、「中宮さまのお好きな色は空の青みたい。」「中宮さまともっとお話ししたいと存じました。」と。
帝、との接見。 帝、まひろを覚えていて、あの『新楽府』を朗する。
「堂々と己が考えを語る女は、女院さま(=母)の他にはいない。」と。「朕を難じておると腹がたったが、しだいに身に染みて、まことに不思議。」「皆に読ませたい。」と。帝のお言葉。
で、不思議なのは、そのお言葉への 藤式部 の返答「物語は、おんな子供だけのものにありません。」って。…なにを言ってんだろ、ここで、この…、ズレ…。
『源氏物語』『蛍』の有名な「物語論」の 件で引かれる『三宝絵(詞)』という984年に 源為憲 によって記された『天台宗』『勧学会』についての著述…。佛法説話集。…難しく、深いところへ行きそうなので、超訳 して、「物語は、虚言 であり、罪 の根源。」「物語の 儚い 慰み より 佛法に縁を結ぶべき」という観点で書かれてあり、ここから「物語は 女子ども の 慰み物」という観念-(悪)評価、(ダメな物という)思い込み、が紡がれ、当時の常識となった。と説明される。その「物語は「女こどものもの」という事(への抵抗)を、なぜここに持って来て、帝に言わなくてはいけないのだろう…。(は、脚本の)不思議、いや、訳わからん。
だって、男の、帝が、皆に、と言っているのに。
か、前半からのの「回収」でしょうか、「わかりにくい女だね」(惟規)とか、「どうした、(その変節)」(道長)のとかへの畳掛け。
「中宮さまにもお読み頂ければ。」だけでよかったのに。
大役、とりあえず、完了。いや、「物語」への最高(の階位の帝から)のお褒め頂けて良かったね。と思いながら、
「中宮さまにもお読み頂ければ、ほまれに。」って言ってて、帝に「朕では不足か?」って、「折り紙付てやったのに…」って、なりかねないよ、藤式部 なのか、まひろ なのか。
道長から褒美。 は「桧扇」。河辺に、女童、男童、飛ぶ小鳥、が描かせてある。「初回」の、まひろ と サブロー、即ち、藤式部 と 道長 の出会いの場面。 『一生の宝物』だと思う。
一転、暗雲漂う中、「錫杖」の音。南都『興福寺』の僧達が徒党を組んで押し寄せて来る。
『土御門邸』道長、 興福寺・別当 定澄 と対面。
「寺僧三千人、木幡山に。」「陣定で、お取り上げ頂けなければ、屋敷を焼き払う。」と。
『興福寺』は、『藤原』の氏寺。いわば「檀家総代」に「坊主頭」が何?
「やってみよ。」と道長。 で、 「つづく」