GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』31
為時 家 にやって来た 道長。 為時 は カタコ と 加茂の社 へで留守。
水面に散る 紅葉 =季節は 秋….。 今、京都近辺の 紅葉の時期は、10月~11月、「勤労感謝の日」あたりの京都周辺、紅葉見物の交通渋滞は酷い。11世紀頃は、紅葉が今より早かったとも思われるが、今の 紅葉の11月は、旧暦 なら10月=「冬」のもの、になっている。
後のシーンに出てくる『除目』( 公任を飛び越して 斉信が 従二位に)からすると、ドラマー今回の始まりは、『仲秋』=「旧暦の八月」。今の9月。この「紅葉」流れる演出は、無駄な(早すぎて……)間違いかもね。
「『四条宮』で評判の『かささぎ語り』読ませてくれ。」と言う 道長に
「そのためにわざわざ…?」…は、謙遜? 「そのようなお姿で」は…
私用での外出の「狩衣」姿に、なぜ? そんな事言うのだろう…。
「中宮さまに献上したい」という 道長に、「燃えてしまった」と まひろ。(…「焼けた」でなく「燃えた」の方が 残ってなさそう。)
「偽りであろう。」と言われて「床にほのほの跡」を示す。
道長の「もう一度書けぬか」に、「燃えたのは、残すほどのものでなかったから…」と。まひろ 自身もそう 諦めるしかない。というなの事でしょう。
✳ 『かささぎ語り』について…は、パスのつもりが……、
『とりかへばや物語』の元になる作品…というか、(このドラマの)『紫式部』が書きそうな「物語」は…と、今も残っているあの頃の「お話し」の中から選ばれたのが『とりかへばや』だったという事ですかね。
『性同一性障害』が、その昔からあった「記録」「証明」として貴重な「古物語」。「古」本と「今」本が存在して、「今本」は1168~1180頃の成立とされる。ドラマで創作された『かささぎ語り』は、11C後半に成立と推定される「古本」より70年以上先行している。 身分やジェンダーの格差、恋愛と社会制度についての話し…は、確かに「まひろ」が書きたさそう。です。
…にしても……。
で、その「おもしろい物語」が、娘によって「燃やされて」しまった。
(って、家で書いて、四条宮 で読み聞せして、持って帰って来て、またその上に新しく書いたのを重ね載せる…。って、不自然ですね。)
(ウェブ上の「29回の感想」で、どなたかが「キキョウさんの書いた皇后さまのこと」を「誰より一番に」読ませてもらった時の、まひろの紙の重ね方が「なってない!」と書かれてありました。そう、「ページの順番の扱いの事」「そう重ねるか?」と。 にも通じることかも。)
『四条宮』の「回毎」に束ねるとか、披露したのは「棚に」置いとくとか、
今書いてる「新作」だけを文箱に溜めていく。とか。…「書きかけ原稿」を全部 持ち歩いてる 感覚なんでしょうか。 となると、四条宮の皆さんにご披露していたのは、「清書」してない「書き下ろし」たて「生原稿」…なんでしたか、…大石さん。 作家さん独特のソコラヘン、わからない…。)
道長の来訪目的は「中宮さまのために新しい物語を書いてくれぬか。」と。で、まひろの言った「そのような格好で。」は、…「お忍び」というか、「正式のご依頼じゃあないのですか?」という問いも入っているのだろうか。(わざわざ「装束」の話を出す理由は…? 「直接、会って」に憚りのある「左大臣」という身分…への配慮。 より、後の「本当に左大臣さま?」って福丸に「ウチってすごいのよ。」とイトさんが言う-コントカットへの前振りみたいでもありました。)
「政のために入内させた中宮さまの今の境遇(の痛ましいこと)、お慰めしたい。親として。」に、まひろも「お役に立ちたいと思います。が、されど。」と躊躇。 ここにも「子を思う闇に立ちまどうかな」ですね。
「力を貸してくれ。」に…できなさそうな まひろ の様子に気まずくて、
「また参る。」「考えてみてくれ。」と帰る 道長。
への、まひろの「微妙な」表情。 で、
「タイトル」 演出は 中島由貴氏
寛弘元年「秋」
年上の公任を抜いて、斉信が「従二位」に昇格。 秋の『除目』は「仲秋」八月。 「お月見」の月。 紅葉にはちと早い。
公任、家=『四条宮』でふてくされて、出仕せず、昼間から酒。
斉信 が来て、「内裏におまえがおらねば調子が出ぬ。」と。
公任、「誰かにたのまれたのか?」と。敬語なのは「位」によっての事。
そこに 実資が「不思議な眺めにございますな。」と言いながら来る。
で、同じ話しに。斉信 が「今それ私が申したかところ。」と。
実は、実資 の 四条宮への訪問は、邸内の女官との 逢引き!が主目的。
実資 が居ることこそが「不思議な眺め」だった。
敏子 夫人の「学びの会」が終わって、まひろ、また『枕草子』のことを
アカネ に。心引かれなかったのは「ナマメキが無いもの。」「気がきいて
(効く?利く?)いるけど、人肌の温もりが無いでしょう。巧みなだなーって思うだけ。」と。 で、突然 自分の「黒髪の……」を詠じだす。
よーく知られた 和泉式部 の名歌だが、(当人の歌なのか、清少納言の詠なのかレベルで「知らない人」には……ややこしい展開(無理やり…、いや尺足らずなのに)挿入。って感じ。)「読んだ」と言ってた まひろ、アカネ から『枕草子』借り出す。そんな気まずさも打ち消す「も一度読まなきゃ!」で。 原稿を見せてもらった日の「回想」-清少納言 の言葉。思い返す。
『藤壺』の中宮さま。道長が来る。(また!)瓢に 彰子、顔を描いている。 この前は、一緒にやりたかったのかな。「わたくしも…」が言えない 姫。
道長の「衣冠束帯」姿、見事。 青の模様が際立った「平緒(ひらお)」が良かった。「平緒」は「太刀」を着けるための帯で、中宮さまにお目通りに「正装」、(卑近な例では)「雛人形の左・右大臣」がこの格好。
道長、彰子から、「父上と母上どうかなさったのですか?」と問われる。
『土御門』家に帰ってきても、文字通り 倫子とすれ違い。……でも、倫子は
怒っているより、悲しそうに見える。
の同日?の夜、『高松殿』明子「我が家の 巖と 苔も、頼道様に負けない 地位を」と、醍醐天皇 の孫の私……云々「おわかりでしょう」とやらかす。(詮子女院四十賀でのやらかし……叱られてないのかな。反省しない人。)
(このドラマでの)道長「内裏で子ともどうしが競うようにならぬよう、明子がそういう姿を見せぬよう気を付けよ。」と『高松邸』を去る。
「以来、土御門にも高松にも足は遠のき、内裏に泊まる。」ナレーション。
まひろ、家で 夜、酒に メザシで、惟規 に「 私らしさって何?」と聞く。
惟規 に「ぐだぐだと 根暗 で、鬱陶しい ところ」と言われて、まひろ、
何かに気付いて立ち去る。
(ウエブ「解説」「解釈」ユーチューブ等で、清少納言 が「書かない面」への興味、奔放な 和泉式部 の「自分の感情への素直な肯定」、「人目での」自身の評定、等々を総括して「でやるべき」を発見。とかいてありました。だいたい、まとめて、そうなのでしょう。)
道長 に文「物語かいてみようとぞんじます。」「紙をください.」と。
宮中の 道長左大臣 の机に「文」誰がどう届けたのか…ちょっと気になった。
越前の紙 9 包み、道長 自ら出向いて届ける。「宋の言葉で「越前の紙に歌や物語を書きたい」と言ってただろう。」と。それは、石山寺で、カタコを受胎した日じゃん。 まひろ の目が泳ぐ。
「おれの願いを初めて聞いてくれたな。」と 道長。
福丸の「左大臣さまこんなとこくるんだ。」のイトさんとの掛け合い。
数日?後、何か書けた…のか、道長 を呼ぶ。まひろ 柱 を背に、道長が読む時間を過ごす。 作家さんと 原稿をもらいに来た出版社の担当……みたいな構図?
笑いながら読む 道長に「(これ、)なにか違う気がした。」と まひろ。
道長 は「良いではないか。」「飽きずに楽しく読めた。」のに。
「中宮さまがお読みになるのてすよね。」は、まひろ の鋭い感。「もしかして嘘を?」って言葉に 道長 の目がおよぐ。
「実は帝に献上したいと思って居る。」「『枕草子』に代わるものを。」
「それを申うせば「政の道具」にするのかと怒ったであろう。」と白状。
諦め半分……謝る 道長に「帝が読まれるものを書いてみとうございます」と
まひろ。で「帝の事お話しを聞きたい。」と、あの♩ポロポロポのBGM。
「ご誕生のとき…」「定子に夢中」「遊び相手…」(ドラマの道長に、定子の悪口は無かった模様……)「俺もどうしたら良いかわからなかったのだ」と。……どの件に……でしょうね。
「帝もまた人におわす。」という事ですね。とまひろの マトメ。
いろいろ悩んでいた時、亡き夫・宣孝に「人だからじゃ」と言われた話し。
(続く「女も人ですのよ」と(突然…)言うまひろに、「そのようなこと判っておる」という道長…のこの挿入・会話、よく判らなかった。 何を言ってる?)で、「人とは、何なんで」ございましょう。」と言いってる 夕方。
夜、「帝の御事話すつもりが、我が家の恥を曝してしまった。」と道長。
一条天皇一代記…の終盤は、道長の二人の妻の話し、娘の話しだったのでしょう。「話し役に立てばよいが。」と、二人でみあける「月」は 満月。
きれいな月に「人はなぜ 月を見上げるのでしょうか?」とまひろ(自問自答して…)「もしかして月にも人がいて、こちらを見ていて、それ故。」と。
道長の「相変わらず、お前は おかしきこと を言う」と言ったのを受けて、
「「おかしきことこそめでたけれ」直秀が言っておりました。」と。
「月におるやもしれぬな。」と、二人で葬った直秀の(あの頃の)事を思い出し ( 泣かせる…) そして「 誰かが今 俺が見ている 月を 一緒に見ていると願いながら 俺は月を見見上げて来た。」と 道長の(まひろへの)「告白」
! があって。
のところの「満月」の映像…、合成(サイズ)と、つなげ方、ちょっと…。
「全てを語れた」のか……もう抱き合わない二人。 道長 帰る。
満月 の位置「南中」なので、「午前零時」。 帰路のお付きは……?
( この、 半日の「ブリーフィング」、メモも取らない 取材で、)
執筆を始める まひろ。まずは登場人物の「相関図」。
の文字、「帝」の文字、ひょいひょいと書くかく。いいのか。
戻ってきた家族(に、目もくれず、思索のまひろ)どうにかなってしまわれた?とイトが心配するが…。 (ここで…カタコ、何言った? 3回見ても、なんて言ってるか……聞き取れなかった。キーワードでしたか?)
次の画面には、天から 色紙・巻紙 が降ってくる イメージ画像。って「アイデア降ってくる」?を字面通りやった…(バカ?)演出! 中央で立たされている まひろ 、なんか(何これ…って)呆然としている様にも。
世間で「降りてくる」と言われる状況を、見事にヴィジュアル化。って、
工夫の無さに、こちらが恥ずい。(いや、馬鹿にされてるのかも。)
このシーンに「感動した。」って人も多いみたいなので、反感買うかも…ですが、これくらいの、何かに託した、見せ方、でないと、ついて来てくれなくなる現代。なんでしょうか…。 構想、構成、惹きやら抑え、こんな風に降ってくるの、紫式部 や、大石さん程の「天才」には、フツーの事なんでしょうかね。 背景が 笹・竹 で「七夕」みたいでした。
半日の 聞き取りで、帝の暮らし周りの事、後宮の地位・位置関係、どこまでが「宣旨」「勅許」のそれぞれとか、その運用・稼働のこととか、宮中の決まり事等々……知ること、確認、できたのだろうか。 あ、ま、道長 の 添削もはいったのでしょうね「献上」の「清書」までの段階で。
あまりにも、簡単に出来上がった(みたいな)「物語」。 たしかに『桐壺』帖は、宮中を深く知らないでも書ける「悲恋物語」がメインの話し……なのかもしれない。 研究者の説では、紫式部が先に描いていたー成人した光源氏の(オムニバス的)物語(2帖以降)があって、それを取り込んで光源氏の誕生からの「最初」=『桐壺』帖を書きまとめた。と言われている。 道長の依頼。 帝への献上物語。 『桐壺』からの書き始め、史実とドラマと、どれも意表をつく……ドラマチックな展開で、「かもしれない…」感もある、見事な解釈です。 (現存の『源氏物語』『桐壺』は、醍醐帝を想定していて…。と説明されるが、恐れ多くも、生々しくも、桐壺帝を一条帝になぞらえて、事実とつかず離れずのドラマ。そこに、一条帝が(抵抗なく)受け取れる『玄宗皇帝と楊貴妃』の事-でのいましめ、や 遺児皇子の扱いへの 示唆など、を盛り込んだ「書き下ろし」とは(後出しじゃんけん的でもありながら、)『大石本』のお見事!におそれいりました。)
でも、執筆のところ、あんなで良いのかな…。天才には「産みの苦み」はそんなに無いのでしょうか。は残る。(『源氏物語』を必要以上に「もったいなく」するつもりはないですが。)
道長、「こーれは」「帝がかえってご機嫌を損ねるのではないだろうか。」
の危惧。 まひろは「精一杯、これがダメならここまで。どうか奉ってください。」と。そこに カタコ 来る。
道長の問いに「むっつ。」と。まひろはドキドキ。
カタコ を膝に座らせる 道長。「母に似て、賢そうな顔。」と。
(ここの「母に」の一言で、道長による「夫婦(だよね)」成立「認知」完了感あり。) さて 道長は、自分の 娘 であることを知っていての事なんでしょうか。敢てぼかしている演出。なのかな。 ここも泣くとこですよ。
すべて気づいて今に来ている イトさん 泣くよね、本当ならもっと。
( 他に気づかれぬように、涙をこらえた演技…なのでしょうか。)
まひろの物語、帝に献上。「物語をかくものがおり。」と直々。
「蔵人に渡しておけば良いものを。」って帝は、「『枕』があるから、要らないよ」的な。
まひろは書き続ける。為時に「もうお渡ししたのであろう。なのに、」と
言われながら「直し」をいれてる。(そりゃ帝に奉るもの…だから。って、ダメじゃん、校了そこそこ…で、もうお収めして、その改定版作ってる…
って。) すでに、道長の、娘のための、帝への「物語」でなくなっている。という事なのでしょう。
宮中、帝の『どこのお部屋』? 独り、
「いづれのおおんときにか 」まひろ の声で「物語」はじまる。
部分部分が亡き 定子 の思い出に重なる。 (これから『枕草子』が
「遺物」感を増していくのでしょう。)
で、閉じて、見返す。 で、つづく。