GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』39
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「年子の皇子さま。素晴らしいですわね。」
横になっている彰子、の横に並んで 乳母、母 倫子、ババ 穆子さま も。
『土御門邸宅』 にて
「産養い』と、その 後宴。公卿たち を招いて。
道長、双六の賽子(占い)で「五」を出す。「ああ、良かった。」って感じの表情。さすが。
という「今」に、 独り 藤式部「宿世」と書いて眺めている。
で、「タイトル」 演出・佐々木 善春 氏 「とだえぬ絆」
『為時屋敷』 「左大臣さまからの賜り物」正月の米、酒、菓子、と
白銀色地の立涌の地紋も美しい「唐織」生地、家に届いている。
惟規と、為時、まひろ、と、糸さん。『裳着』の祝いに最高級の織物。
「やっぱり自分の子はかわいいんだな。」と惟規。に、為時が、「今、何と申した?」と、まさか、ええっって感じで。
惟 「父上知らないの?」
ま 「ご存知だと、おもうけど。」
糸 「若様に、だけはお話ししたような。」
為 「カタコは…左大臣さまの、」
惟 「言ってしまってよかったよね。」
為 「宣孝どのは何も知らずに?」
ま 「ご存知です。そのうえで一緒に育てようと。本当にかわいがってくださりました。」 ……「台本」を写してしまった…見事な掛け合い。
そうですね、為時さん、事実を知っていたら、カタコとの爺・孫関係、きっと全然ギクシャクしていたでしょう。親友 宣孝 の 忘れ形見と思えばこそ、より可愛い。もあったでしょうし。
為 「左大臣さまは?」 に、まひろは「いいえ、」と。
為 の「いい機会。お話ししては。」は、たぶん、皆も意外な言葉。
♬ ポロポロポ ♬ポロポトポ ♬ポロポポポ のBGM。見事に『物語』中の
左大臣(元の頭の中将)と玉鬘(夕顔が産んだ娘)の『裳着』匂わせ。
…あ、そういえば、前に『帚木』を家で読み聞かせしていたけと、豪華本まで出来た「33帖」、為時家 の みなさんは読んだのかな。…家に「写本」? 下書き「原稿」はあるか…。 為時 の発言は、源氏物語『行幸』での展開からの台詞かな。=「実の父」に「腰結い役」をお願いする……。
カタコ 帰って来る。やはり「何処から」?
「叔父上さま、いらっしゃいませ。」と惟規に挨拶。為時の「左大臣さまからの…」に「いりませぬ。そんなの。」って。惟規の「まさか知ってるの?」との(視聴者も含め)みんなが思うことに、まひろ、頚よこに振る。
カタコは「左大臣」をどう思っているのだろう。「左大臣」が来てから、母が「物書き」に没入「宮中」に取られて、で、「殿上暮らし」に毒されて…と、嫌っている。とみるのが妥当かな。 まさか男女の関係を嫌って…ではないでしょう。過日の「妾だから」は、宣孝の妾であった事だろうし。
にしても、為時さん、お堅い学者肌、世渡り下手な真面目さん、だから、左大臣と娘のお付き合いにはヒヤヒヤしながらも、まさか子まで成していた!とは思ってなかったんですね。
宮中『子の日』の宴。
和琴。朗詠。拍子。いいですね。こういう宮中・貴族の光景が素晴らしい。
帝に公卿たち。為時も居る。 あ、一条帝に「鬚」、やっと生えたか…。
公卿の皆さん、ドラマの「正月」刻み ( か、演出家 毎 ) でか 加齢。
でも、今でも、行成 は 鬚無し。 (あ、NHKさん、行成-渡辺大知さんの扮装写真変えてあげて!ください。他の皆さんと比して…ちょっと……。)
藤式部、書いている-女三ノ宮 の 不義を知った 光源氏 の箇所。『若菜 下』
道長、藤式部に「子の日の宴に、おまえの父も招いた。」「何か私に言いたげであった。」「そして、途中で急に帰った。」 式部は、あの事、言う言わないでの煩悶だったのだろうと思うが、「晴れやかな場で、慣れぬ父、調子狂ったのでしょう。」と取り繕う。「不思議であったな一。」と道長。
こういう部分は鋭いのに。自分が父かも…とは思ってないのかな。
式部、気まずい。やばい。と、その場を逃げる。
また公卿たちの集まり。「道長 が 磐石だ。」と 斉信。
「御孫君 が 帝 となられるのはずいぶん先。」と 公任。
「そうでございますね。」と 行成 。
「目の黒いうちに帝とお成りあそばす姿見たいものた。」と 道長。
俊賢、「お支えいたします。」に、即 斉信「売り込むな」と。
に続いて 公任 から「 伊周、具合悪いそうだな。」と。
伊周、ほぼ 臨終の床 。「奪われ尽くして死ぬのか」 と。
息子・道雅に遺言「左大臣には従うな。」「低い官位に甘んじるくらいなら出家せよ。よいな。」と。素直に聞きとる道雅。 外には「雪」が舞っている。 定子 の声「今日は 雪遊び にしません?兄上」と。 そう『枕草子』での 定子 の思い出に「雪」は欠かせない。 伊周 の意識は、亡き父、亡き母、亡き妹、と共にあって…「雪だ。」と。 翌日、36歳で亡くなる。
を行成『権記』に。 亡くなった日時…何日後に知ったのか…なんでだろう「権記」の記載箇所の周囲、記述でけっこう埋まってる。年中の「行事予定」「約束事」等が書いてあるのでしょうが、余白に記入…みたいで。
帝、行成 に「恨んでおるだろうな。」とは、今は 彰子 に満足…ということなのでしょう。ま、憎みに恨んで「呪詛」とかで 人格がおかしくなって来ていた伊周。 だけでなく「老」や「病」も含め、帝 はその様なもの、こと、穢れ や 不幸 からは 距離を取らなければならない存在でもあるので。致し方ない。「敦康のこと、心残りであろうな。」「朕は…」と今後の話し…になったところで、胸を押さえて…倒れ(られ)る。 …呪詛がここに?!
「ご無礼!」と 行成 慌てて 御簾内に。
「元服 を 急がねばならぬ。」「中宮 の 出産 に紛れることなく 敦康 の「元服」世にしらしめられる。」と、一条帝、左大臣 や 彰子 を気にして、愛息敦康 の「元服」を後回しにしていた事が判明。(行成と視聴者だけに。)
喪服 の 隆家 が来て、道長 に「穏やかに旅立ちました。」
兄に代わって自分が 敦康親王 の 後見となること。「後見 となりましても
道長さまにお仕えいたします。」と宣言。
隆家 中納言、脩子内親王 に挨拶に。侍する 清少納言 「左大臣はどんなお顔で?」「私は、くやしくてなりませぬ。」と。
『藤壺』 中宮・彰子「太宗、常に、人を以て、鏡となす。」『新楽府』で漢文のお勉強。藤式部に習っている。中宮、読めて嬉しい様子。
に「お学びの最中に失礼いたします。」と、彰子・妹の 妍子が来る。
東宮・居貞 親王 の妃になる 妍子「18歳も上の お年寄りの 東宮さまに。」と不満。「素敵な方」との 姉の言葉にも「歳寄りは歳寄り。」と。 「娍子さまも、いて。最初から負けているの、なんだかくやしい。」と。
「宿命に逆らわず、幸せにおなりなさい。」とさすがの姉・中宮。に、
「私たちは、父の道具でごさいます。」と言ってしまった 妍子に、藤式部がひとこと。「そのようなお言葉は、ご自身を貶めるだけで…」と。
「なんか煩い、この人。」と 妍子さまお見事。
夜、都大路…(いや、広くない)道を行く「牛車」。
『東宮御所』での宴。 大夫である道綱も居る酒宴。東宮の息子敦明王が、
舞を舞っている。(同年代の)夫の息子が気になる若妻…「御簾」陰から、「立ったまま覗き見ている」のは、『若菜・上』帖の 女三の宮 さながら。あぶない危ない。
道綱から道長に「妍子サマ宴好き」で「(浪費の)かかりの無心」話し。
道長 牽制で、右大臣も 娘・延子を 敦明王 に輿入れさせる。
「ゆするつぎ」の水に、水蓮 の花。こりゃ「熱帯スイレン」日本の自生の
「ひつじ草」でないと。まさか「蓮」の代わり…なんてこと…無いよね。
彰子中宮 さまの御前に(成長著しい)敦康親王。子役から交代の片岡千之助さん「みずら」姿が非常に生々しくて、そりゃ 道長 も心配だろう。
…この場に藤式部しか居ないのは、ちょっとあり得ないけど、ドラマ脚本の都合上、他の女房が居ては…不都合という事で、仕方ないのかな。
今までの礼を述べる途中で 涙につまる 敦康親王。中宮前まで降りて手をとる。「立派な帝になられるよう精進なさいませ。」の励まし。に、道長 が来て「私がご元服の儀式の 加冠役。晴れてお独り立ちでこざいますな。」と
引き離す。約9年 母子として来た 中宮と親王の共に 青系の衣に増す哀れ。
『藤式部の局』 道長が「敦康様、おまえの物語にかぶれすぎだ。」「真似をされては。」と、『源氏の物語』の藤壺と光源氏を持ち出す。「つまらぬ事を。」「もし、そうなったらどういたしましょう。」と式部。「からかうでない。」と怒る道長。 宮中の少なからずが、妄想したり、ひやひやしているだろうに、藤式部は、自分の創作-架空の話し。と、現実と隔絶して考えている。「ずっとご一緒だったから、お寂しいだけでごさいましょう。」 って。「光る君も同じではないか!」と道長。そうだよね。
呆れ顔をするだけの藤式部、「なんとかする。」と出て行く道長。
「優れた作品は 一人歩き を始める。」と言われるように『源氏の物語』、
既に、現実世界に影響も。狙った当の 道長 にも感化大きくて。ですね。
「 ご元服後、すみやかに 竹三条殿 に移せ。」と 行成 に指示。
この『竹三条の宮』とも呼ばれる所「宮」とは付いているが『枕草子』で、「大進 生昌が家」と出てくる= 但馬守・平 生昌の屋敷。清少納言 に「こんなところに…中宮様を」と 仮住まいとしても不満を漏らした家。定子が出産や、そして死を迎えた場所でもあって。 そこに定子の皇子・敦康親王を「お移し」する…のは、もう、かなり「闇」が深い 道長 である。
『為時屋敷』に勅使。 惟規を「従五位」に叙す。」と。
迎える為時は赤い袍。カタコは黄色の上着。緑の袍の惟規とで「信号」色の三人。みんな大喜び。の中でとりわけ嬉しいのは、実の子の様に育ててきた「乳母」のイトさん。「若様の赤い束帯、ご用意してありますよ。いざという時のために。」と。「わかさま。」と抱きあって泣く。
喜んでいる為時、老けたね。 ……「次回」への「フラグ」でなく、あと10分もしない内への「不幸のフラグ」辛いですね。
春の除目で、為時『越後守』に。
父、息子、2人で赤い束帯で、宮中に左大臣様に礼に来る。
惟規君「おそれながら、姉もお世話になっております。」「姉は気難しいですが、どうぞ末長くよろしくお願いいたします」の挨拶。 ドラマの脚色…
創られた台本…と判っていながら、道長への弟君の 遺言 めいて………。
「東宮さまのご在所に寄って顔をみて参れ。」と道長。
『藤式部の局』 為時が「ここがおまえの仕事場か。」とやって来る。
「左大臣さまは、おまえには親切だな。」としか言えない。惟規は「カタコも藤壺にあがったらいいよ。」と。
「越前は、越前より寒うございましょう。」「もう会えぬやもしれぬな。」
と言う為時が、「もう会えなくなる」悲劇に遭う……「フラグ」。
「此度は私が越後に…」と惟規。「酷いふられ方しました故、気分を変えたく、父上を送りに。」と。
『カタコの裳着』、屋敷で。左大臣からの唐織の「唐衣」。『腰結い役』は惟規君。 (史実でも、惟規は、既に妻子持ち、この家には住んでいない「叔父上」である。)カタコの一世一代の儀式、いろいろが上向きで、家族の喜びの頂点ともいえる夜。 部屋に充分な「灯り」が無いのに!画面が明るい!明るすぎ。この絵にするなら、また、考証的にも-もっと「灯火台」を並べないとだめだと思う=(座っている背後にしかない「灯り」で、皆の顔 儀式の衣装 祝いの膳等々「式」全体がこの様に見えるわけ…無く)明るいが…深みの無い…残念なシーンでした。( 灯台の数 が 目出度さの度合い。)
さて、越後に発つ 爺さま。 カタコはココに残るそう。「もう一人前ですから。」宮仕えの話しには、「母上と 同じ生き方はしたくありません」って。
きつい子 ですね。 「頑固なところが似ておる」と 為時 爺は言うけど。
庭の遣り水 眺めながら、まひろ と 惟規。
「姉上の裳着の時はこわかった」「父上と目もあわさず。」 あんなに反目していたのに、今は全然違っていて。「親子って変わるんだな。」と 惟規。
「斎院の中将の君 は。ころっと心変わりしたけど、左大臣さまの 姉上への思い、かわらないの凄いよ。」と。 ここの「変わる…」「変わらない…」なんか辻褄あってるのか、あってないのか、ややこしい。また何か…当初の「本」から、省かれたのかな。 で、「まとめ」に入る惟規。
「きっと、みんな、うまくいくよ。」「そんな気がする。」「よくわからないけど。」 は、ドラマで描かれてきた 惟規のキャラクターに合っている…けど、「よくわからない。」
『越後への道中』 山越え。 「ホトトギス」が鳴いている。
この「大河」『光る君へ』で、初めての「ホトトギス」「時鳥」「不如帰」
かと思う。 惟規、苦しみだして馬から崩れる。
『越後国司の舘』 山藤が美しく咲いている。
魘されながら「あつ子…」と一言。またホトトギス。
抱いて支える為時に「左大臣様にカタコの事。」と言いかけて、「紙」と。
「歌」をしたためだす。「辞世」と思って泣き顔の為時。
父に支えられながら、最後の力で持つ筆。 …………思」の字で、命尽きる。
為時、「惟規」と呼ぶ。呼ぶ、呼ぶ、呼ぶ、よぶ。呼ぶ。
この件、元となった逸話『今昔物語』では、都には「わびしき人」とある。
そして、この絶唱を記した紙は、為時が肌身離さず持って、見て流す涙で
とうとう消えてしまった。と。ドラマで生身の、そして紫式部に無くてはならない人として、存在を見せられた 惟規 喪失。本当に悲しいことです。
『京の家』みんな泣いてる。「これが、辞世の歌。」とまひろ「ああー、」と糸さん。「ここで力尽きたと「思」の文字に「ふ」を書き足した為時。からの文。(は、「写し」か……。)
「みやこにも 恋しき人の 多かれば なおこのたびは いかんとぞ思ふ」「生きて帰りたいって。」と、泣くまひろ、泣いている母を初めて見て、
母に寄り添うカタコ。
惟規 の 最期の プレゼント!的、母と娘の抱擁。 で、「つづく」
惟規 の辞世の一首(「歌人」として優秀だったの、知りませんでした。)
この歌の「いかんとぞおもふ」=「生きよう(生きたい)と思う」は、
姉・紫式部 の『源氏物語』 第1帖「桐壺」での 光源氏 の 母 桐壺更衣 の
帝 への 辞世「いかまほしきは 命なりけり」と呼応。と聞こえました。
「人の悲しさ、お姉ちゃんの書いたの、ほんとにわかるよ。」と。