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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』40

桜 吹雪 の 『 藤 壺 』の 庭。
帝前で『 源氏の物語 』の 読み 聞きの会。オールスター で楽しむ。 『 若菜 下 』     ……大丈夫か?…皆さん どんな顔で…と思ってたら。
「中納言でしめくくるとは。」と, 物語の展開への「えぇー」は無く、敦康親王は、作者当人に「教えておくれ、」と 女三ノ宮と柏木のこと質問。 (うっかり、光源氏と 藤壺の関係のことかと、思ったが、今、読んでいるのは『若菜』だし。 ご自分の身に引き寄せて…ではなく、でも、やはり…、)
横から 彰子 中宮が「私も聞くのですが(いつも)教えてくれぬのですよ。」と。 親王は「光は 愛しんでいたと思うことに。」と。     で……えっと、身に引き寄せて…ではないこの 帖の ココ…。敦康親王 が 光 の心情を…って、ちょっと混乱。ややこしい。読んでいるの…『若菜』でなく『若紫』?…じゃないですよね。
に、「たとえ心を得ても 幸せ にはなれないと存じます。」「道ならぬ 不実の罪 は必ずおのれに。」と トイメン の 道長 から言葉。 藤式部、道長 が声を上げたことに ハラハラか。 に、帝 が「左大臣 からそのようなこと聞くの初めての事。」と。 「場」を取り持つのも仕事だからか…  和泉式部 が「罪の無い 恋 などつまりませんわ。」と。それを受けて 赤染衛門 まで「途 険しき 恋 にこそ。」と。は、上手な 締括り。 さすが 衛門。
道長 は、苦虫顔。 藤式部、ま、なんとか事なきを得て。
夜、『式部の局』 「やがて命が…」-柏木 死んでいく身の受認と「かりそめに」-諦め、「あかしとしよう」-自らへの慰め、の部分=『柏木』帖 書いている。 この「不実」の状態は、遠廻しに「定子への帝」や「敦康と道長」の事を突いていて…。 道長 の発した「不実の罪」という言葉を反芻しながら。   
「タイトル」    演出  松本 仁志  氏  「君を置きて」
帝 と 彰子中宮 二人、大殿籠り。「寒くてもなぜ、暖かいものをお召しにならないのですか」に 帝「苦しい暮らしの 民の心 に寄り添いたいから」との答え。 「太宗皇帝 のような名君であらせられます…」と言う 彰子。帝は「『新楽府』を読んでおるのか?うれしい。」と。 また差込みが起きて。「いつもの事だ。」と。 記録 での「1011年5月22日」の事、か。  
翌朝、帝前、帝、道長に「下れ」と言って 咳。(横に居て…?)中宮、お世話。 
『藤壺』で 彰子、藤式部 に 御具合の悪さに「帝が亡なくなられると怖い。」「尋常ではなかった。お具合悪いのに薬師も呼ばず、私のせいだ。」と。  鴉の声、鐘の声。
大江匡衡 の「易占」。匡衡 途中で手を止めて「世が 変わると出ました。」に加え「お畏れながら『崩御』の卦が。」に「ご寿命は聞いてない!」と道長。「醍醐帝、村上帝の御崩御の時と同じ卦が出ました故、お伝えしなくては…」と 匡衡 が言うのを、 几帳の隙から 一条帝 聞いてる (ドラマ展開) 。
大江匡衡 は  赤染衛門 の夫。曲水宴 にも居た。いわば、道長 の息がかり。 
『御堂関白記』『権記』には、25日に「譲位」の占い結果と。記録では、『清涼殿』帝の 寝所の 次の間で「易占」の結果を見た 道長 と 護持僧が「声を上げて泣いた」ことで、帝 自らの先の短い事を知った。と。  ドラマ を見ていて、「なんでソコ で占う? 」と思ったが、記録からは「なんでソコで 泣いた?」という事。 道長 奏するのではなく、帝 に聞かせ、察知させ、ダメージ投下 のためか と思われる。 
道長の「闇」深まっている。  記録とおり、26日「陣定」で「ご譲位」の備えについて、と発議。 実資 怒る。右大臣・顕光は「帝がお望みなのか?」と言うが、俊賢の口火で 他の公卿たち「仰せのままに。」と 左大臣 に寄る。
『三条宮』 敦康親王 に 隆家「譲位」のことご報告。「どうなるのであろう…」と。清少納言は「敦康さま以外、選ばれる事は無い」と。隆家 はその言葉が漏れるのを気にしている。
『藤壺』藤式部、敦成 親王 遊んでるのを見て 過日の 道長 の「次の東宮 様」と言った(失)言 思いだす。 やって来た 宣旨の君 に「次の…」と聞く。「控えよ!」と言って後「敦康さまであろ。」と宣旨の君-と言うのが 「順当」で「普通」の考え という事。
道長 に呼び出された 四納言。「政のお続け難しい」との『易占』が出た事を知り、行成は「一の皇子 敦康 さまかと。」と。俊賢は「罪の家の(定子)の子は(ダメ)」と。公任と 斉信は「敦成さま」を推す。 渡殿で 四納言「なぜ 道長はそれを『陣定』で言わなかったのだ?」に、行成「言霊を憚って。かと。」と。公任「ご崩御の卦も出たのであろう」…で、「あ、言ってしまってる!」と 口にしてしまっている 納言たち。
夜空の『白鳥座』の挿入。『二十八宿』でも『北斗七星』でなく。夏だし。でかな。 『ぬゑ』=トラツグミ の鳴き声、もかぶさる。
じっと 手を視る 帝。 月光 を浴びている。       明けて 27日。 寺の鐘。 帝、道長 に「譲位すると決めた。」と。 「譲位」について 東宮 と会いたいとの事、道長 が 東宮・居貞 親王 の所に。 「それほどお悪いのか。」「自分ならいつ(から 帝 位)でも良い。」と やる気満々。 道長、同 殿内 の 東宮の 妾、娘・妍子の許へ。物売りの者来ていて 散財中。 咎める 父 に「母上が 土御門 で引き受けると言われてる。」と。「 次の帝 の お后 に相応しいお振舞いを。」と言う 道長 に「お年寄りより、敦明さまがよかった。」と言っている!始末。,道長の複雑な表情。 妍子さま 母似…なのか。
『清涼殿』で 帝、行成 に「(東宮として)敦康 を頼む。」と。行成 は「そのお心 感じ入ります。」と言いながら「されど」と続けた。
清和天皇 の故事=藤原良房 の話しから 「力のある「外戚」が無いと 帝位・朝廷 を守ることは難しい。」「今は 左大臣 様以外 居られない。(逆らえない)」と。帝は「朕は「天の定め」に従うしかないのか。」に「なにとぞ-。」と 行成にまで頭を下げられては…。帝 泪しながら、諦め「わかった。」「さがれ。」と。「ブルータスおまえもか。」ですね。  行成、厳しい顔。……哀しい顔? 御簾 の内、一条帝 の嘆く顔。   清涼殿を後にした 行成、小走りで 道長 の許へ。立ったまま話し出す(演出、上手。)「ただいま敦成さまと。」と 道長に 報告。「なんと。」「またおまえに救われた。」「行成あっての私。」と泣き笑いの道長。 行成 頷く。道長 の 褒め言葉に笑顔…だが。「中宮様にお伝えして参れ」と言われて。ハッと気づいたか、この大役の恐ろしさ。この時の 行成 ……見事な 複雑な表情。
彰子、怒る。父の「帝 がお決めになった。」に「弱られている時に追い詰めての…」と。御帳臺で 二人 で交わしたあの(22日)夜の言葉から、帝 の本心でない事、自分も間違いだと思う父の行いに、中宮 は 心底怒っている。 
「私は、敦成 の母であり、敦康 の母でもあります。」「どこまで 私を軽ろんじて居られるのですか!」と、帝 の所へ行こうとする 彰子の左手を取り、道長 圧し留めて「政事を行うのは私であり、中宮様ではございません。」と言い切って、去っていく。 
ココ、この場、を 見聞きしているのは 藤式部 だけ…。式部だけがお側に。 泣く 中宮。「中宮 など何も出来ぬ。」「愛しき 帝も 敦康さまもお守り出来ぬとは。」 「何故 女 は 政事に関われぬのだ?」とさめざめと泣く。
この出来事が、彰子 のこの先の「国母」としての 覚醒、強く生きる…に繋ががって行くのでしょう。 『源氏物語』で、辛さの極みに「負けてはいられない。「恥」となるから」という転換・展開が出てくるのと重なっている。   
道長一人座ってる。物思い。-酷なこと…と自覚でか。  藤式部・まひろも 物思い。
居貞親王 内裏に。 帝 から直接伝えられた「譲位」について「今や遅し」と思ってきた 居貞親王。-いささか無礼な振舞いなのは、歳年下の 甥 への態度で…。( 嫌~な顔になってる。)
一条帝の「践祚せよ。」に「励みます。」
と。親王 からの「次期東宮は…」とのお尋ね無く、帝 に「敦成 に。」と言わせる。で、もはや用なしの 帝 前 から早々に退出。
夜、『東宮御所』「敦康 をしりぞけ、敦成 にするとは 左大臣 抜け目ない。」「言いなりにはならぬ。」 と言う 居貞東宮。姸子には…聞こえてないのかな…。
11日後、ご譲位。 夜、一条帝 の 寝所から「玉」と「剣」移動。 『三条天皇』朝に。 
翌日、道長、『東宮殿』(は『藤壺』のままか…?) 道長 が 東宮 様にご挨拶。 新 東宮の母・彰子「東宮さまを力の限りお支えせよ。」と命じる。
『三条宮』で、清少納言「お諦めなされるな。」「まだ何があるか。」と伊周のような事を言うが、敦康親王 は 「穏やかに過ごすのも良かろう。」と 父帝 を見て来ての思い-諦観。
『後涼殿』?か、外からの読経の、几帳の内、帝→一条院、死に備え= 頭 を丸めている。横に控える 彰子。 朦朧としている 院「つゆのみの」と。彰子 の手を取り「かぜのやどりに きみをおきて」と、泣く 彰子。「ちりをいでぬる」との辞世に 彰子 泣く泣く。道長 も 几帳の外から目を潤ませて聞いてる。「おかみ」と繰り返し呼ぶ 彰子。
翌日、一条帝 崩御。    ここで挿入の机を前に居る(直衣な)のは誰?でしたが、邸での 行成 だろう。続いて 道長 が書き入れている…のが『御堂関白日記』だから、先のは 行成 が『権記』に。という事でしょう。
濃い喪の色の服 の 彰子 喪服 の 式部。 一条帝 の「辞世」の 御歌 は、『御堂』記載の
「露の身の 草の宿りに 君おきて 塵を出でぬる ことこそ思へ」 と
『権記』の
「露の身の 風の宿りに 君おきて 塵を出でぬる ことぞ悲しき」 の
違った二つが伝わる。
ドラマでは、一条院 が 最後を継げづに、この二つのどちらかに絞ることをしない演出で、上手くまとめてあった。
 「こんなところに」「ひとり」「残していくこと」が悲しい。と読める 我が「未練」は、自分の生にでなく「その誰か」に。という複雑な心理の「御製」。 ドラマ=画面では、危篤の様態で「手」を取って、その歌を伝えた 彰子中宮への言葉と(『御堂』=道長の解釈。の様に)なっていたが、歴史研究界隈 では、今日でも「誰を」には複数の解釈が 「敦康説も含めて」。 その一因は、行成の記載『権記』が「皇后への御歌」と書いていて、「中宮」彰子へではなく「定子」への歌と読めるから。 行成は『定子サロン』から「2代の妃」に仕えた気真面目な廷臣。日も経っていない一条帝への「東宮選定への進言」で、かつての妃-自分も仕えた皇后への不義理…への謝罪、定子供養もあっての「解釈」で、この「鑑定」だったのだろう。  行成の活躍…というより(保身も含んだ)苦悩、それを伝える演技の極まった今回、お疲れ様でした。
ネットの「ドラマ解説」YouTube等で、他のキャストは、NHKの配信画像 「扮装写真」が使われているのに、行成-今回言及の 渡辺大知さんだけは、別の写真 の切り取りだったり。やはり、ここのところのこの大役にアレではね。(と、前回言ってたこと、外れてはなかったのだろう。と思ったり。) 今月からの『旅行看護師』2話目で、前に出て来た「若手外科医」の大知さん、口の周りの青さ…に『大河』での平安貴族の自然に見える メイクの(思う以上の)濃さ…判って驚きです。 …いや『トラベル…』が、わざと髭の濃さ 演出しているのかな。
『市井』を歩く 乙丸を伴ったカタコ。市の広場で、青菜をウリに交換。(入れ物-笊ごと。)
乙丸の隙を突いて「ひったくり」、「ぬすびと」と瓜を追いかけるカタコ。追って行った長屋裏で、カタコ、男たちが現れ囲まれる。
に、現れた双寿丸、男たちをヤッツケて、瓜盗人も捕らえる。 に、乙丸やっと追い付いて。
双寿丸「気が強いな。」とカタコに。足を挫いたか 負ぶわれている乙丸「姫様になんということ」と頭を小突く。
『家』 「どうしたの!」とイトさん。帰宅した姫に連れられて、乙丸を負ぶって突然 現れた下賤の男に用心顔。
「助けてもらった礼にご馳走。」と言うカタコに、仕方なくご飯用意。山盛り白飯。男は名乗って「双寿丸。」という「平為賢に仕える武者。」
「ご飯食べたら、今日かぎりで、来ないで。釣り合いませぬから。」と。イトさん…無用心すぎる。「国司の家」と知られて盗賊に来られたらどうする! まひろの時、直秀 は隠密に まひろ の前にだけ現れた。  成り行きながら双寿丸、遠慮無し。。
に、藤式部・まひろ帰宅。娘の横に坐って…飯を摂る男に「だれ?」
双寿丸も、「あなたこそ。」 って。       で、「つづく」
「添付画像」は、藤原行成 書の白居易から。


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