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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語 『光る君へ』32

やっと京都「北山」、いや 京の 都の 北の 山々 が出来ました。
いまだに、「オープニングタイトル」の中の「京の都」 内裏を俯瞰する
カットには、(2種とも)「背後に在るべき山々」が欠けています。
一瞬ですが、「ゴ~ン」と鐘がなる都の「俯瞰」映像、修正されてました。
『宮中』亡き 定子が生んだ 一条帝の長女 脩子(ながこ)内親王の『裳着』
宮中行事としての「裳着」、内親王の母方の後見人=伯父である 伊周の席順でもめる。 現在、官職なし、一時、謀反人として左遷された人物。
なれど、(ばか)帝の意向で、「大臣の下、大納言の上に」と。
ま、血縁の後見人だしね。 罪科が無ければ大きくは揉めなかったのだろうが、なにより帝の「道長への牽制」であった。から。と。
控えめに?『清涼殿』で……だろうか、居並ぶ 殿上人の「衣冠束帯」帝の
白の「直衣(のうし)」どれも見事。 貴重な「映像での再現」。 
「タイトル」(都の俯瞰、差替えできないんですね) 演出 黛りんたろう氏
小さな厨子の持仏。 母のへの花、
の、その「菊」ないよ! うぐいす鳴いてて「あたかくなってきたわね。」と まひろ が言ってる「春」に、ハウス栽培の現代品種の「コギク」って。
制作スタッフの 植物音痴、本当にひどい。平安時代に何処からどう?「季節外れ」の花。また「野生のキク」の姿態、見たことある人いないんでしょうか。 と、「仏事=菊」って 認識(低い)レベルの人たち。情けない。
きぬ と 乙丸 の喧嘩。きぬの「けち」って言葉…、え、えっ!と思い確認。
「ケチ」の宛漢字「吝嗇」の「吝」。「吝か」=読み「やぶさか」と使われて「物惜しみ、思い切りの悪い、ケチなこと。」と。平安時代に「けち」は使われてなかった模様。「やぶさか(で)」とか「やぶさがる」なのでしょう。でも台詞を「現代口語」に直してるドラマだから、「やぶさかで」だと、伝わらないから…仕方ないか。    『源氏物語』に光源氏の使う「やぶさか」アリ。
「美しくなって他の男の目にとまるのが…。」の挿話は、どこかで活きるのか。
イトさん「お方さまと亡き殿ともよく。」「火取の灰を投げつけられたりして。」と回想。 『真木柱』のアレ、ココから。のための言及かな。
「せんだっての物語は?」とイトさんは「実入り」の心配。「良いお仕事になりそうでしたのに。」と。 まひろ は、「書きたいものがどんどん湧きあがってくるの。わたしのために書く。」と。「降ってくる」んじゃなく。
『裳着』から数日後、
『土御門邸』で『漢詩の会』。道長は、伊周も隆家も招く。
「私のようなものまで…」と挨拶してはいたが、作った歌は
「(我が世の」春が過ぎ去り、(家の繁栄の)枝の花(皇后だった妹)は散り落ちて、霞は(帝か?)存在感薄れ、高く聳える峰(のような政敵)によって先の見通しもつかず、谷(底の我が家)は沈まり、鳴く鳥(の賑わい)もい無い。老いていくだけの自分は、帝の恩顧に頼るだけだ。という(不穏な)不遇を嘆く詩を作り、発表した。 「一同(同情の)涙」の記録あり。
斉信 は 本意に気付かず「けなげ」と。公任と 行成は「いやいやあれは…思いと裏腹」と。  庭には「藤」が咲いていた。
の3人、『引き物・禄』=会の褒美の賜り物の衣料を肩に担いで帰る。
(例えば、女房衣装一式とかもあったこの習俗、もう少し衣にボリュームがあってもよかったかな。)
帝が『陣定』に 伊周 を加えよ。と 道長に。「難しい」と渋る 道長に
「朕の達しというと揉めるから…」「お前が説き伏せよ。」と。
この無理難題は「そなたなら、いかようにもなろう。」と言う 皮肉が言いたいが為でも。「朕のたっての望みじゃ。」は、バカトノを装っての 伊周 贔屓。 嫌がらせ入り。で、書かれたのでしょうか。 
「善処してみる」と受けた道長の「先日の物語は?」に「忘れておった。」は、性格まで悪い。
のあとのBGM、なぜか「えっと…フランス映画」からか…。と。「何(どの映画)」を起想させられた…んだろう…。
まひろ を訪ねてきて 道長「アレはお心にかなわなかった。」と。
「力及ばず、もうしわけごさいません。」とまひろ。だが、今までなら見せたガッカリの様子の無いことに「落胆はせぬのか?」と道長。まひろ 答えて「しない。」と。「もはや、(帝に…とかでなく)書きたいもの を書こうと思う。」「そのこころを掻き立ててくださり感謝。」と。 
『源氏物語』をものする『作家・まひろ』の覚醒。 
「おまえがおまえである道か?」と道長(納得)。
「源氏の君の藤壺妃への憧れ」の辺りを書いているまひろ。の少し…横で、出来立てのお話-今書かれた話しを読よんでいる道長。「俺が惚れた女は、こういうおんなだったのか。」と心内語。 
公任 「辞表」に慌てた帝、「従二位」を授ける。実資のアイデア。……逢引きのこと黙認していてくれる公任に肩入れ…ってか。
『藤壺』に道長『投壺』を敦康親王に。彰子の前で投げて見せている。そこに帝のお渡り。お前触れなく。慌てる道長。
帝は「物語」への一言に来た伏あり。去ろうとする道長に「まて、読んだぞ。」「あれは、朕へのあてつけか?」と。
「ところでアレを書いたのはだれなのだ?」と、やはり興味あって。
「以前お目通りあったと聞いている」まひろに言及。帝も思い出してか、
本朝、中国の「故事」「古典」「佛説」等々「さりげなく取り入れて、見事な博学ぶり。」「その女にまた会ってみたい。」「会うならつつぎを、読んでからにしよう。」と、「つづき」の催促!も。
ボロポロポBGMで、まひろ のところに駆けつけてきて 道長、
「中宮さまの女房にならんか。」「帝が続きをよみたいと。」。
「つづきはここで書ける。」と言うまひろに「おまえにも興味がおあり。」「おまえの物語を読みに帝も藤壺に。」に、まひろすかさず「囮でござがいますか?」と。そうだ。と即答の道長。「最後の賭けだ。」とも。
もう少し言いようありそう…だが、「正直さ」採ってこれなんでしょう。
為時の後押しもあって、カタコを家に預けての出仕承諾。
『土御門邸』帝のお渡り促進策の報告に倫子「殿は まひろさん、なぜご存知?」と。「予告」でザワついたこの一言、特に問題は孕んでないと思う。
「藤壺で、つづきを書かせれば、帝も。」と考えをあかし「倫子がよければ。」と。昔の窮状のまひろも知る倫子の「私もうれしうございます。」に まひろの出仕実現・現実に。
夜、為時 と話す。「帝のおおぼえめでたく、宮中に上がるのは悪くないぞ。」「カタコの事は案ずるな。宮中は華やかなれど、オソロシキ所。おさなご子の暮らす所ではない。」「母を誇りに思う娘に育てるゆえ。」と。
またの日。カタコ「母上は、私が嫌いおなの?」「なぜ内裏に?」と。
「一緒に行く?」「行かない!」があって、「寂しくなったら月を見上げて。母も見ているから」……って。
『藤壺』にて、中宮さまとの謁見、倫子と道長と。「藤壺で物語を書くために。帝たってのお望みで。」の説明に「帝のお望み?」と彰子。
赤染衛門 に 殿舎 案内される。倫子結婚まえの「勉強の会」での旧知の衛門
「ごりっぱになられましたね。」「藤壺の息詰まっまった気分が、あらたまるとよいのですが。」と期待をあかされる。自らの夫、子供の話から「人の運不運はどうにもなりませんわね。」と。まひろ の「中宮さまはどういうお方?」に、長年傍にいる赤染衛門さえ「それが謎ですの。」「わかりません。おくゆかしすぎて。」って。
安倍晴明、危篤。の知らせに駆け付ける道長。
「お顔を拝見してから死のうと思いお待ちしてしていました。」「今宵死にまする。」と。続けて「ようやく光を手にいれられましたな。」「これで中宮さま盤石。」「いずれ、お家から 帝、中宮、関白、出られましょう。」と。 この「予言」は『源氏物語』にも。 道長が言われたこと、紫式部が聞かされたのを…物語にとりいれた(とする)のか。 
* そうそう、空から降ってきた(ような見せ方の)言葉をまとめた
『桐壺』。まひろが道長の横で書いていたのは「桐壺」の終章-左大臣家に婿入りした夜のあたり、なので、帝の許へ行っているのは「桐壺」の途中まで(の、設定か。)のもよう。(って運び。で「桐壺」の中盤、光源氏の人相を高麗人に鑑定させる件、宮中でもどこまでの人間が「宇多天皇の『寛平御遺誡』での、外部者の入廷禁止のこと」を知っていたか。その「きまり」を、あの半日の取材で物語に書き込めたのか……。やはり、やはり。)
話、戻して、 安倍晴明の道長への最期の言葉。
「光が強ければ闇も深い。」「呪詛も祈祷も人の心のありやう。
私がなにもしなくても、人の心がふるえるのです。」
「怖れず、お思いのままに。おやりなさいませ。」と。その背後、御簾の向こうで晴明の従者・須麻流 が泣いている事により、道長、「これが遺言、本当に死ぬ」と知る。あらたまって「ながい間世話になった。」と礼。
その夜、晴明、予言とおり世を去る。    都の俯瞰(北山入り)。
伊周を『陣定』に召還の宣旨。
右大臣、実資、道綱……あ、位では 道綱が実資より上ですね。実資が
「起きなければよらしいが」と言っていた「不吉なこと」起きる。
「皆既月食」満月を覆う暗闇への恐れが宮中をつつむ。
帝、本をまた読んでる。灯火を消す風に続いて遠くの悲鳴。
「温明殿」と「綾綺殿」の間より出火、宮中火災。
「敦康は無事か」と『藤壺』に走る帝。
「親王さまはお逃がしもうしあげました。」と独りで居た彰子。その手を取って、避難の二人。
明けの日、『東宮御所』に道長。 「賢所の八咫鏡、消亡とは」と、状況に怒る 居貞東宮 、ここぞと帝を責め立てる。なだめる道長に、「東宮が帝を責めたてまつるなどあろうことなどない。」と言いつつ「これは、天が帝に玉座を降りよというておる。」「帝の御代は長くは続くまい。」と言う。
こっちの跡継ぎ問題も厄介……と、困るよね 道長。
今回の『大河ドラマ』で時々起きる混乱がまた。あ、自分が一人混乱しているだけかもです。 晴明が「予言とおり」亡くなった「今宵」は、「月蝕」の夜の宵なんでしたか。  まひろの『中宮』内覧。 晴明の「遺言」。
伊周復職の『宣旨』。実資の「不吉」発言。で、『月蝕』に「火事」。
一瞬挟まれた「横たわる晴明(の遺体なのか、まだいきているのか…)の向こうの(低い)空に見えてた大きな「月」は、「下辺が光り残る三日月」
いや、「月蝕」中の月だったのでしょうか。 しかない…んですが、ちょっと、前後関係…、わからん。 
帝 への 道長 の礼。「中宮さま お助け頂き…」は、「父・身内」が出ていてダメでしょう。まずは帝の御玉体のご無事。のついでのお后様もご無事で、と、映ってないとこで言ってたか。
「中宮中宮と申すの疲れる。」って。言われて 道長下がるところに 伊周。
「放火」に違いない。「私への不満から。」と。 (おまいうな感じ。)
道長が 「親王別当」の行成の報告に苛立っているところに、隆家来る。
「だまされぬぞと。」と思っていた事を言う行成。に返そうとする隆家、
道長が止め、行成をさがらせる。
「雪」がまってる。(山茶花ならず)「椿」咲いてる。 また「季」違い。
まひろ  宮中 に出発の日。 惟規も居て、為時 「わが家の誇りである。」
「父上カタコよろしくお願い申し上げます。」と頭を下げるまひろに、為時
「おまえがおなごであって良かった。」と。 為時家の「呪い」が消えた!瞬間に居合わせてよかった!感あり。 家族みんなの泣き笑い。
テーマ曲が、BGMで。 この家族のようやくの喜び-まひろが、自分が信じるものによって世に出て、家族がみんな心配なく生きていける。時が来る。
『藤壺』新参者1対 先輩女房多数。 前の方にはこわそーな女房たち。
なぜ……悪そう…な人は、ぶーちゃん(失言!)貫禄で表現されるのか……。
「まひろにごさいます。」 間一瞬あって、皆(先頭の貫禄者に合わせて)
一同 礼。 不穏そう…な画面。でも、先の「謁見」の時にも居たはずの者もおろうに。 赤染衛門がチーフなのではないのか…。とか、「大変そー」を匂わせて、 「つづく」 。

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