GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』48
最終回 もう、一年が経ったのですね。 ドラマでは50年が過ぎた。
寛仁 四(1020)年
(ドラマには出てこなかったが、この年三月に、前年七月起工の『法成寺』御堂の「落慶法要」、道長「三后 行啓」の 栄華の極み を迎えている。)
『土御門邸』廊下、遣水上の 渡橋 を挟んで、対面してしまう 道長 と 藤式部の二人、第 14 話 のリフレイン。 なにか言う? 道長 が口火を切ろうとした 瞬間、「藤式部…」と 倫子の侍女 に呼ばれる。
「次回予告」で ザワついた… 倫子さま の 台詞、「私が気付いていないと思ってた?」は、道長 にでなく、藤式部 にだった。
「あなたが仕え始めて、殿のご様子変わって。誰から見ても二人の心は通じている…と。」は、彰子 の『藤壺』への 出仕 を指すのかな。いや、同邸内の『枇杷殿』に来てから…かな。 倫子 も『源氏の物語』を 読み聞きしている…んだろうに、( ドラマ 脚本 では、倫子 と 源氏の物語 の係わり…意識的にか、描かれてなかった…) 「物語」の 内容云々より 帝 の心を 我が方に向けた 功績 (だけ) を見ていたかな。 あの『望月の歌』の宴( 途中退席の)事は出してこず、…いや、「心が通ってる」は、あの「歌」の やり取りの事 ですかね。 で「あなたが旅にでたら、殿、出家までして。」に及んで、「何かある」の確信 に。
今、殿 の衰えを食い止めたく、その為には何でもいたそう。と思う 倫子は、藤式部 に「妾になって頂いてけない?力になって欲しい。」とまで言う。 殿 の 命を繋ぎ止めるのに 必死の 倫子 殿 。
「いつごろから、そういう仲に?」の問いに 藤式部、答えて「初めてお会いしたのは、ここのつの時に…」と、逃げた小鳥を追って、鴨川の畔で…と、子どもの時の出会いから話し始める。身分の違いや、家から外に出る事、等々、上級貴族の姫には許されない、信じがたい境遇、展開に嫉妬を越えた「かなわない」感。「泣いている私に、サブローというおのこは菓子をくれました。」「優しくて、おおらかで、背が高くて、」「また会うと約束の日に、母が殺されてしまい、」「その殺した男が道兼、心惹かれたおのこが、敵の弟と知った時、心乱れました。」と、其々に 唖然 な 倫子さまに『五節舞』の時までを 一気に。
「それなのに、あなた達は、結ばれたのね。そうでしょう?」と 倫子。
少しの 発声 呑込み のあと、「共に親しくしていた 散楽の者 が殺されて、
二人で葬って…」一間あって 「悲しみを 分ち合えるのは お互い しか居な
かった。」と。 「あの漢詩の文は、あなたの物だったのね。」と 倫子。
「誰の文字(=送り主は誰)なのだろう」と ( なんと、当人に) 尋ねたあの時の 疑問氷解。 バックレた 気まずさ分の(絶妙の)間おいて「はい。」と。
立つ 倫子 。 どうされるか ドキドキの 藤式部。
「彰子は知ってるの?」「あなたは、どういう気持ちで あの子の傍にいたの。」と言うのは、娘 が 母の愛人に「何もしらずに。心をひらいていたのね。」我が子 が、己 が ライバル に 教えを受け 人として成長した事への
生母 の 苛立ち。「あなたは、本心を隠したまま。あの子の心に分け入り (信頼を得て)、私 から あの子を奪って。」と。妻 の立場以上に 母 のプライドにまで関わる影響力をついに知って、戦いている。「私たち、あなたの掌の上でころがされていたのかしら。」と。 は「あの様な「物語」が書けるあなたなら出来てしまう事なのよ。」という(ある種 肯定…)のもあって。
「それですべて? 隠し事 はもうないかしら?」と尋ねたのは 直感 なのでしょう。に対して 藤式部 は、ただ「はい。」と。一世一代の「嘘」。まひろも 娘 を守らなきゃ。ですからね。 「大石本」のドラマ設定・構成の凄さ。
「この事は死ぬまで、胸に閉まったままで生きてください。」は、倫子さまに 言われるまでもない事。ですね。
お方様 の 御前から下がってきて、カタコと行き会う。母の 顔色を見て、「どうしたの」と 何も知らない 娘 。
道長 独り「碁」を打っている。倫子「よろしいかしら。」と来る。
気になる 道長「藤式部と何を話しておったのだ? 」に「とりとめもない
昔話」と 倫子、続けて「嬉子の事、頼通に。」と。「何やら様子おかしいぞ。」と言う 道長 に「次の帝も、その次の帝も、わが家からお出ししましょう。」とだけ言う 倫子。高貴 な 血筋 が 拠り所…という事を説明している台詞。
『家』 縁側で弾く「琵琶」の音 になにか不審な 音色を感じて「何かあったのかしら。」と キヌ 。 お供して来ていた 乙丸 は「(道中は)何も」と。
「琵琶」の 弦 切れて、 開始9分で
「タイトル」 最終回の 演出は(もちろん) 中島由貴 氏
太鼓打音 で、『宮中』 『陣の定め』 ( 寺の鐘 じゃなく。)
左大臣・顕光 ボケてる。「よしなに」と 居眠り。摂政 頼通 来て「辞表出されよ。顕光殿」と。
『土御門邸』に来て、道綱「ついに 左大臣が辞めるだろう」から、「自分、大臣なれないかな」「25年の大納言だし」と。「という事は、無理の証し。」と 道長 。「一度だけ、一寸だけ、すぐ辞めるから、二、三月でいいから、頼通 に頼んでよ」と。「兄上にとって 政 とは?」という 道長 の問いに「…とは 地位だろ。」と言う 道綱。呆れる 道長 に「嫌いにならなで」 と。最終回まで「髭」無しの道綱、記録ではこの年 の 十月十六日 に 没している。
万寿 2(1025)年
って、あっという間に5年後なのでした。 道綱 の 「死」ナレ も無く。
大石氏 も言ってるように、「あと 数回 の放送…」あってほしいでしたね。 ここに来ての 駆け足、急ぎ足・消化展開、あわただしくて、なんかな~。
嬉子 皇子( 親仁親王⇀ 後冷泉帝)生む。 が、二日後に死ぬ。 19歳。
嘆く 道長 倫子 夫婦。
太鼓。『清涼殿』 万寿4(1027)年
(比叡山に入った明子腹の三男・顕信、五月十四日に亡くなっている。)
後一条帝 の代、政務に関わって残っている 公卿は、実資、斉信、行成、
の三人。 頼通を筆頭に、道長の子・縁者がおおかたの冠位を埋めている。
『高松殿』 殿上から引き下がった 俊賢、(道長の)息子3人、母・明子
「立派になって」良かったな宴。「苦しい事ばかりだったが、あなた方生んだことだけは良かった。」と 明子。「儂の出世も明子のお蔭、礼を言う。」と言う 俊賢 に「なにをいまさら。」と舌出し。
嬉子 の 遺した 親仁親王 の養育は 彰子 が。「二人目の女院に。」のナレ。だったが記録では 彰子 の出家は 万寿 3年 。出家=院 ではないのですね。
そして、万寿 4 年 六月十三日 には、俊賢 が 亡くなっている。記録では。
越後の弁・カタコ、親仁親王 の乳母に。あやしている。のの遠慮ない様子に諫める 道長 。「慣れております。」と言う越後の弁を、彰子女院は「藤式部の娘、万事はっきりしておるのだ。」と。本ドラマでは娘。苦慮な 道長。
ホトトギス 鳴く=初夏。乳母勤めの隙に、頼宗(明子の息子=道長の次男)と隠れてイチャイチャする越後弁-弁乳母。「定頼、朝任にも歌を交わしている…」と頼宗に言われるが「私は光る女君だもの。」と。身分の上下「ありがたく思え」に「さあどうかしら。上流だっても優れた殿ごめったに。」って、母の作『源氏の物語』の 感化 大 。
倫子 の 御前、老けメークの 赤染衛門、書きあがったばかりの「嬉子」の段読み聞かせる。涙の 倫子。「嬉子さまのお話し、ヤメておいた方がよろしいでしょうか?」と問うが「そのままで良いわ」と 倫子 。 『栄花物語』その死を悲しむ様子は、このあとの 道長の 最期・皆の 悲嘆に 繰り返される。
「これが、枕草子や源氏の物語のように、世に残る仕事になっているでしょうか…」と言う 赤染衛門。「見事にやつてくれてる。誇りだわ。」と 倫子。
『どこ で?』 かつての「四納言」の 酒盛り。
行成 が「ちか頃は酒に弱くなりました。」と言うと「俺も。」と 公任。
斉信 が「厠が近くなったのの 体裁が悪い。陣定 の途中に立つのとか」と
愚痴る。そこには、道長 も居て、機嫌よくて。「出家すると楽だぞ。」と
言われた 斉信「俺、坊主似合うかな。」と。俊賢 は「まだまだやりますぞ。」って、出仕していないのに。「厠、まだまだ平気にございます。」
って言うのに 妙な 溜め・引き延ばし。何なんだろう、面白くも無くて。
史実 の「六月」に、ぽっくり? 亡くなるよ って フラグ だったのだろうか。
『為時屋敷』 乙丸、主家 の 持仏を お手本に、木っ端で「仏」彫っている。
まひろ は、初出の 少女 チグサ と 話している。というか、その チグサ が『源氏物語』を まひろ に 読み聞かせている。『幻』帖の最後「「……とか」って、こんな風に終わってしまうなんて、おかしくありません?」「光君の最後、書かなかったのはなぜだと思います?」と、目の前の人が 作者 当人だとは知らずに 自分の 感想・意見を言っている。=熱烈ファン、藤原孝標の娘 の ドラマ への絡ませ方 お見事! これも ビックリ展開 ながら、なるほど、こう来るか。で、本当に見事です。「この作者の書きたかった事は、男たちの欲望を描く事ですわ。」「男の読みたい…を引きつけるため。でないと世間に広がらない。」「女たちには、気持ちを重ねられる様に書いた。そのために「女たらしの君」はつまり「女を照らす君」だったのです。」との 熱弁。 作家、脚本家をされてきて、類似のご体験もあったのでしょう…。
『雲隠』帖名だけの「主人公の最期描かない」は、筋運びの最重要点。
キキョウ・清少納言 『為時屋敷』に 入れ違いでやって来る。
「今のは…」に答えて まひろ「市であの子が落とした本を拾ったら『源氏の物語』で。興味が湧いて話を聞いている。」って、自分が 作者なのを 隠して「読み聞かせてくれるの。」と言う まひろに「物好きなお方。」と呆れる清少納言。 この二人が、また「お話し」する関係になっていて…。
巧く 老けた → おばあちゃん 納言。「膝が…」とか 年寄り演技も中々見事。
「お暇そうだけど、もうお書きにならないの?」と問う清少納言。…これ、
昭和のどこかで見た「女流作家」どおしの対談のワンシーン… の 既視感。
お互い が「もう、書きたいとも…」「その方の為に書きたい方もなく…」「熱意もありません。」と。 「されど一条帝の「政」さえも動かしました。まひろ様 も 私 もたいした事を成し遂げたと思いません。?」と「人に欠かせない」文学というものを世に生み出した。と、 二人 笑う。
本当に こういう対談 あった。既視感。 自分達を称えて良いよってエール。
「顕信、妍子 亡くす。」ナレ。 それぞれ 万寿4年5月14日、同 9月14日。
道長は、11月(25日)自らが建立の『法成寺』に入る。と。 記録には
10月末の「姸子の四十九日法要の夜」から病床に。とあり、激しい下痢と、背中の腫物に苦しんだと。 糖尿病の感染症、合併症状と言われる。
『法成寺』の『無量寿院』九体阿弥陀尊の前に床をとり、尊像と自分の手を「結縁」「引導」の「縷」で繋いだとのこと。 当時盛んになりつつあった
「 阿弥陀如来 の 極楽浄土 への転生」=浄土思想 の 典型的な 臨終の作法。
(この、道長の後年の信仰の様子からも、貴族社会での「法華経」信仰が薄れ「末法思想」を受けて「阿弥陀浄土」への信仰の台頭が進む。従来の教科書の「平安時代=浄土信仰」という解釈・説明は、 雑 で 正しくはない。)
『為時屋敷』 落ち紅葉、 「帥さま」訪ねて来る。「もうソチではない。」と隆家。藤式部 の家に来てみたら…「風情のある住まいだな。」としか言えない住居。同じ藤原、宮仕えの身なれど、身分の違い今更知って。
「太閤様のお加減が悪い。」と知らせに。「よほどの事だ。」に気落ちの
まひろ 。「娘、息子を自分の政治の道具の使った因果だ。」「あの姿を見たら、俺は豪くならなくてよかったと思う。」と(一族の兄の事も含んだ)自嘲。 太宰府での働きをちゃんと評価されてない隆家。「さきごろ、中納言も返上した。すっきりした。」に「隆家さまらしいお言葉ですこと。」と まひろ。
『法成寺』 御堂の外、庇下で、百舌彦、病気平癒を祈っている。
倫子も祈る。? 阿弥陀佛との「結縁縷」。
『為時屋敷』に、百舌彦、来て 泣きながら 「北の方さまお呼びでございます。」と。まひろ 倫子に召し出される。 来た まひろ に 倫子「殿は「生きること、もう良い。」と仰せなの。」「最後に出来ること何かと考えていたら、あなたが浮かんだの。あなたは、長い長いご縁でしょ。殿のたましい、繋ぎ止めておくれ。」 と、泣くよね、この台詞のあわれ。
まひろ、道長 の 枕元 に 案内されて、横たわる 道長 、目を開け「誰だ?」 もう目、見えてない。
…(… 時代考証、というか、当時の風俗考証から言うと『香』のこと、忘れてるドラマ展開 かなと、ここで、凄く、気付く。)藤式部 は「香」を焚き染めていないのかい!と。『源氏物語』にあれだけ書かれている「香」、
来た人の纏う「香り」で、「誰」かが判る 時代、階級、人達。 ここのこの欠落に、制作現場・担当諸氏 の「(平安貴族でない)お里が知れる」。香りで「まひろか?」と 道長。 の方がもっと ドラマチック だっただろうに。)
「まひろ にございます。」の 道長 顔を背け「帰れ。」と。「おかた様のお許し出ましたゆえ、ご安心ください。」「すべてお話ししました。」「お心のひろいお方にございます。」と説明。「道長さま、お目にかかりとうございました。」 と、そう、最後に会ってから「7年」!経っている。
道長 掛け衾から「手」を出す。触れる。 「タイトル」回収。一回目。
ああ。泣くな~。「先にいくぞ。」と言ったのは 道長 様 でなく サブロー。
堪える まひろ 。
見事な台詞まわし!で「光る君が死ぬ姿を書かなかったのは、幻がいつまでも消えぬように。願ったから。」(まではすんなり理解。)「もし幻を追い続けていたら……狂っていたやもしれません。」(…えっと、と一寸混乱。)(繋り はさておき、亡くなられる前に お会い出来て良かった。と解釈。)( 光源氏 の最期の様子を 書かなかったのは 老 病 死 の 穢れ 禁忌 からか、現実 の ルポではなく、理想像 を守るため。と 文字に出来ない思いで。)
道長「晴明に、寿命を10年やらねばよかった。」「いく度も悔やんだ。」「いや、そうではない俺の寿命はここまでなのだ。」と。外、空の 三日月。まひろ 道長 を抱えて、水を飲ませる。…胸まくら。 道長 の「この世は何も
変わっていない。俺はいったい何をやってきたのか?」は、若き二人が、あの六条の廃院あばら屋で、越えられぬ身分差を受け入れて、諦めて、代わりに「誓った」二人の「理想」=「夢」が叶ったか、理想の世になったか。ということ。 その「顧み」に まひろ 「 軍 の 無い 太平の世の中 を」「それに『源氏の物語』が出来ました。」と、サブロー・道長の偉業 だと伝える。
「もう物語は書いてなおらぬのか?」「新しい物語あれば、それを楽しみに生きられるやもしれんな。」と言う 道長 に、「では、今日から考えます故(また、世に)ひろめてくださいませ。」と応える まひろ 。微笑み 道長
「おまは、いつも俺にきびしいな。」と。消えかけていた命が。のドラマ。
倫子 の「そろそろ。」に「あしたまたまいります。」と退出する まひろ。
夕方。夜明け。= 翌日も、枕元 に。
あの「扇」。道長の横で広げて、「お話し」話しだす まひろ 。
「昔、あるところに、サブローという男子が居りました。兄二人、貧しい暮しに耐えられず、兄達は出て行き 母一人 子一人で 暮らしておりました。」と、どこか 似ていて違う境遇の者の「お話し」。「つづきはまたあした。」
少し膨らんだ 三日月。 千夜一夜…、続いて欲しい 命。
「サブロー、サンガクの者…、つづきはまた明日。」と日を重ねる。
寒い日、「雪か。」と問う 道長 「生きる事はもうよい。」と。
まひろ 泣く、、。思いなおして、ふっと泣いて、「川のほとりで出会った娘は、名をなのらずに去って行きました。」と続ける。二人の時間。
漏れ聞こえるお話しに、庇の百舌彦、泣く。その場にいたからね、百舌彦。
今日の 道長 は、お話しに反応なく、どきどきする、まひろ(と、聴視者)「なんとその鳥が手の平に乗って来たのです。」は、サブロー・道長の手に留まる小鳥=まひろの心、でもあり、そして、その止まった鳥は、あの時の次の映像で 大空に飛んで行きました。二人の、人の世の、人の心の物語…。
「つづきはまた明日、」で、道長 、目を開く。 ひとまず、安心。
月は、半月に。 雪が止んで雲間から。
倫子、衾から出ている手をとり、「タイトル」回収?2 (もう、その手、冷たかった!のだろう)掛衾の中へ手を戻す。「ああやはり、求めてたの私じゃなかった。」 しんしんと 雪 が降っている。御簾越しに見える外の 空。
「との」の一言で首を垂れる。その 横顔。倫子・華さん お疲れ様でした。
( 水をさしてしまいます。記録での 道長 の 没日は、万寿四年十二月四日。「月」は「四(三)日月」でないと! またやらかしてるNHKさん。)
『為時屋敷』 翌日 昼間 (雪消えてる…?) まひろ 白紙の綴じ本広げ、筆をとっている。「まひろっ」と サブローの呼び声、まひろ 道長の死 を悟る。
『行成屋敷』夜、行成 、廊下から庭の雪 を見て数歩、倒れる。
あの 俊賢 の 訳のわからない オチ、おもしろくも無い 頻尿ネタ、無意味な
間 の5秒を、ここに回して ⇀ 廊下の先に、後ろ姿 の 道長、振り返り
「共に行くか」とか「おまえも来るか」と 行成 に尋ねる-幻影シーン に
使って欲しかった。 ただ、ただ ( 厠に行く途中にという話しアリ ) 倒れて
亡くなってしまった 行成 が 可哀想 だ。
道長 が愛したのは ( 倫子 でも、明子 でもなく) まひろ だけ。と、したいのだろうが、まひろ と 乙丸 という プラトニック な関係も描いているのだから、道長 と 行成 もちゃんと終わらせてあげて欲しかった。と 最終回 の脚本→ 大石さんに 口出ししてしまいました。
四納言 の残った 公任 と 斉信 「同じ日にいくなんて。」と 歌をする。
は『栄花物語』から。
「見し人の 亡くなり ゆくを 聞くままに いとどみ山ぞ 寂しかりける」
公任。
「消え残る 頭の雪を 拂いつつ 寂しき山を 思いやる哉」斉信。
(本の「頭」の文字を「あたま」と読んだ収録をそのまま放映…。クランクアップとこの収録の時間関係不明ながら、「最終回」の編集・校正、いろいろヌルクなってる、か、時間が無かった、か、のNHKさんです。指摘受け「再放送」で「かしら」と差し代わっていた!のは、すごい事でした。)
実資 の『小右記』の記載の 細い字 もあわれ。実資 の涙も。枝葉の雪落ち。
藤の花、きれいな春。 ホケキョ!
「長元」元年、 は(万寿五年七月二十五日に「改元」)
亡くなった威子に代わる「あらたな女御を」と 後一条帝 に申し出る 頼通に、彰子女院「他家の姫を迎えてはならぬ。東宮には皇子もある。一つの皇統を守る事は、頼通のためでも。」と「家を守る」裁定、お見事。
『為時屋敷』 あの「鳥籠」崩れる。
第一話、この 籠 から 逃げた小鳥 を追って ⇀ 少女 まひろ は、家を飛び出し⇀ 鴨の河原 に走って行って、サブロー という男の子に遭った… 運命の出発点 は、世の中に出る、知らない世界に行く、全ての拘束から自由になる、等々 様々な 比喩に用いられる「鳥籠」だった訳で…。 あれから50年。
軒下の…ではあるが、雨曝し、日焼け、風に雪に黴、とっくに壊れていてもな 拙い造りの物にしては「朽ちる」のが遅いかな。落ちて壊れる…様子が、
もっと「微塵」に「霧散」して欲しかった。
「私が鳥になって、見知らぬ所に羽ばたいて飛び発とう。」と まひろ「旅」を 決心。乙丸 が「姫さま、私を置いて行かないでください。」「私を、私をどこまでも。」を三回繰り返す。 そうか、あの手彫りの仏像は、妻 キヌ
亡くなって、供養のためだったんだ。
幼少の頃から まひろ の 供をして来た 乙丸 は、死ぬまで まひろ と共にという覚悟 で生きて来たんですね。「奥方さま」と呼んでいたのが、ここに来て「姫さま」になっている。 (を、ボケたのでは。と視る向きも、だが。)
まひろ の 弟・規惟 の 乳母 として 家族の一員 であった イトさん 老いて
呆けている。亡くなったこと消えていて 規惟 の 世話をしなくては…と、「若様は」と まひろ に問う。読書中の 為時 を指して「あそこ」と。「出仕のお時間」と言う イト に 為時 も「休みなのだ。」と。残酷な現実に、優しく生きる人 たち。
カタコ に 自分の「和歌集」を「あなたの手元に置いてちょうだい。」と 渡す まひろ。「 巡りあいて 見しやそれとも わかぬ間に 雲隠れにし
夜半の月かな 」の歌は「おさな友だちを…」の詞書の解釈だが、本当は誰にだろう? ドラマでは「サワ」さん設定に見えるが、コレ、「お母さんにも友だち居てよかったわ。」と言ってるカタコ-あなたの父 へかもよ。
乙丸 を伴って、どこへ行くのか…? 野を越えていく二人。あの「展開」時用の「名BGⅯ」。 野の道、後ろから騎馬5騎。通り過ぎて、戻って来たのは 双寿丸 だ。 兜・鎧 揃えの 双寿丸 「何をしているんだ。」に まひろ「何にも縛られない所へ」と。「あなたこそ」に答えて「東国に戦に」と。
東 へ遠去かって行く 騎馬武者 たちを見送りながら まひろ ひとこと、
「道長さま、嵐 が 来るわ。」で、映像が止まる。
『源氏物語』の 唐突な 終わり に通じる 終わり 。
って、これ、『ターミネーター』だ。と思ったのは、1984年 の 公開時に、映画館 で見て、衝撃を受けた(若かった)自分。
未来から来た 殺人ロボットは、未来で起きている人間vsロボットの戦争の「人間」軍の 指導者 の 母を 亡きもの として=指導者 を 存在させない様にする という「 ミッション」で 現代 に 送られて来て、母 と同名の女性を探しては殺していく。それを阻止=母 となる人を 守るために 指導者の命 で送られて来た彼の 部下の士官 と 母 は 無敵のロボット と戦いながら逃げる。
士官を失い 一人で命辛々 ロボットを 破壊して 生き残った 母 には次の命=指導者 が宿っていた。という「時空」と「歴史」と「命」の ねじれ に ヤラレテしまった映画。その「最後のシーン」
この先、続いて来るだろう未来からの攻撃に一人立ち向かって行かなければならない 母・ヒロイン が 給油に寄った 荒野の ガソリンスタンド でメキシコ系の少年 に「ポラロイド写真」を撮られて「買って」と売りつけられる。
その「写真」こそが、未来の指導者から「これが守るべき母」だと 士官 が渡された「写真」であった。(というオチ…) 彼女が見つめる荒野の先に
雲が立ち流れて「嵐がくるわ。」で「END」、おわる。
まひろ が 見送る 騎馬武者 達の行く手の 東の果てに「乱世」という未来が
迫って来ている。 道長を、こういう人物像に捉えたこと、文化の一頂点を極めた-紫式部たちの時代が消えていく、武力と男の時代になって行く、事々を、見事にまとめ結末とした「大石本」お見事!です。
(イメージの繋がり画像。)