短編小説「for others 私の私は誰のため」第6話
「みなさん、今日は、『わがまま力で思い通りの人生を手に入れる』出版記念セミナーにようこそお越しくださいました」
モニターの前に立って挨拶する川崎加穂子の印象をひと言で言うなら、「かわいらしい人」だった。
本に載っている写真はいかにも切れ者のシャープな美人というイメージだったけど、実物は思ったよりも小柄で表情も柔和だ。童顔もあいまって年齢よりずっと若く見える。
自信を持ってゆっくりとはっきりと話す様子は女子アナウンサーのようで、声がとても聞き取りやすい。
「なにをやるのか不安な方がいらっしゃると思いますが、今日一日で、みなさんの中で確実になにかが変わります。セミナーが終わるころには、『私はこうしたい』『私はこう生きたい』というビジョンを、自分の口ではっきりと言えるようになっています。まるっきり別人になるわけです。あ、でも安心してください。血を入れ替えたり、頭の中をいじったりといった怖い手術をするわけじゃありませんからね」
会場の雰囲気がふっと和らぐ。
「みなさん自身でその効果を手に入れましょう。誠心誠意、お手伝いします」
ぺこりと一礼するさまは実に謙虚で、とてもやり手の起業家には見えなかった。
そこから一日かけて、私たちはさまざまなワークに取り組んだ。
まずは、自分の性格をなるべく言葉にしてたくさん書き出して、発表する。そうすることで、自分というものを棚卸しすることができるらしい。
次に、種々たくさん用意された雑誌の中から、自分がなりたいイメージや好きな写真を切り抜き、画用紙にコラージュのように貼りつけていく。なりたい自分をビジュアルでまとめることで、自分の理想を可視化するのが目的だそうだ。
慣れない作業の連続に頭が疲れたが、今の私にはとてもいい機会だった。そうか、私ってこんなことを考えていたのか。目が覚めるような思いをする瞬間が多々あった。
そしてなんといってもこのセミナーの魅力は、講師である加穂子自身の人柄だった。
よどみなく堂々と進行する様は実にかっこよかったし、それでいて、気配りと笑顔が絶えない。
言うべきところでは強く言うけれど、決して押しつけがましくない。
参加者が作業に煮詰まると、じっと寄り添い、回答を引き出す。
「あなたはどうしたいの?」
「自分の未来ですよ、よーく考えてください」
そこにはセミナーの参加者と同じ目線で対峙しようという“敬意”が感じられた。
自分の意思がはっきりしていて、自分の好きな仕事をやって、自分の家族がある。私はすっかり魅了されてしまった。
素直にこんな人になりたい、この人に近づきたいと思えた。
そこで、17時を過ぎたころの休憩時間に、自分を鼓舞して、加穂子のところへ話しかけに行った。
「先生、今日はありがとうございます」
「田所さん、こちらこそ。どうですか?」
加穂子はきちんとこちらの名前を覚えていた。
「なにかヒントがつかめそうですか?」
「はい、すごく楽しいです。実は私も聖愛出身なんです」
「えー、そうなの?」
「そうなんですよ、中高、と」
加穂子はにこやかに微笑んだあと、きゅっと眉をひそめた。
「じゃあ、なかなか自分を出せないで大変でしょう?」
「え? わかります?」
おどけて答えたつもりが、声が震えてしまう。
気づくと私はそのままの勢いで立ったまま、家族のこと、進学のこと、仕事のこと、彼氏のことを、まとなりなく支離滅裂に話していた。私の歴史、私の人生。誰かに聞いて欲しくてたまらなかったのだ。
その間、加穂子は何も言わず、さえぎりもせずアドバイスもせず、きちんと私の話に耳を傾けてくれた。
駆け足で10分ほど話しただろうか、志保が近寄ってきて「先生、そろそろ再開します」と声をかけてきた。
加穂子は小さくうなずいたけれど、続けて私にだけ聞こえる声で「今までよくがんばったね。でも変わりたいよね」と声をかけてくれた。私はたまらず「はい、変わりたいです」と答えて鼻をすすって、目尻を指で押さえ席に戻った。
セミナーは19時過ぎまでかかった。
「私にとっての転機はちょうど30歳のころです。最初の結婚もうまくいかず、やりたいこともわからない。みなさんと同じように悩んでいたんです。でも、人は変わることが出来る。ちょっとしたことをきっかけに、新しい出会いも呼び込めるし、やりたいことも見つかる。今日いちにちで、みなさんなりに、なにかのヒントが見つかったなら幸いです。また会いましょう」
加穂子がそう締めくくると、場内からは大きな拍手がわき起こった。
加穂子が常連らしい参加者たちと歓談しているのを遠巻きに見ていると、志保がすっと寄ってきて、耳打ちしてきたので驚く。
「加穂子先生が、美香さんにお話があるそうで、ちょっと残ってほしい、とのことですが、このあと、だいじょうぶですか?」
うなずくと、入り口近くのビリヤード台のほうに案内され、私はそのあと30分ほど手持ちぶさたに待ち続けた。
〈続く〉
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