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10年前のデザイン雑誌Axisのカメラデザイン論の連載の続き

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10月ノートマガジン第二弾 10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう。
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カメラノートスペシャル10月第2弾 1  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

デザイナーの事務所の接客コーナーの洒落たテーブルと椅子の脇にマガジンラックがあってそこに必ず置かれていたのがAxisと言うタイトルのデザイン雑誌であった。要するにデザイナーの事務所のデザインの雰囲気をもり立てるためには絶対必要な紙の雑誌であったわけだ。そういうデザイン雑誌が置いてないと最近の事務所のデザインはどこも似たようなものだからあまり信用できないブラック企業の応接室と間違えられることがある。その意味でこの雑誌は非常に重要な意味を持っていた。

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カメラノートスペシャル10月第二弾2  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

Axisのカメラデザインの連載を3年ほどやったわけであるが後半になってから編集部が面白がって他の工業デザインの話も書いてくださいと言うので、ブラウンのカミソリはなぜ優れているのかと言うようなことを書いた記憶もある。しかし基本の基本は連載ページのバックグラウンドがライカM3の濃度を落とした画像であったからカメラの話は踏み外さないでやることができた。

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カメラノートスペシャル10月第二弾3  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

あまりにも有名なライカの発明者オスカーバルナックであるが、彼はもともと競合していた会社カールツアイスの人なのである。それがヘッドハンティングか何かで顕微鏡で有名なしかしマイナーなメーカーのエルンストライツにやってきたわけだ。オスカーバルナックのライカ発明伝説の中で一番一般的に信用されているのは彼は体があまり丈夫ではなかったので当時一般的だった9センチ× 12センチの蛇腹カメラが大き過ぎて重過ぎるので素晴らしいアイデアで当時最新鋭のテクノロジーであった標準型の35ミリ映画撮影機

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カメラノートスペシャル10月第二弾4  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

二眼レフのローライフレックスの話である。われわれはあのカメラが120フィルムを使ってレンズは下がテイクレンズで上がファインダーレンズであると言うことに長年親しんでいる。ところが20世紀初めの頃のあの会社でメジャーに売られていたのは全く違うタイプのカメラであった。それはステレオカメラであった。20世紀初めと言うのはステレオ写真が大流行した一時期なのである。それから50年後の1 950年代頃にもステレオ写真の大流行があった。なぜステレオ写真が大流行したのであろうか?我々の普通の感

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カメラノートスペシャル10月第二弾5  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

20世紀の人類の最大の発明は映画である。アナログ的なフィルムから今はデジタル方式になったが基本的にはどちらでも同じものだと考えている。ただし機械学の観点からすればやはりmotionピクチャーはフィルムに記録されなければならない。私は映画撮影機が好きで各種集めているが1番魅力なのはやはり映画撮影機のフィルムのマガジンなのである。あの人工的な暗闇を作るフイルムを収納するマガジンに何十年来恋愛をしているわけだ。

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カメラノートスペシャル10月第二弾6    10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

デザインの独自性と言うポイントから見ると初期のミノルタのレンジファインダーは素晴らしいと思う。当時世界各国で同時発生的にレンズシャッターのレンジファインダ式カメラをレンズ交換にしようと言うムーブメントがあった。これはアンチライカムーブメントとも言うべきもので世界中でこの発明が一斉に起こったのである。私はその時代のレンズ交換式のレンズシャッターカメラが好きでかなりの数を収集しているのであるがその操作感覚と仕事がどれだけできるかと言うことを考えるとそのトップにすえたいのがこのカメ

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カメラノートスペシャル10月第二弾7  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

初期の35ミリ一眼レフのデザインを考える。ミノルタSRのデザイン論。1950年代のミノルタが作った最初の一眼レフいわゆるSRシリーズのデザインは素晴らしいと思う。仔細に観察してみるとトップカバーの巻き上げレバーの軸の中心にシャッターレリーズボタンが付いているなどと言うところは当時のライカエム型とそっくりであるがその理由であろうかシカゴに住んでいた写真家Ishimoto TaihakuはArt Institute of Chicagoの秀才であるが彼が使っていたM型ライカとミノ

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カメラノートスペシャル10月第二弾8  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

35ミリ一眼レフのペンタプリズムのシャープネスと言うのはカメラデザインにどのような影響を与えてきたのか? 35ミリ一眼レフにペンタプリズムをのっけたのは戦前のドレスデンのExaktaであった。当時のカメラユーザも当時のカメラメーカーもペンタブプリズムに関しては慣れていなかったからその五角形のプリズムと言うのは垂直式ルーペの中にはめ込むように作られていたので全体のカメラの高さはとんでもないものになってしまった。これが我々のペンタプリズム色35ミリ一眼レフ元年と言うわけだ。

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カメラノートスペシャル10月第二弾9  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

バルナックライカのデザインが不変であると言う事は退屈につながるのだけれどそれ以外のポジティブな面もある。ちょうどiPhoneのデザインが基本的なスタイルを獲得してきたのとそれは似ている。

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カメラノートスペシャル10月第二弾10    10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

田中光学のライカタイプカメラ.Tanack の目まぐるしいデザインの変貌をどう考えるべきか?この1連のライカコピーは実は1950年代後半でアメリカでビックヒットになったのである。その理由はアメリカ人のプラグマティズムによっているのだ。要するにオリジナルのライカに標準レンズがついた値段で、広角レンズと望遠レンズ2本をこの日本製カメラに加えても、まだまだ日本製カメラのアウトフィットが安いと言う位のバーゲンなのである。

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カメラノートスペシャル10月第二弾11  10年前デザイン雑誌Axisにカメラデザイン論の連載をしていたのでその続きを書いてみよう

口紅から機関車まで。世界的有名な工業デザイナーがデザインしたカメラは後世に残るかと言うのはカメラデザインのビック?である。レイモンドローイのデザイナーとしての仕事はありとあらゆるものに及んだ1950年代であった。その当時の最先端のカメラデザインの流行がAnsco Mark Mに結実している。このカメラは当時日本のリコーが受注してOEM生産したのである。製作者の当時の感想を聞いてみるとカメラの全面のパネルの金属みたいにキラキラ光っているところがなかなか作りにくかったそうである。

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