マガジンのカバー画像

チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
¥1,000 / 月
運営しているクリエイター

#ライカ

ウィーン時代の記念写真20240831

1974年にウィーンのアパートメントで撮影されたものだ。まだ寒い時期であるが、おそらくお正月の記念写真として撮ったものではないか?

¥200

ライカM1なんだけど 20240801

大昔のアサヒカメラの「世界のカメラ」と言う本などを見ていて、1番しびれたのがライカM1である。その文章の書き方が良くてライカM2から距離計を外したモデルなんだけど、値段がちょっと安いから資金の足りない人はまずM1を手に入れて、それで使って資金にゆとりができたら、ライカの会社に送ると少しのお金でM2に改造してくれると言うのである。 ライカ M1に関して詳しくは、7月第二弾マガジンをご覧ください。

¥200

戦争写真家の135ミリと200ミリの使い方の違い

朝鮮戦争でニッコールレンズの優秀さを発見したのはデビットダグラスダンカンであった。もともとは三木淳がデビットダグラスダンカンのポートレートをニッコール8.5センチで撮影してそのプリントを見せたらそのシャープネスにびっくりしたと言うことで戦争写真家は品川区大井森前町のニコンを訪問したと言う伝説である。

¥200

バルナックライカではなくてこのカメラを持ってパリに来ればよかった8/2(水)

仕事の撮影でパリに来る時は実につまらないと思う。それに対して自分の撮影でパリに来る時はこれはワクワクする。1970年代は木星の4インチ× 5インチのカメラを持ってきたし、別のときにはソ連製のパノラマカメラを持参して撮影をしたこともあった。

¥200

銀座で買ったモータードライブ付きのライカにパリで買った。85ミリef 1.5をつける。

Summarex 85/1.5と言うレンズが、当時のライカの最も明るい85ミリレンズであった。それに対抗してカールツアイスも75ミリ1.5と言うレンズを出した。ここら辺は西側世界と東側世界の核兵器の開発競争のようなものであって、別にそれを実際に使うと言うわけではない。いや実際に使ったら大変なことになる。

¥200

坂崎さんと中古カメラクルージング、1995年頃?

最近の私は中古カメラ店に行かなくなった。銀座の中古カメラ市にも行かなくなった。理由は単純であって、住んでいるところが世界の中古カメラ市になってしまったからだ。

¥200

クライスラービルディングのトップで撮影するマーガレットパークホワイト

アメリカのスカイスクレーパーが建設中の戦前の写真に働いている人が鉄骨だけできた空中に腰をかけてランチを食べたりしている写真がよくあるね。あれは報道のためのヤラセだったのかもしれないがなかなかスリリングであって見ているのは面白い。それと今とは保安基準が違う。

¥200

ネットオークションでライカM2ブラックペイントが7,000,000円になったと言うのだが3/24(金)

1967年の11月の終わりに父親と新宿東口のラッキーカメラでライカM2のブラックペイントのボディーを買った。その値段は120,000円だったと思う。

¥200

壊れたライカ、動かないコンタックス11/13(日)

既に昇天した人であるが日本を代表するライカコレクターに話を聞いたりそれでレアライカのカレンダーを作ったりしたのは30年ほど前のことだ。コレクターの性格と言うのはそれぞれ人によって異なっていてその異なっているのがコレクターの個性であると言うこともできる。

¥200

デジカメのモノクロモードで取ることの意味を考える10/25(火)

エプソンのデジタルライカを使い始めてもう15年以上になるのである。最初はカメラが登場したときに広告の仕事でスタートしたのでエプソンのデジタルライカの広告であるからそのカメラを使わなければいけないのは当然である。

¥200

ライカMDで撮影すると街が戦場のように映ると、思い込んで、半世紀以上が経過してわかったこと9/1(木)

1966年の2月のことであった。尊敬する写真家高梨さんを訪ねて新宿区白銀町22番地にお邪魔したのである。私は19歳の未成年者であった。ニューヨークから帰ってきたばかりの高梨さんにニューヨークの話をお聞きして少年の私はワクワクした。当時の高梨さんはライカM2とM3を持っていてこれこそ理想的な写真家の機材だと思った。何しろ2台もライカを持っていると言う事は大変なことなのである。

¥200

25年前にコシナレンダーのレンズがスタートをしたときの広告の仕事をお手伝いして最初に手にしたレンズがこれだった6/2(木)

25年前にコシナレンダーが1連のライカマウントのレンズを出したのは実に画期的な出来事だった。その当時我々ライカ人類が使えるレンズと言うのは中古のライカのレンズか中古のキャノンあるいはニッコールしか存在しなかったのだ。そこにいきなり小林さんがかなりLINEアップの揃った交換レンズの群れを提供したのは歴史に残ることだと思う。当時盛んだった東京カメラクラブでコシナレンダーに写真文化勲章を送った記憶もある。

¥200

ライツが作った250台だけのターレット装置2/8(火)

最近のウィーンのライカのオークションなどで見ていて面白いのはいわゆる素人衆が単純に好むレアライカが異常な高値になったりする。誰でも知っている有名な絵描きの作品が天文学的な数字になると言うところまではいかないけれども、最近感心したのはライカビットをつけたらいいかエムピーのブラックペイントの比較的程度の良いやつが1億5000万円で落札されたそうだ。

¥200

最高のクリスマスプレゼント。四半世紀前の写真集のオリジナル原稿がカメラジャングルで発見される12/24メリークリスマス!

来週の月曜日にタワーマンションのエアコン関係の交換の大工事あり。バルコニーに作業の人が出るのでその通路を確保するためにカメラジャングルを発掘していたら、四半世紀前に日本カメラ社から出した「Wienとライカの日々」のオリジナル原稿が発掘された。

¥200