2025年あけましておめでとうございます。 Urライカには都合3回触ったことがある20250101
世界で1番最初に作られたわけではないが、35ミリカメラの基本を作って大成功したのがこのカメラである。生涯に3回このカメラに触らせてもらったことがある位。1回目と2回目はカメラ雑誌の取材で最初のライカに触りたいと言って、ライカのドイツの会社に行ったのだから、ライカの会社としても弱みを握られているので触らせてくれるわけだ。
これは2度目の訪問であって、日本カメラの取材ではなかったかな。手にしてみると、別にカメラの神様と言うわけでは無いから、見慣れないスタイルの古いカメラと言う感じがする。3度目に行った時はこれはよく覚えているのは、2001年の9月の12日、すなわちワールドトレードセンター攻撃の翌日であった。その時にも触らせてもらった。
^_^その時はライカの社長さんが30分ほど社長室を開けると言うので、最初のライカと30分2人ぼっちになったのである。この時私には悪い計画があってフィルムを1本隠し持っていてこのカメラに装填して撮影しようと言う悪企みがあったのだ。
ところが1番最初のライカは構造としてかなり変わっているようで、私の大脳のレベルではまずどのように蓋を開けていいのかわからない。そんなことで失敗して人類の重要な遺産である。1番最初のライカを壊してはならないと思い断念したのである。
よく考えてみたら、このライカに触ったのは3回ではなく4回であることに今気がついた。東京のデパートで中古カメラ市のアトラクションだったと思うけど、世界最初のライカを展示すると言う企画があって、その時にライカの社長さんが来日したのである。
新橋のホテルに出向いて、社長さんからウィーンのライカショップに修理を依頼してあったハンガリー製のレアな一眼レフの修理の上がったの受け取った。社長さんは黒いカバンの中からもう1台のカメラを出して私の手に握らせたらのである。それがこのカメラUr Leicaであった。
翌日から開催された中古カメラ市では、1番中心のところにこのカメラのコーナーがあって、そこにはいつもガードマンさんが2人ついていると言う重要な軽微であった。
世界最初のライカは、いつもは銀行の金庫に預けてあって、出馬する時出てくるのだそうである。それと未確認情報だが、実は同じものが二台あると言うRumorもあるのだ。
ところで3回目にこのライカに下がった時、ライカの社長は30分ほど席をはずしていたのだが、自分で隠し持ってきたフイルム装填するのはやめにして私はこの世界最初のライカのレンズをちょっとだけ舐めてみたのである。これは私が時々カメラに対してやる愛情表現なのだ。別に味はしなかった。
それで思ったのはライカの父であるオスカーバルナックもやはり研究室で1人の時に最初のライカをなめたのではなかろうか?
ここから先は
¥ 300
Amazonギフトカード5,000円分が当たる
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?