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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
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#レンズ

双眼鏡の実用性

Vista双眼鏡

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ハッセルブラッドムーンカメラと同じカメラの使い方 20240603

大昔にロンドンのクリスティーズのオークションで手に入れたカメラだ。月に行った夢ハッセルブラッドと同じ構造のカメラである。と言うよりも、これが本物であって、次に行ったのは月面用の改造がなされたと言うこともできる。

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製造番号がちょっきり100,000のペトリのレンズを分析する

ペトリブランドのカメラやレンズはなかなか素敵なのだが初心者用と言う認識があって人気がなかった。それが最近では人気のブランドになってきたのがペットリファンドとしては嬉しい。

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135ミリのプライムレンズを使いこなす

デビットダグラスダンカンが朝鮮戦争を取材に行った時、持参したレンズに5センチと13.5センチのニッコールレンズであった。ニッコール伝説によるとその直前に世界的に有名な報道写真家はニコンのレンズ工場に行って、その優秀さにびっくりしたと言うのである。

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ライカと同じ出身地のロードマットにアインシュタインの生まれた町の135ミリレンズをつける1/30(火)

ドイツのフランクフルトから高速道路で1時間位の小さな街がライカのホームである。ライカファンには有名な街であるが実はこの街は他にも写真関係の製品を作るメーカーとか双眼鏡を作るメーカーなどがあった。そこで作られていたのがロードと言う名前の1連のレンジファインダカメラである。1950年代からかなりアメリカに輸出されたのである。アメリカ人は日本人と違って見栄を張らないからカメラは実用主義でよろしいと言う風潮があるところがブランド選びとしてははるかに日本より上だと思う。さすが戦争に勝利

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小村80ミリf1.8をルーペで使う理由1/29(月)

1980年代にニューヨークで写真を勉強していた頃に同じ時期にデビューしたアメリカの写真家が誠に当然ながら時間経過で40年たったらみんな後期高齢者になっていると言う痛快な真実がある。 ロバートフランクはスイスのチューリヒからアメリカにやってきて外国人として初めてのグッゲンハイムフェローシップをゲットしたのである。それで2年間にわたってアメリカ中を旅行して名作アメリカ人の写真集を出した。ニューヨークタイムスに掲載されていたフランクがまだ若かった頃に写真家が撮影したネガフィルムを

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戦争写真家の135ミリと200ミリの使い方の違い

朝鮮戦争でニッコールレンズの優秀さを発見したのはデビットダグラスダンカンであった。もともとは三木淳がデビットダグラスダンカンのポートレートをニッコール8.5センチで撮影してそのプリントを見せたらそのシャープネスにびっくりしたと言うことで戦争写真家は品川区大井森前町のニコンを訪問したと言う伝説である。

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銀座で買ったモータードライブ付きのライカにパリで買った。85ミリef 1.5をつける。

Summarex 85/1.5と言うレンズが、当時のライカの最も明るい85ミリレンズであった。それに対抗してカールツアイスも75ミリ1.5と言うレンズを出した。ここら辺は西側世界と東側世界の核兵器の開発競争のようなものであって、別にそれを実際に使うと言うわけではない。いや実際に使ったら大変なことになる。

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坂崎さんと中古カメラクルージング、1995年頃?

最近の私は中古カメラ店に行かなくなった。銀座の中古カメラ市にも行かなくなった。理由は単純であって、住んでいるところが世界の中古カメラ市になってしまったからだ。

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1959年にできたソ連製50ミリ。地の塩みたいなレンズ12/28(水)火気厳禁な忘年会の日

ソ連製カメラの標準レンズには2種類ある。1つはゾナーをコピーしたジュピター。もう一つはテッサをコピーした。このレンズであるその他に3番目のレンズとしてはゾナー5センチ1.5をコピーしたジュピターさ3と言うレンズもある。これも使っていたことがあるが生産数は多くない。

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イタリアフィレンツェで作られたライカも進化すること11/22(火)

1947年にイタリアのフィレンツェで作られたライカタイプのカメラがエレクトラである。第二次大戦の後に世界各国で同じようなタイプのカメラがライカに対抗して作られた。敗戦国である日本とかイタリアでそういうカメラが作られたのは経済的ダメージもあるかもしれない。ライカと言うのは輸入品で高いものの象徴であったからだ。

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小村80ミリef 1.8がルーペには最適11/2(火)

後期高齢者であるから細かいものを見るにはルーペが必要である。かといって大昔仕事で使っていた35ミリのトランスペアレンシーを見るルーペでは倍率が高すぎる。それでいろいろ考えて使っていて85ミリ前後の写真をのレンズが倍率俊也のバランスが良いことに気がついた。

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ミノルタV2のオリジナルボックスを初めて見た11/1(火)

ミノルタカメラは好きだが特にこの時代のレンジファインダの煮詰まってきた頃の性能のやつが好きだ。V2の後はミノルタV3になってレンズシャッターの最高速度が2000分の1から3000分の1秒になるのであるがそれは結構だけれども、1950年代後半のカメラであるからユーザが使いやすいようにと言うのでセレン式のメーターを内蔵したりしているのはぶち壊しなのである。

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スチールカメラのズームレンズが偉大であった時代が存在した10/27(木)

アルパと言うカメラは人気のないカメラで今でも人気がないが製造台数が少なかったこともありニコンなどでは会社自身が自分のところで製造したカメラとレンズの全容がわかっていないのに対して、かなり細かいデーターが存在する。それはスイスで出された本で30年位の前の話であるがドイツ語であってしかも発行部数が250だった記憶がある。

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