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1 谷川俊太郎さんが20歳代に撮影したリコーフレックスの古い子ががワイシャツの箱に入った状態で発見された。キャパのメキシカンスーツケースのようなものだな。 現代の偉大な詩人と言えば谷川俊太郎と吉増剛造である。谷川は中央線の高円寺だし私は長年佃島だからどうしても小選挙区制みたいなもので、吉松応援したくなるのである。しかしこの数十年来の写真へのアプローチとしてこの2人を比較してみるのならば吉増剛造より谷川俊太郎の方が写真を真実に肉薄していると言うことに気がついた。
2 私が仕事でお世話になったリコーカンパニーのエフ森さんがまとめたリコーフレックスの歴史が参考になる。
3 広島モナムールに出演した女優さんが、撮影の傍らに撮影した個人的なカメラのリコーフレックスのショットが撮影されてから何十年も経ってそれが写真集になった
4 1番最初のリコーフレックスはモデル3である。クラシックなロゴタイプがなかなか良かった。メイドインオキュパイドジャパンの刻印が自慢だった私。
54 1番最初のリコーフレックスはモデル3である。クラシックなロゴタイプがなかなか良かった。メイドインオキュパイドジャパンの刻印が自慢だった私。
6 ファインダーレンズとビューレンズがギアで連動しているというのが子供の時は安っぽい感じがして嫌いだったが今はそれが魅力的に感じられる何が違うのかな?
7 ローライフレックスの2.8 3.5エフを2つ持っていて自分の写真ではその後ミリのレンズの差を使い分けると言うような大写真家がいた。私も勘違いをしていたので2眼レフは75ミリでハッセルブラッドは80ミリが標準だと思っていた。
8 リコーカメラとしては大ヒットの1,000,000台を打ったリコーフレックスである。高級なローライフレックスみたいなカメラはいらないと言うステートメントを世界に発信したわけだ。
9 リコーフレックスの輸出用バージョンは桐の箱に入れて販売されたらしい。リコーGR-コンパクトカメラの手伝いをしたときに私はリコーに桐の箱に入れて販売したらどうかと提案をした。実際に浅草のお店に桐の箱の値段を調べてみたらそんなに高いものではなかった。 リコーフレックスを桐の箱に入れて販売したと言うのをその当時の事情を知っているリコーカンパニーの歴史に詳しい人に聞いたら、これは結構初期の時代のリコーフレックスが桐の箱に入ってアメリカに輸出されたらしい。なかなか高級感があっていい
10 リコーの2眼レフを手にしたことがなくて、今回谷川俊太郎さんが昇天されたことでいきなり物欲が沸き上がった。それでどのモデルを買うか迷うことになったのである。3000台のカメラを持っているから、それで1000ページの本を作ろうと言うアイディアが大昔モノマガジンから出されてそれを出すことになった。ところが当時暮らしていたマンションの最上階で、カメラの山から取り出したものを並べてみると、せいぜい350台ぐらいしか紹介できないのである。3000台と言うのは象徴として行っているので
11 1980年の年末に東京に戻ってきたとき私は手持ちの適当な2眼レフで東京を取り始めた。あの時もし私がリコーフレックスを使っていたらどんな写真の展開になったのかが気になっている。