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奥州三名泉(飯坂・秋保温泉の巻)③
秋保温泉に到着し、日暮れまで徘徊して、翌日は青葉城に向かいます!久しぶりの仙台。前回の到着までの記事は、こちら↓
秋保温泉散策
陽が傾きかけてますが、散策へ。湯布院とはまた違いますが、そんな雰囲気のお店もちらほら。
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秋保温泉の中心を流れる名取川が作った深い渓谷。ここは凝灰岩という火山灰が固まってできた岩からなり、この石は軽くて、比較的柔らかいので、加工しやすいです。近くには石の採掘場の後も見ることが出来ます。
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磊々峡って、読めないですよね。こちら下流に向かって、数百mの遊歩道があります。男女のグループは「ハート」を見ておしまい。こちらは、妻と二人で雪の遊歩道をひたひたと歩きます。
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奇岩と滝が交互に現れて、短い遊歩道ですが、飽きさせない景観です。ゆっくり歩いて、楽しめます。狭い渓谷部が終わると、一気に視界が開けます。
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温泉街の真ん中へ
秋保温泉の中心部へ歩いて行って、唯一の共同浴場を探します。
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国道の脇には、市電が保存。仙台の市電がここまで来ていたのかと思いましたが、そうではなく、秋保電気鉄道の秋保温泉駅がこちらにあったようです。花巻、伊香保、草津あたりも昔はナロゲージ(狭い軌道)の鉄道が敷かれており、ここもそうだったようです。
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鄙びた温泉場を多く見てきた者にとっては、驚きのスケールのホテルが多いこと。そんな中に一つだけ、共同浴場があります。ようやく到着。
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住所は秋保町湯元薬師100となっているので、昔からこの場所なのでしょう。比較的ぬるめのお湯と思ってましたが、分析表を見れば、ここはそれなりに高温です。
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実際、湯舟は結構、熱かった!4人は入れない湯舟ですが、この日は満員御礼。塩気はそんなになく、入りやすい温泉でした。
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これが今どきの温泉宿、「蘭亭」
これまで歴史がありながらも、秋保温泉があまり目に留まらなかった理由が歩いて分かりました。とにかく老舗も含め立派な旅館・ホテルが多く、鄙び志向性の強い自分の温泉アンテナにかからなかったということだけ…。ということで、まずは夕食。
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程よい量で、野菜・お刺身・牛肉と味付けは淡白で、素材の良さを生かした料理になってます。
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夕食の場は、子どもが駆け回っても十分な広さで、そんな和やかな雰囲気。このお宿「ウェルカムベビーの宿」ということで、某大手の企業も、推薦している小さい子供連れの夫婦や障害を持った方でもくつろいでもらえるようなバリアフリーの宿なのでした。
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車いすで、脱衣所に来られている方もいました。バリアフリーやあったらいいな的、ちょっとした工夫はテッテ的です。
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ということで、はからずも、この筋のホテルでは有名なホテルだったようで、勉強になります。時代のニーズに合ったホテルも必要ですね!
秋保から仙台へ
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朝食はバイキングです。こちらも、驚いたのは、配膳カートみたいなものが用意されていて、小さい子供を抱えたお父さんも、片手でバイキングを取れるという…、初めて見ました。
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源泉主義、鄙びた宿、昭和な温泉街とは、領域の異なる宿でしたが、妻・娘は大満足で、今どきの宿を後にし、仙台へ向かいます。
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仙台では、青葉城を目指しますが少し早めの昼食。こちらも、ホント久しぶりにあの厚い牛タンを食べねばということで、炭火焼きの牛タンのお店に直行。
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仙台! 青葉城に伊達政宗に…
仙台に来たら、青葉城は、外せないでしょう。こちらも学生の時以来、足元が悪く、時間もないため、再びタクシーを捕まえて青葉城を目指します。先の台風の被害で、表から来るまでは登れず、ぐるっと回って裏側の埋門から城内に入ります。
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甲冑を着たボランティア?のお兄さんに伊達政宗の像の前で、家族写真を撮ってもらい、ハイチーズではなく、「ずんだもちぃ~」。
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滝廉太郎は豊後は「原城」、土井晩翠は「青葉城」を想い浮かべていた
青葉城とは「青葉ヶ崎」という本丸にある地名から付けられたあだ名で、元々は、千体城、千代城とも言い、伊達政宗の時に「仙人が住む台地」と漢詩から取ったようで、「仙臺」城となる。
青葉城資料展示館
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館内では、15分くらいの青葉城と政宗の解説、映像を大きなスクリーンで視聴でき、さらに「VRゴー」なる体験型のキットも有料で貸し出しており、お城ファンの親子連れは、城内を歩き当時のお城を体験できるという。
展示物も豊富。以下の仙台藩の具足は、実弾試験を受けたものを使用していたとかで、実物を見れば、確かに窪みを確認できます。
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伊達政宗の書状は3000点を超えるらしく、しかも自筆のものは、1000点を超えており、筆まめ政宗公、達筆さも確認できます。
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伊達家所用の刀、火縄銃、嫁入り道具や、香合など、保存状態が良いものが多いです。
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千利休との出会いは、秀吉の小田原攻めの時。北条氏と秀吉との情勢を見ながら、結局秀吉側につくことを決めるも、小田原攻めには、2か月も遅く到着。政宗は箱根の底倉に幽閉され、秀吉の謁見が許されない。秀吉の家臣とのパイプを作って置いたのが幸いして、ようやく許され、一夜城に麻の死装束を来て現れ、利休に茶の湯を教授してもらいたいと申し出た。秀吉にこの覚悟が伝わったか、ひとまず一命は取り留めた。政宗24歳、生死の間で、秀吉に「もう少し来るのが遅ければ、ここが危なかった」と、首に杖を当てられたという…。
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司馬遼太郎の短編「馬上少年過ぐ」には18歳から伊達家の家督を継ぐ姿が描かれています。実の母に疎んじられながらも、冷静に家督を譲った親父と政宗をどこまでも愛し続けた乳母により、彼の才覚が芽を出すのでした。名君の蔭にはこういう人たちが必ず居るのですね。生まれた時から帝王学の教育を受けたとは言え、18歳から戦の連続は壮年期まで続くのは尋常ならざる半生。徳川家にも一目置かれた「独眼竜政宗」、大河ドラマの金字塔、総集編でも見てみようかなぁ…。
数奇な運命~支倉常長
さて、仙台藩のもう一名を紹介するならこの人。
この展示館で嬉しかったのは、伊達政宗の外交の資料が多かったこと、そこに繋がっています。
遠藤周作の著作に『侍』という小説があります。400年前に海を渡ったサムライの話なのですが、ここで出てくる侍のモデルになったのが、支倉常長。伊達政宗の有能な家臣の一人でした。家康が天下を治めつつある頃、家康はイギリス人の三浦按針の影響もあり、スペインやポルトガルなどのカトリックの国とは一線を画すようになりました。一方で、伊達政宗は、スペインとの繋がりを作ろうと、家康の了解も得て、大名の中で唯一の外交権を得ます。そして、宣教師と共に親書を携えて、この支倉常長を送り出すのでした。
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この書状には、下記のように、冒頭から、驚く内容が…、
・政宗自身は止む無き事情によりキリスト教徒になっていないが、領民をキリスト教徒にしたい?!ので、宣教師ソテロに頼み支倉と申す侍一人を送る。
・スペイン国王とローマ教皇のもとへ、ソテロと支倉が無事参着し望みが叶えられるよう協力を仰ぎたい。
既に家康がキリスト教に不信を抱き始めているような時期に、政宗が決断したこの慶長使節団の派遣。
交易によって力をつけ徳川幕府に対抗しようとした説やこの年、仙台藩は東日本の震災のような大津波を経験しており、そこからの復興もあったのではないかという説もあるようです。彼の胸の内は正に神さまのみご存じ、というところでしょう。
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メキシコ経由で、スペイン、ローマまで訪問
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結局、海を渡った侍たちはローマ教皇にまで謁見を果たすも、日本の禁教令の情報も同じころの伝わっており、何の成果もなく、7年の旅を終えて帰ってくることになります。(ちなみに、このローマでの謁見の記録はなんと後の岩倉具視使節団のヨーロッパ訪問の時に発見されるのでした)
『侍』の中では、終始、時代翻弄され、政に翻弄され、カトリック組織にまでも翻弄される、まさに航海の荒波のように弄ばれる支倉常長や宣教師の姿。そのような状況の中で、芽生えた信仰、これは遠藤周作自身の私小説とも本人が語っています。
正直、この心象をこれからの日本人が追いかけられるだろうかと感じてしまう難しさのある小説です。支倉常長が棄教した説はありますが、後年、その子の中に、切支丹の疑いをかけられ、長男は自害を命じられているところから、最後まで切支丹だったのは間違いないでしょう。
名残惜しい仙台
仙台滞在、時間切れで、青葉城の本丸の高台を下ります。大きな本丸を守る石垣は、これはこれは立派なものです。
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展示館から10分、大手門のあたりまで、降りてきましたが、この門の両脇に二の丸、三の丸と広大な敷地があり、改めて巨大なお城を実感。
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青葉城公園の中には、支倉常長さんが凛と立っております。
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防寒着マックスで、ようやく耐えられる寒さ。地下鉄に乗れば、車体は少し小さめ都心の大江戸線と同じでしょうか。それなりの乗客数、すぐに仙台駅に着けば、こちらは都心、巨大ターミナルと変わりありません。
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外は凍るような寒さですが、娘はずんだシェイクを購入。こちらも一口頂いて、お決まりのように、やっぱり「冷凍ずんだもち」買っちゃいました!
次は、仙台、石巻、鳴子あたりに思いを馳せて、満席のはやぶさに飛び乗りました。(おわり) 2024.2.23-25