こういち
昔、越後に「毒消し売り」という商いをする女性たちがいました。いくつかの書籍から、この生業の発祥や歴史をささやかながら追いかけてみます。 (見出しの写真は、写真家小林新一氏「報じられなかった写真」より引用)
二日目、下部温泉を後にして、金山博物館に立ち寄り、富士川を北上します。目指すは、鰍沢という富士川の水運で栄えた街を訪ねます。観光地という場所ではないですが、富士川の「塩の道」を知るには、外せない場所になります。何か面白い発見あるかな…。 下部温泉、源泉舘「本館」さて、源泉舘は本館があり、こちらには、下部川の上流の方から引湯している別の源泉のお風呂があるので、行ってみます。こちらは24時間入れる男女別の湯舟。 硫黄の香り漂う檜の湯舟で、源泉の温度は50℃、PH9.4というあ
さて今回は静岡と山梨を繋ぐ大動脈(昔の)、富士川周辺と山梨の名湯「下部温泉」を訪ねてみます。駿河湾に注ぐ大河は、天竜川、大井川などいくつもありますが、富士川は、あまり話題にならない、やや地味な河川。ここもかつての「塩の道」でもあったので、そんなところを探る小旅行です。 清水駅から「特急ふじかわ」清水は、かつては清水市で、清水港、三保の松原、サッカーの清商(清水市立商)と話題に事欠かない地域ですが、今は静岡市に合併。 特急ふじかわは、静岡駅発、富士駅で進行方向を変えて、富士
最近、毎年1,2回は訪ねている「甲斐の国」。山梨の景勝地といえば「昇仙峡」ですが、未だすべてを歩いたことがないのでした。本日はかつての山梨観光の王道!?昇仙峡&ぶどう狩りという定番コースを歩いてみます。 トレッキングは長潭橋から今日は男4名での登山、当初は瑞牆山を予定していましたが、天気が悪く、おそらく霧の中だろうということで、潔く昇仙峡に変更。 2時間半で、昇仙峡のスタート地点、長潭橋に到着。ここ長潭橋から約6kmのトレッキングですが、実際に歩く人はあまりいないのではな
最終日、「塩の道」から大きく方向転換して、七倉山荘から高瀬ダムの上流部、高瀬渓谷のトレッキング開始。湯俣温泉という温泉と河原で入れる場所や噴湯丘があるということで、何かの本で見たような場所に想いを馳せて、スタート! 日本で二番目に大きな「高瀬ダム」へ昨晩は21時過ぎに就寝なので、もう4時前には目覚め、朝食へ。 七倉山荘から上流、高瀬ダムまでは、マイカー規制があり、4人ずつ乗合タクシーが運んでくれます。相部屋のおじさん二人と好青年風の若者一人と自分。湯俣に行くのは自分だけ
今日は、明科の昭和な宿から、信濃大町へ移動。天気は崩れそうで、宿泊地もなかなか取れず、結局、登山口に近い山荘にしたので、予定が立たず…。行く先未定のフーテン状態に…。 明科から信濃大町へ朝食は甘みのある豚汁が美味しい、地元の長峰味噌を使用。地の野菜に白馬ウインナー、安曇野TKG!?とは、=安曇野卵かけごはん。全て近隣の産物。 本日は日曜なので、知人のクリスチャンが車を出してくれて、松本市内へ移動。午前の礼拝を守りまして、昼食を取ってから、大町へ向かいます。 最近の悟りや恵
松本郊外から、犀川を渡り、豊科の田沢まで、塩の道を歩き、午後からは、安曇野近辺を廻ります。約20年ぶりくらいの訪問となりましたが、学生時代から行きたかった、あの美術館にも寄ってみます。 安曇野、まずは「大王わさび農場」へ水源の違うふたつの川が、細長い島を挟んで、並行して流れます。 飲まず食わずで、ここまで来て、空きっ腹ですが、並んでみました大王ソフトクリーム。しかも、生わさび付きの大王プレミアムを注文。 わさび田を一大観光地にしてしまったところがやはり、凄い。同じ名産地
今回は松本に居る知人を訪ねつつ、「塩の道」を歩く旅を計画しました。しかし、良くも悪くもインバウンドの影響で、なかなか宿が取れずに、当初の計画は頓挫、奇々怪々な旅となりました。今回も「電撃」でスタートして、先ずは松本に向かいます~ 電撃で、夜の松本へ本日は仕事を少しだけ切り上げて、特急「あずさ」にて新宿から松本へ向かいます。9月の金曜の夕方、1時間ごとに出る「あずさ」は、どの列車も満席のアナウンス。この時期はしっかり事前にチケット取りましょう~ 甲斐・信州方面の「あずさ」と
電撃で、金曜夜に、湯宿温泉に着き、今日は、かつての三国街道の須川宿に寄って、水上駅に向かいます。朝は快晴ですが、午後からは大雨の予想。とは言え、地方のバス旅、鉄旅はスケジュールの選択肢が少ない…。 土曜朝は気分晴れやかに、散歩から。 湯宿温泉、朝の散歩さらに薬師堂の裏には遊歩道らしき案内があるけど、この橋は渡るのも怖いくらい木が腐食している… 朝食後、須川宿へ
シリーズ何回目か数えてませんが、電撃シリーズ!何が電撃かと言えば、会社が終わってから、そのまま、現地にいくというだけのこと。しかし、夜行列車やブルートレインなきあと、新幹線という文明の利器を最大限活かし、会社帰りにヘルシーな心を保つには、なかなかの旅の形じゃないかと。今回は、鄙びた温泉場としては、有名!?な湯宿へGO。 夜7時には、湯宿温泉に吾らがテツの祖、内田百閒の親?は東海道線に乗る時に、東京駅があるにもかかわらず、東京ではなく、新橋から乗つた、と何かで読んだ気がします
2日目は三斗小屋から茶臼岳を眺めながら、下山。山登りはいつまで経っても、初級レベルから脱しないがゆえに、観るもの、聴くもの、触れるもの新鮮!ゆる山・ゆる泉は続きます。 三斗小屋温泉の歴史前日に、宿の玄関で、「三斗小屋温泉誌」なるものを発見。五代目館主を中心に編集されたというこの本は冊子レベルではなく、立派な書籍。歴史の宿に相応しく、内容濃し。 温泉発見の伝説には、白鹿が登場。那須湯本の「鹿の湯」同様、今は那須岳には鹿がいないですが、昔は居たのでしょう。 そして、開湯は湯本が
2年前、初めてnote書いたの最初の投稿が、「電撃那須岳」でした。都心から近い活火山は富士山、伊豆大島の三原山とかありますが、行くには気合い要ります。気軽にひとっ飛びでアプローチでき、かつ魅力的となると、思い浮かぶはこの那須岳。 そして今回は、かねてから訪ねたかった三斗小屋温泉につかりながら、ゆる山・ゆる泉の一泊旅です。 那須岳は雲の中に6時台の東京駅発の「やまびこ」仙台行きに乗車すること1時間10分、那須塩原下車で、そこから関東自動車バスに乗りさらに1時間10分で、計2時
さて、碓氷峠は、横川駅から軽井沢まで、半分くらい歩き軽井沢駅着、ここからさらに西に向かって浅間山山麓の御代田へ。知人の別荘にお邪魔しつつ、一応、表題通りの歴史探訪のはず…。 いざ浅間山、南山麓へ軽井沢、駅周辺の賑わいは今も昔も変わらず、こちらは、車で西に30分ほど走らせながら、浅間山の麓に向かいます。 碓氷峠を越えて軽井沢から中山道の宿場町が続きます。旧信越本線=現しなの鉄道の駅を赤丸で囲ってみます、この「中軽井沢」は元々、沓掛という駅でした。宿場町「沓掛宿」から付けてお
「碓氷峠」と言えば、日本の鉄道史の中でも最高の難所の一つ。かつて、長野新幹線が開通する前、一度だけ信越本線で長野から東京へ、特急「あさま」で通りましたが、深い山の中を、低速で進み、ここが碓氷峠かと。 今回は、宮本常一のように「歩く見る聞く」のゆっくり旅です。 ああ、栄枯盛衰「横川駅」本日は、高崎駅から、SLもまだ走る北関東の拠点駅。最近、高崎駅の駅そばが無くなったそうで、いと悲し。 高崎駅を出て、新幹線に別れを告げて、北高崎、群馬八幡を過ぎて、旧中山道に並行して進みます。
1年以上前に、コロナ禍で、見つけた越後の「毒消し売り」の記事を過去にいくつか書いていましたが、現地を訪ねることができずにいました。7月に、新潟市立巻郷土史料館にて、トークイベントがあることを知り、急きょ、日帰りで訪ねてきました~ 怒涛のスケジュールで巻郷土資料館へ毒消し売りの発祥の村と言われた「角海浜」、廃村になってから今年で50周年ということで、企画展があることを知りました。角海浜は、かつては西蒲原郡巻町角海浜。現在は、新潟市に合併され巻町も西蒲区になります。 開催日の前
遅いお昼の地魚回転ずしの後は、得意のレンタサイクルを道の駅で借りて、続けて、吉田松陰とペリー来航の足跡を辿ります。 吉田松陰、踏海企ての地~弁天島さて、やむにやまれぬ吉田松陰と同行していた金子重輔が、いよいよ、ペリーの艦隊に乗り込もうとしたのは、1854年4月24日の夜、旧暦で3月27日。この時の詳細は、松陰も鮮明に記録しており、「三月二十七日の夜の記」という有名な日記があり、さらにペリーの日本遠征記ほか、アメリカ側の記録にも記載があります。舟を漕ぎ出したのはこの弁天島から