奥州三名泉(飯坂・秋保温泉の巻)②
飯坂温泉激熱の洗礼を久しぶりに受け、宿に戻り、一服。食事をしてから、再び夜の飯坂を徘徊します。①はこちら↓
昭和な「福住旅館」
福住旅館、福の住む宿ということで、お風呂も何ともユニークかつ昭和。入れば、同窓会かOB会らしきおじさんグループがワイワイ入ってます、昭和。
温泉分析表を見れば、「若竹分湯槽」。飯坂温泉は一つのお風呂に一つの源泉というよりは地域ごとにいくつかの源泉をブレンドしているようです。PH8.3のアルカリ性単純泉。
再び外湯へ
まず目指すは「切湯」、その名の通り、切り傷に良さそうな外湯ですが、これが見つからない。月夜の灯りでようやく「切湯」の看板を発見。見れば、道路より下の、摺上川沿い。
温泉街をぐるぐる…。
続いて「仙気の湯」。元和4(1618)年発見というこちらも歴史ある外湯。以前は川下にあったようですが、移設。リュウマチに効くとか。
ほろりと涙の芭蕉、「医王寺」
翌日、秋保温泉に向かいますが、その前にもう一つ芭蕉ゆかりの地と、東北本線で途中下車、妻の方の親族と食事のスケジュールを挟んでいます。
医王寺、ここには平安末期、陸奥南部を治めていた佐藤基治と子、継信・忠信の兄弟の菩提寺。義経の従臣として仕えた基治はその子である二人の兄弟を遣わして、義経を護衛。屋島の戦で、義経の身代わりになって継信が、義経の一命を守り、続いて、頼朝に追われた義経を平泉に逃す際に、今度は身代わりになった弟忠信。この二人の子を失った母の嘆きを慰めるため、兄弟のお嫁が夫の甲冑を着て凱旋の様を見せたという話を、芭蕉は聞く。
芭蕉、ほろほろと泪を流し、寺にてお茶を頂けば、この寺には、弁慶の笈と義経が使った太刀があるではありませんか!
今も宝物殿にいくつかのお宝があり(撮影禁止)、なんとこの弁慶の笈や弁慶所用の文箱は公開しています。義経の太刀はありませんでした。
悲哀のエピソードに胸打たれながらも、敢えて晴れやかな一句を詠み、この忠臣の話を飾り、称える芭蕉先生なのかな、と解釈しました!
1000年語り継がれ、この先もこの一句と共に語り継がれることでしょう~
先ほどの参道を奥に行けば、佐藤一族のお墓があります。
芭蕉の一句の深みを感じることが出来る経緯の地、是非訪ねてみてください~
藤田駅元縫製工場のレストラン
福島駅に再び戻り、親族と食事に向かいます。お勧めのレストランがあるということで、東北本線を北に向かい、途中下車、藤田駅に降り立ちます。
レストランはこちらのリノベーションした「Co-learning Space アカリ」の中にあります。
内部はオープンスーペースにTrattoria da Martino(イタリアン)、共有ラウンジ、奥は地場のものを売るお店でした。
妻方の親族、夫妻で、震災をきっかけに、こちらに移住してきたとのことで、そんな経緯や今取り組んでいる阿武隈山地での農場の話などしながら、楽しいひと時。次来るときには、阿武隈高原、伺います!
こんなインキュベーションセンターのような場所があるのは希望的で、バーベキュー出来るヒロバやシェアオフィスもあります。ここに住んでいたら、必ず活用しているだろうなと。
短い時間でしたが、名残惜しく別れを告げて、再び、東北本線で仙台に向かいます。
東北本線、白石から仙台へ
「藤田」から次の「貝田」までは25‰の急勾配、一気に見晴らしが良くなり、福島盆地を一望できます。
東北本線は東海道線に続くほど歴史があり、元々は日本鉄道という私鉄からスタート。国が買収、複線化までは時間がかかり、東海道線にはあまり見られない上りと下りの微妙なルートの違いがみられます。
白石市に入り、東北本線と新幹線はクロスして、北側に「白石駅」、南に新幹線「白石蔵王駅」となります。
蔵王を見ながら、白石川が接近してきて、東白石駅はは川べりの駅。
岩沼で、日暮里から分かれてきた常磐線が合流、仙台へ。
御用達の湯「秋保温泉」
秋保温泉、こちら歴史はあれど、正直あまり知らない東北以南の方には、あまり知られていないのではないかと。
ということで、欽明天皇の皮膚病を癒すために、わざわざお湯を京都に運ばせて沐浴したという…。
仙台駅からはほぼ直通のバスで、1時間弱。比較的平坦な道のりで、いつのまにか温泉場に着き、各ホテル・旅館の前のバス停を巡回します。
ということで、鄙びた温泉場&宿・外湯好きにとっては、久方ぶりの豪華な感じで、妻子は大喜び。一人では来ないであろう宿と秋保温泉を楽しんでみます。本日はこの辺りで…。 (つづく)