俵孝太郎さんをしのんで【日本屈指のクラシック音楽ファンの顔】


イントロダクション

2025年(令和7年)1月1日に94歳で逝去した俵孝太郎さんは、産経新聞記者を経て、フジテレビ系などのニュースキャスターとして活躍。
その後は政治評論家の傍ら、日本テレビ系のクイズ番組「マジカル頭脳パワー」や複数社のCMにも登場。昭和世代には長くテレビでおなじみの存在だった。
昭和55年生まれの私は、フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」の終盤のニュースコーナーに出演する俵さんを見たのが最初。
「こんばんは、俵孝太郎です」と切り出すさまが、子供心に面白く、声真似した記憶がある。

俵孝太郎さんの趣味はクラシック音楽鑑賞。学生時代は相当演奏会に通ったようだが、新聞記者→ニュースキャスターという時間の自由のきかない仕事に就いたのでレコード・CD収集がメインとなった。
とりわけ心血を注いだのが、日本人演奏家の録音のコレクション。
1990年代にタワーレコードが「J-クラシカル」と銘打ち、日本人演奏家をPRする遥か以前に「日本人がクラシック音楽にどう向き合ったのかの記録として《旦那芸》に属するもの以外は揃える」として、日本人演奏家の録音の価値を世の中に伝え続けた。
世紀の変わり目あたりでそこに一区切りつけて以降は、ピアノのヒストリカル音源の渉猟とレコード時代に親しんだ音源のCDボックス化を楽しんでいた。

渡邉恒雄との縁

2024年(令和6年)12月19日に98歳で亡くなった渡邉恒雄(1926~2024; 読売新聞グループ本社代表取締役主筆)と俵孝太郎さんは、趣味がともにクラシック音楽鑑賞で親しかった。
俵さんはある時、同乗したクルマの中で渡邉恒雄が自身の音楽葬のために作ったテープを聴かされたそうだ。

また渡邉恒雄は、壮年期に社内での軋轢から退職を考えた際、政治評論家に転身したらどのくらいの稼ぎになるのか、俵さんと密かに会って尋ねたという。
俵さんは「貴方なら年に3,000万円位はいけるでしょう」と応じたそうだ。
「それなら生活できるどころか、新聞社よりいいくらいか」と思った渡邉恒雄だが、結局社にとどまる道を選んでいる。

オーケストラの補助金復活を依頼

1972年、当時の日本フィルハーモニー交響楽団は、日本フィルハーモニー交響楽団と新日本フィルハーモニー交響楽団に分裂した。
この事件の経緯は、書くと本が一冊できる話なので省略するが、分裂により楽団への文化庁の補助金は打ち切られた。
しかも、日本フィルハーモニー交響楽団の側が、旧日本フィルの実質オーナーで経営難を理由に財団を解散したフジテレビと文化放送を相手に法廷闘争する一方、新日本フィルハーモニー交響楽団は財界の後押しで活動していたので役所はどちらにも「触らぬ神に祟りなし」の構えとなった。

そこで俵さんは、ともに苦しい状況の両楽団が補助を受けられないのはまずかろうと、当時の大平首相の秘書官の森田一と面会して事情を話し、「2つの楽団に従来の半分ずつ出せないか」と提案。
調整の結果、次年度から旧日本フィルに下りていた補助金の半分ずつを両楽団がもらえるようになった。

ちなみに俵孝太郎さんは、寺山修司の「天井桟敷」がミュンヘン・オリンピックの文化交流事業に招かれたものの、肝心の渡航費が工面できず難渋していた時、当時の竹下登官房長官に寺山修司と会ってくれるよう要請。俵さんの計らいが実り、彼らは無事に出発できたという。

30年以上前にロットの交響曲や信時潔の「海道東征」に注目

俵さんの著書の1つ『CD ちょっと凝り屋の楽しみ方』(コスモの本; 1993年)は、ひとひねりしたクラシック名曲紹介+ディスク案内。
有名作曲家でもベートーヴェンの民謡編曲、モーツァルトがJ.C.バッハのクラヴィーア・ソナタを編曲したピアノ協奏曲などタイトル通り「ちょっと凝った」ところが並ぶ。
いま読み返すと驚くのは、齋藤秀雄が指揮したモーツァルトの交響曲第39番、ハンス・ロット作の交響曲、信時潔の「海道東征」・・・と21世紀になって注目、再評価された作品や演奏がズラズラ出てくること。

アウトサイダーゆえのしがらみのない視線から程よく尖った簡潔な筆遣いで綴る各章は、出版から30年余り経っても付されたCD番号以外は全く色褪せず、読み手の想像力と好奇心を心地よく刺激する。

未読の方は、ぜひ古書で探してほしい。その価値は十分ある。

昭和天皇 崩御の報道特別番組の音楽を選定

俵孝太郎さんは、1988年(昭和63年)の師走、昭和天皇が崩御された場合の特別番組の音楽について、フジテレビのスタッフからの相談に乗った。
オーケストラは新日本フィルハーモニー交響楽団を手配。小澤征爾の指揮でJ.S.バッハの管弦楽組曲第3番のアリア、朝比奈隆の指揮でブルックナーの交響曲第7番の第2楽章が事前収録された。その際、小澤は「天皇陛下のためだから」と報酬を辞退したという。
1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇は崩御。
朝比奈隆のブルックナーは、報道特別番組の締め括りに使われた。
※文中一部敬称略
【参考文献】
渡邉恒雄『君命も受けざる所あり』(日本経済新聞出版社)
俵孝太郎『CD ちょっと凝り屋の楽しみ方』(コスモの本)

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