夜どおし、月の光に照らされてか、あるいはくらやみにつつまれて、目をさましつづけていた庭園は、ながい夜の寝ずの番につかれはてて、いまうとうととしているところだった。
フィリパ・ピアス著, 高杉一郎訳『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫, 1975,1993)[1958]
これもまた、有名どころなために読むそびれていた本です。
評判だけはよく知っていましたし、児童文学の勉強をすると必ず言及される本ですから、まあネタバレ状態で読んだわけです。
オチをうすうす察しながら読み進めましたが、いい感じにミスリードはあるし、物語のおもしろさはオチだけではないということを実感しました。
フィリパ・ピアスについて
1920年生まれ、2006年没と聞くと、亡くなったのが21世紀になるので、「つい最近の人じゃないか」という気持ちになります。
それでも、第二次世界大戦ではありますが。
イギリス東部のケンブリッジシャー出身で、彼女の作品には、生まれ育った村や町、その地域がモデルとなって登場します。
ケンブリッジ大学卒業後、ラジオの教育番組の制作などに関わっていたそうです。
ピアスの作品群は多くはありませんが、『ハヤ号セイ川をいく』や『まぼろしの小さい犬』など、有名なものがいくつもあります。
庭という、もうひとつの主人公
作者は、この庭をとても愛していだのだということが、ひしひしと伝わってきます。
物語の主人公はトムで、相棒はハティであるとしても、主役はなんといっても、庭そのものでしょう。
読者はトムが真夜中に出会ったこの庭を、少しずつ知っていくことになります。
どこにどんな木が生えているのかとか、庭園の中に花壇があること。
生垣に抜け穴があること。
りんごの木があること。
向こうにガチョウの親子が住んでいること。
トムとハティが家を作れるような木が生えていること。
高い塀があって、その向こうにも世界が広がっていること。
冬になると分厚い氷が張る池があること。
一度きりの出会いではわからないほどの描写が、トムとハティの交流をとおして次第にわかってきます。
トムが庭を訪れるたびに、庭園の様子がわかってきますが、トムが全景を一望することはありません。
あるときはこの茂み、あるときはあの木の上、というように、トムが見られる場所は、いつも限られています。
それはまるで、トムとハティの邂逅そのもののようです。
トムとハティが出会うタイミングは、一定ではありません。
トムにとっては、それは連続した毎晩の出来事ですが、トムもすぐに気がついたように、庭の時間は季節も時間も一定ではなく、時系列さえもバラバラなのです。
ところが、トムはそのことをあまり気にしません。
ハティも気にしていないようです。
お互いを幽霊だと思っていたときはもちろんのこと、どうやらそうではなさそうだとトムが気がついてからも、トムとハティはお互いを「トム」と「ハティ」だとしか認識していないのです。
庭が、季節によって様子がかわっても同じ「庭」であるように、トムにとっても、ハティはいつでも「ハティ」でした。
はじめは庭の出来事を幽霊か何かだと思っていたトムも、次第に「時間」を気にするようになります。
トムはハティの時代がいつ頃のことなのかを調べはじめ、だいたいの当たりをつけます。
自分が過去に行っているのか、過去が現代に来ているのか、永遠に過去にいて、そのあと現代に戻ってきたら、時間の流れはどうなるのか。
ハティと遊ぶうちに、トムは「時間とはなんなのか」という問題を考え始めます。
そうしてトムが物事の仕組みを考えはじめたことと、庭の時間が進んでハティが大人になっていくことには、どんな関係があるのでしょうか。
トムがハティに持ちかけた提案によって、ふたりは同じ物を過去と未来で共有することになります。
トムの実験は成功して、そしてふたりは、ふたりの唯一の世界だった庭を飛び出して、より広い世界へ、そして世界を見渡せる場所へと、出かけていきます。
ふたりのさいごの共通の思い出が、庭ではなかったことは、とても印象的です。
ふたりの友情は庭を介して育まれてきたのに、庭が物理的になくなる前から、ふたりは共通の友人である庭を離れてしまいます。
庭がいつでも庭であったように、トムにとってのハティもいつも「ただのハティ」でした。
ところが、庭を出ていった先で、トムはハティが「大人の女の人」になってしまったこと、そして子どもにはわからない「大人の会話」をすることに気がつきます。
それが、トムとハティのさいごの思い出になりました。
ふたりの別れは、トムが「時間」に干渉する術を知ってしまったから起こったのでしょうか。
それとも、庭から出てしまったのがいけないのでしょうか。
庭の死によって、トムとハティの交流は終わりを迎えました。
トムは、さいごの最後に、大切な庭がこの世から消えていることを知ります。
それは、物語のはじめから分かっていることでしたが、いつでも会えた友人が、既にこの世にいないという事実に直面したトムの悲鳴は、あまりもの辛いものです。
作者のピアスはあとがきで、「子どもたちは、かれらがやがて大人になるとか、大人もかつては子どもだったなどと聞くと、声をあげて笑う」(p.349)と書いています。
トムは、ようやくハティと再会したとき、それがハティだとはすぐに実感できません。
年齢という壁がトムの前にあって、弟のピーターが「それはハティじゃなくて、大人の女の人だろ」と叫んだように、目の前にいるのがハティではなくて、偏屈なおばあさんだと思ってしまいます。
それがハティだとようやく実感したとき、トムはまた、ただのトムとしてハティと向き合えるようになりました。
きっとふたりは、これからも以前と同じように仲のいい友だちとなれるのでしょう。
ただそこには、共通の友人である庭は、もういないのです。
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