「不道徳教育講座」
小学校の6年生の時に道徳と理科の時間だけ、担任の先生でなく、学年の専科の先生の授業だった。 40半ばの男性の先生で、身体は細身。いつも手で頰をさするのが癖だった。
僕の小学校の6年生の時のクラスは自己主張の強い生徒たちが多く、担任の先生はそれを力でねじ伏せようと怒鳴る先生だったので、クラスのみんなのストレスのはけ口がその道徳と理科の先生にいった。
道徳と理科の授業になると、担任に縮こまっていた友達もその先生の授業の時には机を叩いたり、ものを投げたりと授業をするような環境ではなくなっていた。
その専科の先生は担任の先生のように怒鳴ったりすることができず、口頭で注意をしてもそれが火に油を注ぐように逆効果になっていた。
特に道徳の授業の時はひどかった。
僕自身がクラスメイトのように先生に悪態をつくことはしなかったが、正直なところを言うと、先生が道徳の授業で何を言っているのか分からなかった。
真面目な先生ではあるんだろうが、説明が丁寧すぎてしまい肝心な言葉が心に入ってこなかった。荒れる人たちも仕方ないなと思っていた。道徳の授業なのに、道徳のかけらもないようなクラスでの時間だった。
6年生も3学期になり、いよいよ道徳の授業も最後の授業になった。
先生は最後の授業にみんなに白紙のプリントを配った。そしてその紙にこの1年間で学んだことをなんでもいいから、書いて欲しいと言った。
学んだこと、と言われてもこの授業の様子で何か学べたことがあっただろうかと自分も絞り出すようにして授業であった内容のことと、ありがとうございましたとの一言を書いた。
クラスの友達は「わけわかんね」とか「こんな授業など意味がない」など言い放ち、最後まで先生に悪態をついていた。
授業の終わる前に先生はその紙を回収した。そして教壇の前でクラスのみんなが書いたプリントをめくりながら読んでいた。 全員分の書かれた感想を読み終わった時だ。
「ふざけんじゃねえぞ!!!」
先生が大声をあげたのだ。
その先生の怒りはクラス全体ではなく、ある女性生徒一人に向かってだけ怒っていた。先生に対して目につくような悪態をしていたのは男子だけだったので、僕もなんでその女子生徒に対して怒っているのか不思議だった。
「感想の中で、バカとか、道徳の授業意味ない、とかそんなこと書かれても俺は全然構わない」
先生が唾を吐き散らかすように怒鳴っている。
「ただな、お前、この『死んでください』とはなんだ」
その女子生徒は感想用紙に先生に対して「死んでください」と書いたようだ。
「『死ぬ』ってどう言う意味かわかっているのか?俺は一昨年、ガンになって手術をしたんだ。ガンになった時にこれは本当に死ぬんだって思ったんだよ。でも手術をして無事に成功して、なんとか生きることができたんだ。お前は死ぬことの怖さが分かってるのか?人に死ねって言うことは、それだけキツイ言葉なんだぞ。2度と人に死ねと言うな」
道徳の先生はそれを最後の言葉にして、そのままの怒った様子のまま教室から出て行ってしまった。それが先生の道徳の授業の最後の言葉だった。
今まで全く授業として成り立っていなかった道徳の授業だったのだが「人に死ねと言うな」と言う言葉は小学6年生の僕でもすっと伝わり心に刻まれた。
1年間通して、この最後の授業のために作り上げていたものなのではないかとか、考えてしまうくらい最後のメッセージはずっしりと心に残る道徳の授業だった。
卒業式。
道徳の先生は僕たちの卒業を見ながら泣いていた。
もし、あの時の道徳の先生がこの文章を読んでくれたのなら、今も先生の最後の授業は忘れていません。
自分も今でも独り言で、残念とかの言葉の意味合いで軽い気持ちで、「あー、死ね」と言ってしまう場合があります。ですが、言ってしまった後に、いつも先生の顔が思い浮かびます。
「不道徳教育講座」は道徳ってのは改めて何か。道徳を形に当てはめようとするのでなく、様々な道徳の形があることを教えてくれます。それは6年生の時の道徳の先生が伝えようとしていたメッセージと近いのかもしれない。
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