『一塁手の生還』
僕は大の大の大の野球ファンだ。
小さい時から新聞のスポーツ欄を読み、野球選手の成績をチェックするのが日課だった。
中学生になった時には、筆箱とか下敷きはベイスターズを使っていた。
クラスのみんなはDragon AshのCDを買い、音楽を楽しんでいる中、僕は横浜ベイスターズの応援歌CDを聞いていた。授業中つまらなければ、ノートの切れ端に今年のタイトルホルダー予想や、12球団の戦力図などを書いて楽しんでいた。僕の10代は野球と共に生きていた。
中学校3年生の時である。
教科書の単元が「1塁手の生還」というタイトルだった。学校で授業で扱う話題が野球で自分も興奮した。
一塁手の生還の内容は戦時中の野球の話だった。
戦死したことになっていた兄が不意に帰ってきたところから物語は始まる。
主人公の典生は兄とはずいぶん年が離れていたので兄についてはあまり印象がなかった。
戦争から無事に帰還した兄に誘われて、初めて兄とキャッチボールをしたが、それを最後に兄は寝込んでしまった。重い肺結核だった。 そんなある日、学校で行われた野球の練習試合を見に行くと、家で寝たきりのはずの兄が人混みの中で試合を見ていた。
しかし、その兄は1回表の守備が終わったときにはいなくなっていた。そして、まもなく兄は死んだ。
野球部に寄付してあった兄のファーストミットは、野球部に新しい道具が揃ったところで、兄の形見に返してもらった。
その帰りに長く学校で働いている老人に出会い、兄の話を聞かせてもらった。あと1アウトで甲子園初出場という場面で、名一塁手といわれた兄が三塁手の送球をはじいて逆転負けしてしまったという事を知った。
というのがこの小説のあらすじである。
最後は兄が何かを伝えたそうにしながら亡くなっていくのが印象的で、心に残る名作の一つ。教科書に選定される理由も分かる気がする。
ただ僕はこの文章を読んで納得いかなかったことが一つあった。
兄は県大会の決勝まで進んでいた。
最終回裏ツーアウト1、2塁。
サードゴロ。そしてサードからファーストの兄へ送球をファーストを守っていた兄が補給し損ねたせいでファーストランナーがホームに帰り、サヨナラ負けをする。
ただサードからの送球でファーストの捕球ミスだけで、ファーストランナーがホームまで生還するのは、ランナーが超がつく俊足でないと返ってこれないはずだ。
本文では補給し損ねた球がライト側に弾かれたと書かれているのだが、それならば、ライトがカバーリングをサボっていたから、という事情も想像つくだろう。そうでもないとファーストランナーは絶対にホームまで返ってこれない。
この本文がいい話だっただけに、最後のこの野球の本質的なところでつっかかってしまった。
野球好きとして、この違和感をそのままに本文を読めない。
先生に抗議しにいった。
「この文章の内容では、ファーストの捕球エラーくらいでファーストランナーは絶対に返ってこれないです。ファーストの捕球エラーでファーストランナーまで返ってくるのは、プロ注目の俊足ランナーでないとホームまで返ってこれません。そしてライトがカバーリングをサボってしまうようなチームなら、そもそも県大会の決勝に出場できるチームではありません。絶対に兄の一範は『俺がエラーしたのも悪いけど、ライトもカバーちゃんと入ってくれよな…』という声に出せない複雑な気持ちが混じっているはずです」
この文章は納得いかないことを訴えた。
先生は僕に「古屋くんらしいね」と言って笑っていた。
いや、笑うところじゃないんだよ先生。これは野球好きとしては絶対に見逃せないところなんだよ。
先生は野球についてあまり詳しくはなかったので、ライトのカバーリングとか言っても理解をしてくれなかった。
この小説のタイトルが「一塁手の生還」だから最後ファーストランナーをホームに返したいのは分かるのだが、それなら「二塁手の生還」ってタイトルにして、兄も二塁手にしてほしい。
ファーストランナーがこれでは帰ってこれないんだって…。おかしいよ、先生…。
大人になった今でも野球は好きだ。
昔みたいに野球を見ることに時間は取れなくなったが、それでも野球の試合結果のチェックは欠かさない。
僕の贔屓のチームはベイスターズ。
現在ベイスターズの不動の一塁手はロペス。捕球が上手くて、どれだけベイスターズの内野陣の守備のエラーを防いでくれたことか。
しかし去年あたりからロペスのエラーが増えた。ロペスももう年齢的にはベテランの域に入り、衰えも隠せなくなってきた。
そんなロペスの守備を見ていて、中学校3年生の「一塁手の生還」を読み返したくなり、ネットで探してみたのだ。
赤瀬川隼さん『ダイヤモンドの四季』という短編集の中の一つに「1塁手の生還」がある。
大人になってから再び読むと、主人公と兄との関わり合いが昔に感じた時と違った印象で映った。10年以上ぶりに再読した本というのは、自分でも最長のスパンを開けての再読だろう。中学校3年生の時から今の自分への成長も感じた。
本は自分の人生のどの場面で読むかで、違った見え方になるのが面白い。この本つまらなかったなと思っても、2年後に読めば面白くなっていたりする。
だが、最後のファーストランナーが生還するところだけは、大人になって今読んでも納得いかなかった。
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