怖さとは何か
怖さとは何か。
初期仏教関連を勉強しているんですが、いろいろ見ていくうちに、「怖さ」とは、「生きることの欲望が生み出す幻」なのかもしれないと思えるようになりました。
実際、スマナサーラ長老などは色んな動画でこのことについて語っています。
そして単純に、生きることの欲望を捨てると怖さがなくなります。もっといくと死んだ後のことも捨てると死んでからの怖さがなくなります。
書くのは易し、行うのは…案外簡単かもしれません。
生きることの欲望を捨てる!といってもだから死に急ぐ訳ではなくて、「あー、人間死ぬのは最も一般的だな、いつかは死ぬ。生きていることも大したことじゃないんだ。ふつうのこと。だから不安がる理由なんて作らなくていい」という理解をしてみる。
「生きることの欲望を捨てる」というスタンスでいると、色んな脳のカラクリが見えてきます。
フッとわきあがる思い、いらだち、そういうもののほとんどが、防衛本能…すなわち、原始脳のつむぎだす幻であったと気づきはじめます。
あれもほしい、これもほしい…なければ困るかもしれない、満たされない、未来が不安、過去が恨めしい…
では、今はどうなの?といったところ。
本当に、そんなに不安がるほど、ヤバい状況なの?今日でもしあの世に行くとしたら、それ以上になんかヤバいことおきてるの?と。
『いつもクヨクヨ悩んでいる人は悩みのタネが尽きないから悩んでいるのではありません。心が不安定だから、どんな問題でも否定的で不安な状態に見えてしまうのです。一刻も早くこの悪循環を断ち切る必要があります。』J・マーフィー
こんな言葉もありますね。
状況が不安にさせているのではなく、脳が勝手に不安感を作っているだけと知ったほうがいい。
そしてこの不安を断ち切るのに、瞑想は有益です。
先日、アーナパーナサティ(出入息念経)について話しましたが、不安のぐるぐるを呼吸に集中するなどして五分くらいストップさせるだけで、原始脳でない脳が客観視をはじめてくれます。
ヴィパッサナー瞑想と言われる瞑想(気づきの瞑想)も、原始脳の幻を観察するのにとても効果があると感じます。
今、爽快に生きること。
それはシンプルに、原始脳の幻とサヨナラする事で現実になります。
今日の絵は、しゃれこうべとの会話。
https://www.instagram.com/p/BPY2jrMAwOY/
フェルメールという画家がいますが、彼らの時代は、描いたものにある意味を添えて象徴させるというやり方が流行りました。
しゃれこうべも、いみがあります。
「人生を、有意義に。」
死は実は日常の一部であることを忘れがちですが、ガイコツはおそれるべきものではない。
死もまた、おそれるべきものではなくて、シンプルに、受け入れればいいだけのものなのかもしれません。
瞬間瞬間をただ、妄想に惑わされず集中して生きられたら万々歳なのかもしれないとおもったのでした。
☆まるっ☆
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