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“優しい”と“易しい”は違う 〈恩師の言葉〉


これは私の小学生4年生くらいの頃の担任の先生が放った言葉だ。

結論から言うと、私はこの言葉に感銘を受けたと同時に救われた。

今回はそんな担任の先生(以下、Y先生)の言葉についてのんびり語ってみようと思う。


“優しい”と“易しい”の言葉の意味

優しい・・・細やかで柔らかな感じを与える有様だ。
易しい・・・すぐできる(わかる)ほど、扱いが簡単だ。

                  (Google日本語辞書より一部引用)


二つの「やさしい」は、以降上記の意味として使っていく。

ちなみに対義語を調べたところ、“易しい”の場合は「難しい」と出てくるが、“優しい”の場合「厳しい」「冷たい」等、サイトや資料によってまちまちだった。


“優しい”と“易しい”は違う

当時Y先生は新任で、若気が溢れていて元気はつらつとした爽やかな先生だった。

とても失礼な話、私はその時お友達が沢山いて、クラスで一番勉強もできたため有頂天になっており、
担任になったY先生のことを完全に舐めていた。

「ふん、どーせそこら辺の大学で遊びながら卒業してここに来たんでしょ」

と。

しかしY先生はクラス一の問題児の胸ぐらを掴んで喝を入れたり、
体育の授業中でさえも生徒たちの試合に混じって一緒になって喜んだりと、

礼儀を変に気にして先生と気軽に話せるタイプではなかった私でも、そんなY先生を遠巻きに見ていて次第に“不思議な親しみやすさ”を感じざるを得なかった。

何と言えば良いのか、ざっくり言うと、
「進んで関わるまでではないけど、何か気になることがあったらY先生に聞きたい/話しかけたい」
という感覚。

「頼りにしている」と言うのだろうか?
いや、「頼りになる」と言うには少し暖かすぎる。
そんな無機質な言葉一つでは表せない感覚だ。

話を戻すと、
『“優しい”と“易しい”は違う』──
その言葉を聞いたのは本当に些細な出来事がきっかけだった。

私は当時進学塾に通っていたので、クラスメイトよりも多くの感じを知っていて、
それを「すごい」「すごい」と言われて有頂天になっていた。

そして学校の50問漢字テスト。
学校で「頭がいい」と神扱いされている子達の間ではこの漢字テストで100点をとることが何よりの名誉、いや“証明”だった。

ところが私は一問ミスをしてしまったのだ。

私がミスした漢字は学校でまだ習っていない漢字だったため、先生は「空欄にしてあっても点は引かないよ」と私の記憶では言ったが、
当時の私は“変な”プライドがあり、誰に見せずとも「学校で習っていない漢字でも書けなければ!」という思いが強かった。

そして自信満々に回答を提出した訳だが、点が余分にあるとかないとかの小さなミスによって、私のちっぽけなプライドは崩れた。
(しっかり点は引かれて98点だった)

そのテストのお直しをY先生に見せに行った時のことだ。
後ろに並んでいた子が
「その漢字、習ってないから点引かないって言ってたじゃん」
と先生に言うと、Y先生は
「だって書いてきたんだもん〜」
とお茶目に返していた記憶がある。
そこで後ろの子は
「えー、先生、優しくな〜い」と言った。

私も先生が点を引いたのは当然のことだろうと思って納得していたが、
その次にY先生が放った言葉に驚いた。

「でも、ここで〇にしちゃうと“容易”のほうの“易しい”になっちゃうでしょ?
“優しい”と“易しい”は、違うだろ?」

穏やかな口調ですらりと先生は言った。

私はその時のことが今でも脳裏に焼き付いている。

Y先生は恐らくこの言葉が好きで、他の場面でも1、2回生徒に対して『“優しい”と“易しい”は違う』という言葉を使っていた気がする。(残念ながら内容は忘れてしまったが)


最後に決めるのは自分

この言葉もまた、Y先生が言った言葉であり、私に影響を与えた言葉でもあるので一応紹介しておく。

当時私の学校には“大縄跳び大会”があり、生徒は原則全員出場することになっていた。

※大縄跳び大会・・・一クラス一チームとし、決められた時間内に生徒達が跳んだ数を競うという行事。

私は毎年この大会に出ていたが、なぜだかその年はどうしても出たくなかった(まあ恐らくめんどくさかったのだろう)。

そしてお腹が痛いと仮病で保健室へ行き、保健室の先生に「無理せず見学にしとく?」と言われたが、その時Y先生が保健室に来た。

Y先生は私が大縄跳び大会が嫌で保健室にいることに気付いているようだった。

私が今まで一度も体調不良で保健室に来たことはなかったというのもあるかも知れないが、何より驚いたのはY先生の洞察力だった。

今思うと教師ならなんとなく分かるものなのだろうが、私は感情を隠すのが上手い方だと思っていたし、そこまでY先生と話したこともなかったのに、そこを見透かされたような気がしたのは、当時小学生の私にとっては衝撃だった。

詳しくは忘れてしまったがY先生は私に「できれば大会に出て欲しい」というような趣旨の言葉をかけた。

しかし私はどうしても大会に出る気にはなれなかった。

先生は去り際に

「まあ…最後に決めるのは自分だから」

と言った。

結局その日私は保健室の先生の言った通り見学という選択をしたのだが、
Y先生は体育館の端で座っている私に向かって、少し寂しそうな笑みを一瞬浮かべた。

私は自分一人だけが病気でもないのに、皆が頑張って大縄を跳んでいるのを見ていることしか出来ない状況に苦しくなったのと、
先生のあの一瞬の表情がなんだか悲しくて、
大会に途中参加した。

するとY先生は「お!元気なった?」と満面の笑みを浮かべて言った。

私自身、大会に出たくなかったため「結局出ちゃったなぁ」という気持ちはあったが、先生だけでなく、他のクラスメイト達も笑顔で私を受け入れてくれたことがとても嬉しかった。


私がこの言葉から学んだこと

実を言うと私はその後中学、高校と約3回不登校を経験している。

私が学校に来なくなった時の対応は、当然担任によって違う。

ほとんど連絡をよこさず、何も言わずにそっとしておいてくれた先生もいれば、
定期的に私に電話をかけて遠回しに学校に来るよう、家でも勉強するよう言う先生もいた。

私の主観だが、前者の先生はいわゆる“易しい”先生で、後者は“優しい”先生だったのではないかと思う。

もちろんどちらの先生も私を思ってその対応をしてくれていたのだが、
より長期的な目線で私のことを考えてくれていたのは、後者の先生だと思う。

だから一見厳しくてしつこく思えるその対応も、ある種の“優しさ”なのだ。

また、私自身学校に復帰しようかしまいかと悩んだ時に、いつも今回紹介したY先生の二つの言葉を思い出すようにしている。

「単位ギリギリなのに、もし私がここで学校に行かなければ、“易しい”選択にならないだろうか。
自分にしてあげなければならないのは、“優しい”選択ではないだろうか」
と。

また、気分が落ち込んで不登校になっている時なんかは、“優しい”先生に電話をもらっても、「厳しい」「冷たい」としか思えなかったし、
その先生の言葉を思い出して余計に辛くなった時も、
「最後に決めるのは自分だ」
と言い聞かせて気分を落ち着かせていた。

それによって多少自分勝手な結果になっても、それはそれで仕方ないと思う。
(もちろん“自分勝手になること前提”で動いてはいけないが)

“易しい”選択を取るのか、“優しい”選択を取るのか──

そこの天秤のかけ方は難しい。
特に自分が弱っている時は。

弱った自分に“易しい”選択をするということは、自分にとって“容易”な影響をもたらすことになる。
場合によっては心の平穏をもたらす。

しかしながら、「自分にとって“容易”な影響をもたらす」ということが、客観的に見てどのような選択なのか。
その時は“容易”になったとしても、その先々にどのような影響をもたらすのか。

ただし“優しい”選択をしたからと言って、必ずしも上手くいくとは限らない。
先のことを考えてその選択を選んだとしても、人生には思いがけない落とし穴が潜んでいる。

だからこその
「最後に決めるのは自分」
だ。

自分が納得した選択であれば、たとえ失敗したとしてもその結果を受け入れられるだろう。

“正しい”選択などない。

それが私がY先生から学んだことの一つだ。



あとがき

ご挨拶が遅れました、chomo(チョモ)と申します(。ᵕᴗᵕ。)

今回はいつもとちょっと違う感じの文面にしてみました。

正直、私は今回ご紹介したY先生の言葉の意味を当時完全に理解していた訳ではありません。

けれども、いざ成長して先生の言葉の意味を掘り下げて考えてみると、
大袈裟に言えば“人生観”にもなりうるほど深い言葉だったということが分かり、
この二つの言葉にとても助けられました。

皆様も昔意味が分からなかった言葉があれば、改めて考えてみると意外な意味が隠されているかもしれませんよ🌼

ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます😊

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