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あのときの、あのひとたち

ふと思い出す、ってこと、
おとなになるにつれて、増えたきがする。

いろんなこと、繋がる。わかる。

日本語がうまく話せないで吃りがちだったゆまちゃん。
同じ服を着回し、かびたパンを机に保持していたあの子。
自閉症でうまく言葉にできないでいたたっちゃん。
ハキハキ、いつも笑顔で、私のことを部長だと慕ってくれた、支援学級の後輩たち。
中学校で日本語学級に通っていた彼ら。

当時は今に比べて知らないことがたくさんで、
在日外国人とその子供についてや日本語教育についても、子どもの貧困も、多様性という言葉も、私の中に存在していなかった。

それはいいことでもあり、わるいことでもあった。と思う。
ラベルを通さず、その子たちの特徴・性格・個性として認識し、接していたから。
背後に存在する事情や、特性を理解せず、変な子だと思っていたから。

記憶の断片からでもわかる。
小中学校では、高校・大学では出会わなかった、出会えなかった人たちとの関わりを持てていた。

育った地域が同じというだけで集まったんだから、生活水準も経済力もソーシャルキャピタルもそれぞれに全然違う人たちだらけ。

古い記憶だから、もうあんまり思い出せないけど、
あの小中学校でいろんな人と時を過ごせてよかったな。

いつの間にか転校・引っ越ししてて、今どこで何してるのか、わからない人もいる。
みんな元気だといいな。
多様性を「認める」って言い方好きじゃないんだけど、
でも今はあのときに比べてみんなを認識する人が増えたと思うんだ。
どうしてるかな。

ふと、思い出した、だけ。

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