寒い。
寒い。寒いのである。
四六時中。
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寒い。でも。
寒さ、というのは難しい。
よく考えると。
というのも、「何度になれば寒い」のか、
実のところ、よくわからない、
というか、決まっていないから。
確かに、0°は寒いし、
5°もだいたい、寒い。
それでも、10°は?15°は?
だいたい、決まっていないんじゃないだろうか。
だから、寒さ、というのは難しい。
案外。
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僕は、寒い。
四六時中、寒い。
10°だろうが、15°だろうが、
だいたい寒い。
20°でも寒い。
ユニクロのダウンジャケットは人生のパートナーだし、
手を触られれば「冷え性」と、あだ名をつけられる。
四六時中、「寒い」から。
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いつからか、身体がぶっ壊れていた。
いや、食べなくなってから、
身体がぶっ壊れていた。
温度が、わからない。
「寒さ」の亡霊に、常に付き纏われている。
僕にとって、「寒さ」は「基準」ではない。
「寒さ」は構造で、言説で、権力である。
効きすぎている冷房。
氷ばかりのハイボール。
5月には時期ハズレの手袋。
だからそうして、
僕のぶっ壊れた身体は、
これからもずっと、
「寒い」のであろう。
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【参照】
Hobart, Hi′ilei Julia Kawehipuaakahaopulani. 2022. Cooling the Tropics: Ice, Indigeneity, and Hawaiian Refreshment.