久々にこの詩に戻ってきた。 大学でとった、現代詩の授業で出会った詩だ。 Stevie Smithという人の、 The Frog Princeという詩である。 Smithはかなり重度の鬱病を患っていた。 この詩は、そのこころの中を謳った詩である。 ずっとカエルのままでいたい王子様の、 こころの中を、謳った詩である。 鬱病になると、辛い。 しんどい。 しんどいけども、 どこか、 ここから出たくないと、 感じている自分がいることに気がつく。 周りは、治すために、色々
二年間の課程が終わり、空港で帰国便を待っている。 ダニエル・K・イノウエ国際空港。 往々にして「最も孤立した陸地(the most isolated landmass)」と呼ばれる ハワイ諸島の地で考えたことは数多いけれど、 今ここで書き留めておくことがあるならば、 これをおいて他にはないであろう。 多くの人の夢、僕にとっても長い間の夢であった「ハワイ移住」を中断し、 僕が帰る決断を下した一因となったことである。 ただ、そのためには少し、時代を遡る必要がある。 ーーー
寒い。寒いのである。 四六時中。 ーーーーー 寒い。でも。 寒さ、というのは難しい。 よく考えると。 というのも、「何度になれば寒い」のか、 実のところ、よくわからない、 というか、決まっていないから。 確かに、0°は寒いし、 5°もだいたい、寒い。 それでも、10°は?15°は? だいたい、決まっていないんじゃないだろうか。 だから、寒さ、というのは難しい。 案外。 ーーーーー 僕は、寒い。 四六時中、寒い。 10°だろうが、15°だろうが、 だいたい
ずっとびくびくしてきた。 いつ、虐げられるか。 僕は、浮いていないか。 いじめ。 そんな陳腐な言葉があって、 それが起きたのかも分からない。 遠い昔。 20年以上も前の話。 学校に入った僕は、 多分いじめられた。 陳腐だけれど。 ずっとびくびくしていた。 お弁当の中身。 好きな色。キャラクター。 全く無い運動神経。 自分に自信を持つということが、 およそない学生生活だった。 中学でも、高校でも、大学でも。 何かしら、びくびくしていた。 自分の存在を証明しよう
「身体の境界」というものを、 意識したことがありますでしょうか。 白米を食べる時、 お酒を飲む時、 そんな時にまたがれる、 このわたしの、身体の境界。 そういう感覚を、 意識したことはありますでしょうか。 ーーーーー このあいだ、 「ていねいな生活をしている」 と言われました。 はて… たしかに、 マックは10年くらい行ってないし、 ポテチも久しく買っていない。 掃除も徹底してるし、 運動も、嫌々だけど、している。 食生活はほぼ野菜。 揚げ物は月一で食べる
健康になると書けなくなるらしい。 久々にメモ帳を開き、何か書いてみようと思い立った。 それで、 なにも思い浮かばない。 むかし、書いていた時、 僕は盛大に病んでいた。 それなりに、書けていた。 それで、盛大に病んでいた。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 最近いわれた、 「健康そうだね」 そのコトバ。 それで、僕は病んだ。 僕は、太ったのだろうか。 僕は、「うつ」じゃなくなったのだろうか。 それで、僕は病んだ。 自分でもわかる。 最近「健康」だと
『老人と海』を読み返していた。 ヨルシカの影響で。 それで思い当たった。 クィア。 この小説には女性が出てこない。 「成人」男性も出てこない。 出てくるのは、 「老人」(the old man)と「少年」(the boy)である。 前半部を占めるのは、 「老人」と「少年」の憧憬・思慕関係だ。 そして、老人はEl marではなく、 La marへと乗り出していく。 このことをどう捉えたらよいか。 多々恋愛を謳うヨルシカの文脈の中で。 クィア。 年齢によって男性
今朝のランで、1000km走ったことになるらしい。 少なくとも記録をつけ始めてからは、1000km。 Nikeがご丁寧にも教えてくれた。 そういえば、運動は嫌いだった。 今も、大嫌いだ。 走りたくなんかない。 けど、走らないと、 食べちゃいけない気がする。 走らないと、大変なことになる気がする。 食べてしまった。 だから、走らないと。 走り続けないと。 いつからだろう。 ハムスターのように、 輪の中でぐるぐる回転しはじめて、 いまでも回り続けている。 今
わからない。 この人の歌詞はわからない。 音楽もわからない。 悔しい。 わかるまで、聴き直したくなる。 そのうちに本当に何度も聴き直している。 まるでフーコーだ。 まるでバトラーだ。 まるでハイデッガーだ。 あの人たちの本はわからない。 本当に訳がわからない。 わかるまで、読み直したくなる。 いや、できれば読みたくないけれど。 事実、悔しい。 その悔しさだけで、 そのうちに本当に何度も読み直している。 ずっと真夜中でいいのに。 その文体は、 そのわからなさは、
僕は一回死んだんだと思う。 それでまだ、生き返っていない。 トラウマ。とらうま。虎馬。Trauma. 心を病んで、 一回死んだんだと思う。 それでまだ、生き返っていない。 復活の(笑)、儀式。 多分、同じことをして、 うまくやって。 そういう儀式? 儀式のために、 僕はまたアメリカに行くのかもしれない。 一回死んだ場所に、 もう一回行くのかもしれない。 生き返るために。 あるいは、 行かないのかもしれない。 僕はもう生き返りたくない。 死んだ
「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。 花は毎年必ず咲きます。」 川端康成 くじら、という方をご存知でしょうか。 音楽プロデューサーの、 くじら、という方。 昨今、yamaやAdoなど歌い手たちが話題になっておりますが、 その立役者とも言える方。 背後で、数々の歌い手たちをずっと支え続け、 数々のヒットを送り出してこられた方です。 さて、ノスタルジィを兼ねて、 くじらさんがプロデュースしてこられた曲をすこし聞き直しておりました。 それで、一つ思い当たりま
YOASOBIに『群青』という曲がある。 半年前に出た曲だ。 この曲はなかなかに面白い。 YOASOBIの曲は小説を元にしていることもあってか、 ぜんぶ、面白いけどね。 さて、『群青』 四月病全開、三月二日の今の僕が聞くと、こう。 レールから外れ、 いくら難しいと言われても、 いくら周りの目が厳しくても、 自分の好きなことを追求する。 そんな、王道の、夢追い物語に聞こえる。 おそらくそれが、レールから外れない、正統な聴き方だろうし、 YOASOBIも、そう思
いつからだっただろう。 普通に食べられなくなったのは。 食べることが好きだった。 唐揚げ一つでお茶碗三杯は平気で食べたし、 スイーツブュッフェで動けなくなるくらい食べることもよくあった。 おかげさまで幸運にも、 僕はふくよかだった。 ふくよかで、 幸せだった。とても。 いつからだっただろう。 「普通」に食べられなくなったのは。 高校に入ってしばらくして僕は、 食べなくなった。 半年で、30kg分の僕が、 なくなった。 高校を卒業して僕は、 お酒を飲むようになっ
25歳。社会人4年目です!!! のはずだった。 気がついたら僕は、何者にもなっていない。 そういえば、ウルトラマンになりたかった。 怪獣なんていないヒーローの世界を作りたかった。 そういえば、弁護士になりたかった。 不正なんてない正義の世界を作りたかった。 そういえば、外交官になりたかった。 戦争なんてない平和な世界を作りたかった。 そういえば、官僚になりたかった。 格差なんてない均等な世界を作りたかった。 そういえば、サラリーマンになりたかった。 苦悩なんてな
昔買ったPコートをメルカリに出品した。 サンフランシスコで買ったものだ。 アメリカの高校に通っていた時に、 Persuasive Essayというものを書かされた。 「説得力のあるエッセー」 人を説得するエッセーを書く課題だった。 なんだかよく分からなかったけれど、 ちょうどPコートを買ったことを思い出した。 サンフランシスコで買ったものだ。 11月の第4金曜日、ブラック・フライデー。 アメリカン・イーグルのPコートが、安くなっていた。 それでも、 高校生からすれ
ある人が、僕の友人のことをこう評した。 「あいつは、自分のことを頭いいと思ってるだけだから。」 妙に頭に残る言葉だった。 それ以来ずっと、頭を離れていない。 以下、記すことの、 半分は、 自戒である。 そしてもう半分は、 叛逆である。 僕は勉強が嫌いだ。 成績が嫌いだ。 知性が嫌いだ。 知性を、良いことのように語る、 その社会が嫌いだ。 諸刃の剣である。 知性は、人を傷つける。 他者を、傷つける。 自己を、傷つける。 知性の中でがんじがらめになり、 壊れてい