『牧水研究』第26号2022年12月号
①吉川宏志「若山牧水の朝鮮の旅(中編)」
〈(…)牧水の講演は興味深い。特に赤ちゃんを例示しながら話しているところがおもしろい。赤ちゃんはいつも体を動かしている。それは、内部の生命の働きのために外界に興味をもち、体を動かさずにはいられないのだと牧水は言う。それと同じように、自分の生命を感じているなら、外界に興味をもつはずで、それを言葉にせずにはいられなくなる。牧水はそれを、表現力を求める、と言い替え、この力によって歌は生まれてくると述べている。〉
牧水は歌に対する考え方を簡明な例と言葉で述べている。
②〈(牧水は)「四辺の風物は悉くわたしを息苦しくし、あとではまともに物を見得ぬまでに胸がつまつてゐた」という心境になったのではないか。この表現からは、そうとうなショックを受けたことがうかがえる。牧水ははっきりとは書いていないが、植民地支配の暴挙に、気分が悪くなったのだと解釈できるのである。牧水は直接的に日本を批判することはなかった。やはり、朝鮮新聞などに世話になっている身なので、言いにくかったのだろう。しかし、内心では、朝鮮の文化遺産が荒廃していることを遺憾に思ったのではないだろうか。〉
吉川が指摘する通り、他国の文化を破壊する当時の日本政府のやり方に牧水は苦しくなったのだろう。しかし「世話になっている」などの理由で表立って批判する訳にもいかない、このあたりは現代にも通じる。柳宗悦の政府批判の言葉も引かれているが、その歯に衣着せぬ言い方に驚く。
③〈ここでも牧水は、心の中を直接的には語っていない。しかし、朝鮮の人々を踏んで通りなさい、と「笑ひながら」市山盛男が言ったことを記しているところに、やはり、やりきれない思いがひそんでいたのではないか。〉
この市山盛男はこの旅行で牧水の世話をしていた人で、熱心に短歌を広めようとしている、悪い人ではないような感じを、この論の最初の方を読んだ時は受けた。しかし、植民地支配者側の考えに染まり、相当感覚がおかしくなっている。牧水は旅で訪れて、その支配者側の感覚に強い違和感を覚えたのではないだろうか。
写真や、新聞記事など、ビジュアルの資料が豊富で、当時を想像しながら、興味深く読む事ができた。牧水と柳宗悦の繋がりなどにもびっくりだ。
2023.5.12. Twitterより編集再掲