『歌壇』2023年10月号
①なによりもビーズの鞄が大切な少女時代が思い出されて 江戸雪 ビーズの鞄がレトロっぽいアイテム。ビーズの鞄に限らず、少女期に愛した物がふと心に浮かんで離れないことがある。それを愛していた時期の自分を、取り返しのつかないものとして思い出しているのだ。
②「特集どう詠む?孫の歌」
花山多佳子「孫ということに拘らず」
〈「孫と犬猫は詠むな」とよく言われる。(…)近代は今ほど長寿でないから孫の歌もそうなかったはずで、戦後に一般にどっと増えてきて目に余って(…)〉
いつからという問いの建て方が面白い。長寿ゆえか。
〈一般に子育て中の親は忙しくて余裕がないので、子どもというものをじっくり味わっていない。かつての時代の男性は特にそうだろう。孫を見て初めて気づくことは多いのだ。新たな領域としての可能性があると思う。〉
これは確かに。私自身もじっくり味わったという感覚は無い。
〈「子」と詠むと、自分の子と間違われるのではないかと気にする人もいる。間違われてもかまわない。〉
この断言が好き。「義母」と書いて「はは」とルビを振るとか、割と厳密に関係性を書き表そうとしがちだが、花山の言うように、間違われても構わない、ぐらいの勢いで詠めばいいのかも。
③花やすらへと言ふときことに身に沁みて命令形は祈りのかたち 月岡道晴 「やすらふ」の命令形「やすらへ」。花よここにしばしとどまれ、ぐらいの意味だろうか。下句の把握がいいと思った。形としては命令だが、それを言う時の気持ちは祈りに近いのだ。
2023.10.14.~15. Twitterより編集再掲