見出し画像

『塔』2024年2月号(1)

いそいそとトムのうんちを袋に詰め永田先生たのしき日課 永田和宏 あ、、、言っちゃった。自分で自分のことを。方代さんや万智ちゃんの列に…。しかも歌の素材が「猫のう○ち」。でもこれ同じ音数でも「永田和宏」じゃ全然だめで、「永田先生」だからキャラ立ちする。
 実物を見ましたが、確かにこのトムは可愛いやつです。犬猫嫌いの私が言うんだから間違い無い。でも歌の中の永田先生がどうにも可愛い。「いそいそと」「う〇ち」「たのしき」などどれも完璧に「永田先生」のキャラを浮き上がらせてくれる。分かって作ってるんだよなあ。さすがだよ。

溜息ほどの光をともすだけなのに火の字二つをつけられ螢 前田康子 確かに螢の存在に対して火の字二つは激し過ぎる。もっとかすかな存在だ。「溜息ほどの」が螢の儚さや、どこか哀しいイメージと重なり合う。蛍の字に慣れていたら作れない歌だ。

ふくろふが見えたらもうじき死ぬのだとそんな死に方いいわねほんに 北神照美 不思議で不気味な上句。生きたフクロウ?どこに見えるんだろう?でも下句でやんわりのんびり受けていてちょっと落差がある。どうしてその死に方がいいのか、これも謎。

きみの眼が日傘のようにひらくのを何度も見たいからひかります 田村穂隆 瞳孔が開く、瞳が大きくなる。その瞬間が日傘を開くようだという比喩、またそれを見るために自分は日のように光るというのも比喩だ。けれど結句の言い切りが精神の張り詰めた状態を感じさせる。

⑤現代短歌シンポジウムin福岡2023「口語と文語の線引き?」
 私川本千栄の『キマイラ文語』を下敷きに山下翔さん、平出奔さんと「塔」全国大会でパネルディスカッションしました。司会は梶原さい子さん。ぜひぜひお読みいただきたいです。色々問題提起をしてると思います。

 平出奔〈一字空けというレギュレーションは、原稿用紙に基づいたレギュレーションですよね。でも、今は僕を含めた多くの人がパソコンやスマートフォンを使って作歌していて、機種にもよりますが、スペースを空ける際のデフォルト設定が半角だったりします。〉
 印象に残った発言。古典和歌には一字空けなんてない、だから出来るだけ一字空けせずに作るべきだ、という歌人もいる。しかし一字空けって原稿用紙ありきの話。そりゃ古典和歌に一字空け無いよ。さらに今は半角空けがデフォルト。  当たり前と言えば当たり前のことに気づかされた。

⑥森山緋紗〈忘れてはならないのが、「鍵内」に置かれている作品が ”優秀ではないこと”とイコールではないということだ。歌会などでもそうだが、「場」が変われば優秀とされる作品が別のものに変わることもある。〉本当にそう思う。まず自分の歌を見る自分の目を養いたい。

2024.3.8.~9. Twitterより編集再掲
 

この記事が参加している募集