第二芸術論・前衛短歌(後半)【再録・青磁社週刊時評第八十四回2010.2.22.
第二芸術論・前衛短歌 (後半) 川本千栄
第二芸術論がなぜここまで強い影響力を持ったかについて、私なりに思ったのは、何よりもそれが感情論だったからではないかということだ。当時の歌人たちも有効な反論が出来なかったのだが、三枝が言うように感情論に対する論理的な反論は難しい。後世の立場に立てば、第二芸術論を冷静に整理できるが、敗戦後の当時は大きな混乱期であり、何が正しく何が間違っているかがひっくり返った時期なのだ。歌人たちの感情も乱れていた状態で、現在から見たように第二芸術論の論としての粗さを突くのは困難だったのではないか。言ってみれば、どちらの側も論理的ではなかったのだ。居丈高に伝統文学を攻撃する側も、伝統文学に携わりながらそれを擁護できずに心弱りしている側も、敗戦という未曾有の事態の下で、同じ精神的な傷を負っていたのだと思うと痛々しい。
また、女性六人のシンポジウムでも第二芸術論の醸し出した雰囲気が、当時の雑誌などを使ってかなり詳細に再現されていた。川野里子が美術の世界にも伝統批判の声が起こった事を取り上げていたことが印象深かったが、そうした伝統否定は直ぐに収まったわけではない。思えば1980年代のバブル期の前後ぐらいまで、西欧のものは何でも格好良く、日本のものは何でも格好悪いという風潮が実際にあったし、私もそれを記憶している。シンポジウムでの発言を聞いている時に、そうした体感にも近い感覚を思い出したのだが、その記憶を短歌に結びつけたことによって初めて、私は敗戦後の伝統否定、そして第二芸術論の与えたダメージの幾許かを自分のものとして感じることができた。
角川の連載も、女性六人のシンポジウムも次は前衛短歌の時代がメインになってくるだろう。三枝は2月号の論の中で、塚本邦雄と大岡信との前衛短歌論争において、塚本は大岡よりもむしろ小野十三郎の短歌批判に答えていると思われる点を掘り起こしている。そして論の結語で、「前衛短歌とは第二芸術論克服のための表現改革の運動である」ときっぱり位置付けている。三枝の論の展開は充分に納得できるものではあるのだが、ある芸術運動の盛り上がりはそんなに意識的・意図的なものなのだろうか、という疑問も持つ。
さらに、あまりにも単一的に原因と結果が照応し過ぎているようにも思う。実際は複数の要因が絡み合って結果に到るのではないだろうか。『歌壇』3月号で奥田亡羊が「現代短歌におけるアニミズム」という評論を書いているが、その中で奥田は、前衛歌人をアニミズムの観点から位置づけようとしている。奥田が以前から主張していることであるが、前衛短歌を見る際、こうした視点などを考慮して複眼的に見ていく必要もあるのではないかと思ったのだった。
(了 第八十四回2010年2月22日分)